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テレビ朝日系(ANN)が配信した日本の暑すぎる夏のアメリカ軍横田基地の兵士の『1時間で50分休憩』を8時間で計算すると実働1時間20分。ほぼ『休日』状態で、ネイティブな日本人から見るとうらやましすぎる勤務状態
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東日本大震災の被災地支援を終え、強襲揚陸艦エセックス(後方)から降り立つ米海兵隊員=2011年4月12日、うるま市・ホワイトビーチ
『米軍、放射性物質を下水に流す 大震災後トモダチ作戦 厚木・三沢で12万リットル超』2018年7月30日 沖縄タイムス
【ジョン・ミッチェル特約通信員】在日米軍が2011年6月、厚木基地(神奈川県)と三沢基地(青森県)で放射性物質を含む汚染水12万リットル以上を下水道に流していたことが分かった。本紙が米軍の内部資料入手した。
汚染水は東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後の「トモダチ作戦」に参加した軍用車両や装備品の除染で発生していた。
米太平洋軍(当時)と在日米軍の内部討議資料によると、11年5月3日時点で「液体低レベル放射性廃棄物」が厚木に9万4635リットル(2万5千ガロン)、三沢に3万283リットル(8千ガロン)あった。
本紙の取材に対し、在日米軍はこの時の保管量より多い量を翌月、厚木と三沢で投棄したことを認めた。同時に「投棄は日本政府の基準で安全と認められていた」と説明した。
汚染水は「低レベル」と分類されているものの、実際の放射性物質の濃度は明らかでない。
内部資料には、装備品の中に除染しきれないほど深刻に汚染された物があったと記されている。
トモダチ作戦で出た固形や液体の「低レベル放射性廃棄物」は在日米軍基地6カ所で保管されていたことが公表されている。厚木と三沢のほかは普天間飛行場、横田基地(東京都)、横須賀基地(神奈川県)、佐世保基地(長崎県)。普天間では除染に使った布などの固形物がドラム缶に詰められていた。
本紙の取材に、在日米軍は横田と横須賀では18年3月時点でも固形廃棄物の保管が続いていたことを明らかにした。横田の廃棄物は表面線量が日本政府が定める通常の被ばく限度、毎時0・23マイクロシーベルトを上回る2・1マイクロシーベルト、横須賀では下回る0・1マイクロシーベルトだった。横田にあった汚染水は東電が回収して廃棄したという。
ことば
トモダチ作戦 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の後に米軍が実施した被災地支援活動。在沖米軍からもヘリや兵士が参加した。一方、原子力空母の元乗組員が放射線被ばくによる健康被害が出ているとして、東京電力などを相手に救済基金設立を求める訴えを米裁判所で起こしている。
7月30日 沖縄タイムス
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『福島第一原発から230キロも遠く離れた太平洋上で放射性プルーム(放射能雲)に遭遇して5時間だけ短時間被曝した原子力空母ロナルド・レーガン』
★注、
トモダチ作戦の原子力空母で放射能被害が出て訴訟になっているが、そもそも米軍の艦船はメルトダウンした原発から半径50海里(93キロ)内には絶対に入ってはいけないとの決まり事があり、トモダチ作戦の時も米海軍原子力空母ロナルド・レーガンは福島第一原発の東方の2百数十キロ以上も大きく離れた太平洋上を数時間程度通過しただけだった。
その程度の短時間でも、海の上を漂う放射能プルームに遭遇して、原子力空母の艦内では放射能アラームが鳴り響いて乗組員の兵士らはパニックに陥っていたし、その後甚大な健康被害が起きていた。
(原子力空母ロナルド・レーガン乗員の元米兵が要求している補償額は一人当たり2億から3億円なので、もしも5000人の乗員全員なら十兆円以上だが、日本人は7年間ももっと近くで被曝し続けているし人数も最低でも数百万人、最大なら数千万人なので到底賠償できる額ではない天文学的な数字になる)
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人類史上初めてのアメリカ軍による1945年8月6日のヒロシマ原爆投下の前と後の広島市の航空写真。(四角い右上の場所は広島城)
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1945年8月6日 8時15分 快晴 気温26.7度
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日本敗戦の3カ月前にはヒトラーが自殺し首都ベルリンが陥落、ドイツ軍が無条件降伏して最後の同盟国を失った大日本帝国の運命は決していた。
敗戦の1年も前に日本列島の最後の防衛ラインであるサンパン島が陥落して連日B29爆撃機の空爆を受けていたのですから誰の眼にも日本の敗戦は明らかであったが、8月15日の玉音放送が行われるまでは『日本の敗戦』を口に出すことは文字どうり致命的であったのです。マスコミや知識人など日本人の全員が口から出まかせの嘘八百だと知っている神州不滅、鬼畜米英、一億玉砕などの愛国的スローガンを叫んでいたのである。(全員が『日本が負ける』と薄々知っていたが黙っていた。ところが空気が読めない日本共産党など極少数の者が口に出せば、その『怖ろしい真実』をみんなで袋叩きにするのが日本人の一番の特徴だった)
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渡邉英徳 @hwtnv ·
72年前の今日。1946年8月6日,広島原爆投下から1年後,広島市内に残る焼け野原を若いカップルが見つめる。ニューラルネットワークによる自動色付け。
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『猛暑が続くと、有力選手が出場を見合わせ日本に有利な状況』との卑劣で情けない発想はオリンピックのホスト国としてはゲスの極み。(ほぼ73年前の玉音放送以前の国策に無条件に従わされていた哀れな日本人の発想を髣髴させる)
『ヒロシマの原子爆弾とフクシマの原発事故の違いはあるが、同じ「放射能」被害関連(繫がり)のオリンピックの聖火リレー』
日本敗戦から19年後の1964年10月10日開催の東京オリンピックの聖火リレーは開会式のハイライト(晴れ舞台)である聖火台に点火する最終ランナーが広島県の出身者が選ばれていて、世界最初で唯一だったウラン型(リトルボーイ)原子爆弾の被害からの復興を印象付ける意味を持っていたが、復興五輪と名付けられた2020年の東京オリンピックでは矢張り聖火がフクシマの未曾有のレベル7の核事故の放射能被害の福島県から始める予定になっている。
(酷暑の殺人オリンピックとは、民主党の野田佳彦政権がフクシマのメルトダウンを嫌々認めた直後に東京への誘致を決めているのですから、今の安倍晋三首相とか小池百合子都知事は共同正犯ではあるが主犯ではない)
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#Tokyoインパール2020
昔は小中学校にはクーラーが無かった『夏の暑さは我慢しろ』と精神論をぶち上げる旧日本陸軍(牟田口廉也中将)のような政治家が現れたが、半世紀前の鉄道やバスなどの公共交通だけではなく自家用車も全部がクーラーなどなかった。もちろん何処の家庭にもクーラーは無かったのである。その唯一の例外が都心にある高級百貨店で、売っている商品も幾分割高だったのである。
図を一目見れば明らかだが1994年以後に日本列島が異次元の世界に突入しているのですから怖ろしい。いくら精神論で頑張っても日本列島は一番暑い7月末ンから8月始めの東京オリンピックはインパールと同じで確実に熱中症で死人が大勢出ることになる。
(おまけ)
『日本の最近の百数十日間の温度上昇のグラフにして、単純に、そのまま延長すれば年末ごろには50度に、2年後には間違いなく百度になる』 (^_^;)
殺人的猛暑が東京や首都周辺で連続して続いているが、あの『人為的CO2温暖化』のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、旧盆前の今頃40度近いなら、今年のクリスマスには50度になり、東京オリンピックの2年後の2020年には100度を超えると何故言わないのか。実に不思議だ
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東日本大震災の被災地支援を終え、強襲揚陸艦エセックス(後方)から降り立つ米海兵隊員=2011年4月12日、うるま市・ホワイトビーチ
『米軍、放射性物質を下水に流す 大震災後トモダチ作戦 厚木・三沢で12万リットル超』2018年7月30日 沖縄タイムス
【ジョン・ミッチェル特約通信員】在日米軍が2011年6月、厚木基地(神奈川県)と三沢基地(青森県)で放射性物質を含む汚染水12万リットル以上を下水道に流していたことが分かった。本紙が米軍の内部資料入手した。
汚染水は東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後の「トモダチ作戦」に参加した軍用車両や装備品の除染で発生していた。
米太平洋軍(当時)と在日米軍の内部討議資料によると、11年5月3日時点で「液体低レベル放射性廃棄物」が厚木に9万4635リットル(2万5千ガロン)、三沢に3万283リットル(8千ガロン)あった。
本紙の取材に対し、在日米軍はこの時の保管量より多い量を翌月、厚木と三沢で投棄したことを認めた。同時に「投棄は日本政府の基準で安全と認められていた」と説明した。
汚染水は「低レベル」と分類されているものの、実際の放射性物質の濃度は明らかでない。
内部資料には、装備品の中に除染しきれないほど深刻に汚染された物があったと記されている。
トモダチ作戦で出た固形や液体の「低レベル放射性廃棄物」は在日米軍基地6カ所で保管されていたことが公表されている。厚木と三沢のほかは普天間飛行場、横田基地(東京都)、横須賀基地(神奈川県)、佐世保基地(長崎県)。普天間では除染に使った布などの固形物がドラム缶に詰められていた。
本紙の取材に、在日米軍は横田と横須賀では18年3月時点でも固形廃棄物の保管が続いていたことを明らかにした。横田の廃棄物は表面線量が日本政府が定める通常の被ばく限度、毎時0・23マイクロシーベルトを上回る2・1マイクロシーベルト、横須賀では下回る0・1マイクロシーベルトだった。横田にあった汚染水は東電が回収して廃棄したという。
ことば
トモダチ作戦 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の後に米軍が実施した被災地支援活動。在沖米軍からもヘリや兵士が参加した。一方、原子力空母の元乗組員が放射線被ばくによる健康被害が出ているとして、東京電力などを相手に救済基金設立を求める訴えを米裁判所で起こしている。
7月30日 沖縄タイムス
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『福島第一原発から230キロも遠く離れた太平洋上で放射性プルーム(放射能雲)に遭遇して5時間だけ短時間被曝した原子力空母ロナルド・レーガン』
★注、
トモダチ作戦の原子力空母で放射能被害が出て訴訟になっているが、そもそも米軍の艦船はメルトダウンした原発から半径50海里(93キロ)内には絶対に入ってはいけないとの決まり事があり、トモダチ作戦の時も米海軍原子力空母ロナルド・レーガンは福島第一原発の東方の2百数十キロ以上も大きく離れた太平洋上を数時間程度通過しただけだった。
その程度の短時間でも、海の上を漂う放射能プルームに遭遇して、原子力空母の艦内では放射能アラームが鳴り響いて乗組員の兵士らはパニックに陥っていたし、その後甚大な健康被害が起きていた。
(原子力空母ロナルド・レーガン乗員の元米兵が要求している補償額は一人当たり2億から3億円なので、もしも5000人の乗員全員なら十兆円以上だが、日本人は7年間ももっと近くで被曝し続けているし人数も最低でも数百万人、最大なら数千万人なので到底賠償できる額ではない天文学的な数字になる)
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日本敗戦の3カ月前にはヒトラーが自殺し首都ベルリンが陥落、ドイツ軍が無条件降伏して最後の同盟国を失った大日本帝国の運命は決していた。
敗戦の1年も前に日本列島の最後の防衛ラインであるサンパン島が陥落して連日B29爆撃機の空爆を受けていたのですから誰の眼にも日本の敗戦は明らかであったが、8月15日の玉音放送が行われるまでは『日本の敗戦』を口に出すことは文字どうり致命的であったのです。マスコミや知識人など日本人の全員が口から出まかせの嘘八百だと知っている神州不滅、鬼畜米英、一億玉砕などの愛国的スローガンを叫んでいたのである。(全員が『日本が負ける』と薄々知っていたが黙っていた。ところが空気が読めない日本共産党など極少数の者が口に出せば、その『怖ろしい真実』をみんなで袋叩きにするのが日本人の一番の特徴だった)
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渡邉英徳 @hwtnv ·
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『ヒロシマの原子爆弾とフクシマの原発事故の違いはあるが、同じ「放射能」被害関連(繫がり)のオリンピックの聖火リレー』
日本敗戦から19年後の1964年10月10日開催の東京オリンピックの聖火リレーは開会式のハイライト(晴れ舞台)である聖火台に点火する最終ランナーが広島県の出身者が選ばれていて、世界最初で唯一だったウラン型(リトルボーイ)原子爆弾の被害からの復興を印象付ける意味を持っていたが、復興五輪と名付けられた2020年の東京オリンピックでは矢張り聖火がフクシマの未曾有のレベル7の核事故の放射能被害の福島県から始める予定になっている。
(酷暑の殺人オリンピックとは、民主党の野田佳彦政権がフクシマのメルトダウンを嫌々認めた直後に東京への誘致を決めているのですから、今の安倍晋三首相とか小池百合子都知事は共同正犯ではあるが主犯ではない)
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#Tokyoインパール2020
昔は小中学校にはクーラーが無かった『夏の暑さは我慢しろ』と精神論をぶち上げる旧日本陸軍(牟田口廉也中将)のような政治家が現れたが、半世紀前の鉄道やバスなどの公共交通だけではなく自家用車も全部がクーラーなどなかった。もちろん何処の家庭にもクーラーは無かったのである。その唯一の例外が都心にある高級百貨店で、売っている商品も幾分割高だったのである。
図を一目見れば明らかだが1994年以後に日本列島が異次元の世界に突入しているのですから怖ろしい。いくら精神論で頑張っても日本列島は一番暑い7月末ンから8月始めの東京オリンピックはインパールと同じで確実に熱中症で死人が大勢出ることになる。
(おまけ)
『日本の最近の百数十日間の温度上昇のグラフにして、単純に、そのまま延長すれば年末ごろには50度に、2年後には間違いなく百度になる』 (^_^;)
殺人的猛暑が東京や首都周辺で連続して続いているが、あの『人為的CO2温暖化』のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、旧盆前の今頃40度近いなら、今年のクリスマスには50度になり、東京オリンピックの2年後の2020年には100度を超えると何故言わないのか。実に不思議だ