逝きし世の面影

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「国民の敵」ネトウヨ化する自衛隊の無残

2018年04月18日 | 政治
「おまえは国民の敵だ」小西洋之議員、統幕所属の自衛官から繰り返し暴言を受けたと明かす

防衛省は「統合幕僚監部の30代幹部自衛官」と特定   2018年04月17日 Huffington Post Japan

「おまえは国民の敵だ」
現職自衛官に、そう罵られたと民進党の小西洋之議員が4月17日に明らかにした。防衛省は、参議院議員会館の近くの路上で小西氏と遭遇し、言葉をかけたのが統合幕僚監部指揮通信システム部の30代の幹部自衛官だと特定。詳細な発言内容については「確認中」とした。
時事通信によると、この幹部自衛官は4月16日、国会周辺をランニング中、小西氏に遭遇し、罵声を浴びせた。複数の警察官が集まり、小西氏が発言をやめるよう求めたが、自衛官は発言を繰り返した。しかし、小西氏が防衛省の人事当局に携帯電話で連絡したところ、自衛官は発言を撤回したという。
小西氏は4月17日、参院の外交防衛委員会でこの件を取り上げ、「公道で、複数の警察官もいる前で、現職の国会議員に対して、『お前は国民の敵だ』というような発言を繰り返す。そうした行為は、自衛隊員としてあってはならない、許されない行為だと思います」と、対応を求めた。
小野寺五典防衛相は「自衛隊員の服務の問題になります。事実関係を確認し、適正に対応します」と応じた。
4月17日 ハフポスト日本版編集部

自衛隊への志願者は減り続けている

自衛隊の危機 01
―なぜ、ネトウヨの浸透を許しているのかー
 2018.04.15  @VICEJapan(まだ第1回目だが、非常に焦臭い不穏な内容)

いま、自衛隊では大きな異変が起きている。
防衛省内部の情報源を多数含むため、取材・執筆メンバーを明かすことができない匿名取材班〈Project Army〉が、読者に届けるのは〈自衛隊の是非〉ではなく、〈自衛隊の現状〉と〈憲法9条の限界〉である。
記事は、賛否を呼ぶが、しかし、ただ1点、〈自衛隊の将来像について、今すぐに議論を始めなければならない〉という点だけは、異論がないはずだ。



「保守だが、いまの自衛隊はさすがにマズい。これでは将来の司令官たる将官の卵たちの頭の中が、〈ネトウヨ〉に汚染される」

人目をはばかり、取材班を自宅に招き入れた防衛省の中堅幹部(背広組)は、深刻な表情で言った。
自衛隊の〈将校教育〉は、危険なものだった。
始まりは2016年6月、海上自衛隊の幹部学校(以下、海幹校)に、1人の女性がやってきた――。彼女の名は、吉木誉絵(31歳)。古事記アーティスト?で佐久弥レイの芸名も。


東京 ローカル局「TOKYO MX」テレビでの沖縄ヘイトデマの元ネタのDHCテレビジョン『放言BARリークス』第29回(現在は視聴出来ない)

なぜ海上自衛隊の幹部を育成する海幹校へタレントが。海上自衛隊・幹部学校の〈客員研究員〉に就任に、最初に疑念の声を上げたのは、防衛省・防衛政策局・調査課の若手だった。
「吉木って、いったい誰だ」海幹校の客員研究員は、ただの名誉職ではない。海幹校へ自由な出入りが許され、各国軍の関係者が出席するレクや、一般には公開されない防衛研究所のデータベースへのアクセス権も与えられる。
客員研究員制度が始まったのは2014年、最初に招かれた客員研究員は、現代地政学の泰斗であるエドワード・ルトワックの翻訳者で、地政学研究者の奥山真司。
吉木誉絵がこれまで発表したのは短いコラムだけ。「ネトウヨ・タレントで、研究者でも何でもない」(中堅幹部)
にもかかわらず、2016年6月に突如、海幹校の客員研究員に就任した後は、自衛隊〈制服〉トップ河野克俊(統合幕僚長)や、米軍のジョセフ・P・アゥコイン(第7艦隊司令官)のインタビューを保守系月刊誌の『Voice』で発表する。


安倍晋三首相が2017年5月3日に改憲団体へのビデオメッセージで『自衛隊は違憲』との驚きの重大発言をして憲法9条に自衛隊を明記する改正案を明らかにするが、自衛隊の制服組トップの河野克俊統合幕僚長が「ありがたい」と発言。大問題となる。

なぜ吉木は他の本物の研究者たちを差し置いて客員研究員になれたのか――防衛省OBが事態を危惧する。
武居智久が大塚海夫海幹校・校長に指示して、吉木誉絵を海幹校に押し込んだ
武居智久は統幕長就任を有力視されていた元海上幕僚長(第32代海幕長)で、現在、日本人として初めて米国・海軍大学の教授を務める自衛隊きっての〈知米派領袖〉である。
その武居がどうして、学問的な実績もないタレントを海幹校に推薦したのか。
海自は、いまボロボロ。武居さんの前の海幕長(第31代)、河野克俊(現統合幕僚長)は、もっとも過激な保守系論壇誌といわれる月刊『WiLL』を発行するワック・グループの鈴木隆一(社長)と、毎月のように食事会やゴルフをするほど昵懇。
ワック・グループには、科学番組『ガリレオX』などを製作する映像部門があり、昔から自衛隊関連のDVDなどを製作しているため、河野さんをはじめ、現在の自衛隊最高幹部は、中堅時代からの長い付き合いで、ほとんど身内といっても過言ではない。
吉木は竹田恒泰(明治天皇の玄孫/評論家)の後援組織〈竹田研究会(学生青年局)〉事務局長を務める、いわば竹田の愛弟子。そして、自衛隊はもともと〈明治天皇の玄孫〉を売り物にする竹田とは距離をおいていた。
危惧は、(自衛隊内部の)旧来の保守グループではない、中堅若手の〈新たな保守グループ〉が台頭しつつあり、海自きっての知米派の武居さんが、その精神的支柱に祭り上げられているのではないか」(前出OB)
吉木誉絵は旧来の保守グループとは違うが、河野統幕長と昵懇の『WiLL』2017年8月号には、〈平和を欲するなら戦いに備えよ〉という吉木のインタビュー記事が掲載されている。




「すでに吉木が客員研究員になったので、海自に義理立てした。河野と武居は個人的にも仲が良く、武居の推薦で、吉木を海幹校が呼んのでなにか実績をつくらないとマズい。ただ、吉木があまりにもヒドくて、鈴木社長から『(吉木の)原稿を掲載しろ』と指示されたWiLL編集部の方は大変だった。
吉木は『自分では、長い原稿を書けない』ので、(編集部がゴーストライティングする)聞き書きで記事を作ったが、今度は『長い原稿は直せない』と言い出し、最終的に(掲載された形の)一問一答になった。これで客員研究員なんて恐ろしい話です」

(現職自衛隊幹部を教育する?頭が空っぽのネトウヨ低能タレント)

昨年の6月21日、吉木は、客員研究員の立場で広島、江田島の海自幹部候補生学校で講演をしたが、聴講者も同様の感想を抱いていた
「テーマは〈古事記を知ることは己を知ること〉だったのですが、支離滅裂でびっくりしました。古事記は凄いというところから話が始まったのですが、次から次に論点がずれて、最終的には何を言わんとしているのか、まったく分かりませんでした」



なぜ、海幹校は、吉木誉絵を〈客員研究員〉として招聘したのだろうか。われわれは、当事者たちに直接、尋ねることにした。

〈吉木誉絵事務所に、公的な海上自衛隊の幹部学校〈客員研究員〉の〈質問状〉について、吉木のマネジャーは「質問への回答でギャラは出ますか」と応えたがギャラは出ないと説明し、質問状を送った。
(質問内容)
どのような経緯で、海上自衛隊・幹部学校の〈客員研究員〉になったのか。
(吉木は)自らを〈研究者〉であると考えるか。
(吉木が)客員研究員として大切にしていた〈理念〉はなにか。
回答は「答えない」だった
吉木は「自らを〈研究者〉であると考えるかどうか」という質問にさえ、答えない。

(防衛省海上幕僚監部広報室に質問)
吉木誉絵を海上自衛隊・幹部学校の〈客員研究員〉に招聘したプロセス、選考理由について知りたい。
「客員研究員の選定は〈他薦〉で、他薦された客員研究員希望者の中から、幹部学校で検討し、受け入れを決定します』
「吉木氏の〈情報発信力〉および研究実績から、幹部学校の研究分野での波及効果が見込まれると考えています」
研究実績がまったく無い吉木。
海幹校の本音は〈情報発信力〉、月刊『WiLL』や『Voice』といった保守系雑誌で、自らの組織に都合の良い発言を繰り返す〈ラウドスピーカー〉の確保にあるのだろう。
〈原則1年〉の任期と定められているはずの客員研究員を、海幹校は、内規の特例を使って、吉木の任期を〈2年〉に延長していた。
いったい、新たな保守グループはどのような目的で、吉木や竹田を重用しているのか――。
第2回に続く。
4月15日  VICE
(抜粋)


お子様ファッションである大きなリボンが特徴のきゃりーぱみゅぱみゅ似のコスプレ右翼稲田朋美防衛大臣の政治家として場違いないでたち

『日米2プラス2会談キャンセルから稲田朋美防衛大臣の解任までは一直線だった』

(9ヶ月前の)2017年7月14日にワシントンで開催されるトランプ政権発足後、初めての日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚協議)が突如、会談予定の2週間前に延期になっている。(都議選で歴史的大敗直後なので踏んだり蹴ったり)
米側のキャンセル理由とはティラーソン国務長官の日程調整が無理だと言うものだが、明らかにこじつけ。(国務長官の日程など、最初から分かっている話で、アメリカ側が防衛大臣の稲田朋美との会談を嫌がったことは明らか)
2017年2月に米国のトランプ政権の閣僚として初めて外遊した戦う修道士とか狂犬との異名を持つ生粋の軍人であるマティス国防長官が初来日している。ところが、歴戦の軍人であるマティスはアニメキャラの『きゃりーぱみゅぱみゅ』を真似て大きなリボンを付けて出迎えた稲田大臣が防衛大臣としての資質がないことを即座に見抜いていたのである。(アメリカがキャンセルした直接の理由は稲田大臣が辺野古基地建設での大失言『機密漏洩』だとの説が有力)
唐突にアメリカ側からキャンセルされた日米2プラス2会談予定日から稲田朋美の防衛大臣解任までの時間的余裕は、たったの2週間であった。
「三度目の正直」か!米副大統領ナチ擁護の麻生副首相との会談キャンセル   2017年09月01日 | 政治から抜粋)


野党の厳しい追及に涙ぐむコスプレ右翼の稲田朋美防衛大臣。(2016年10月)

『本物の戦争が絶対に出来ない日本の自衛隊』

色々な症例をあげて、今の日本の自衛隊には米軍の手伝い程度は出来るが、海外でも日本でも同じで殺し殺される『本物の戦争が絶対に出来ない日本の自衛隊』との論を展開していたのですが、今回のような国民の代表たる国会議員に向かって『おまえは国民の敵だ』と言うような自衛隊幹部の出現は驚きである。ほぼ同じ時期にVICE4月15日記事『自衛隊の危機 01―なぜ、ネトウヨの浸透を許しているのかー』とピッタリ符合しているのですから何とも不気味である。 
日夜『大量破壊兵器』を操作して大量殺人の訓練をしているのが自衛隊であり、その幹部が国会議員に向かって『おまえは国民の敵だ』と言い出したらシビリアンコントロールもくそも無い。基本的に無茶苦茶なのである。(このネトウヨ自衛隊ですが、まさに国民の敵であり即座に罷免して厳罰に処さないと後顧に憂いを残す)
今回の出来事『おまえは国民の敵だ』事件で自衛隊も少しは反省して、頭が空っぽで目が節穴のネットウヨと早急に手を切る必要性に気が付いてくれるでしょう。


(関連記事)

石破茂閣下発言「命令拒否は死刑か懲役300年」を断固支持2013年07月20日 | 政治





(資料)

軍人が議員に罵声を浴びせた「黙れ事件」 80年前の結末を知っていますか?

帝国議会で起きたこと
。 2018/04/18 BuzzFeed News

防衛省統合幕僚監部の3等空佐が民進党議員に対し、国会議事堂前の路上で「国民の敵だ」などと暴言を繰り返し、批判を浴びている。
実は似たような事件がちょうど80年前、帝国議会で起きていたことをご存知だろうか。「黙れ事件」だ。

1938年3月4日の読売新聞

「黙れ事件」は、日本が徐々に戦時体制に入りつつある1938(昭和13)年3月3日の帝国議会で起きた。
当時の佐藤賢了・陸軍航空中佐が衆議院の「国家総動員法案委員会」の審議中、議員に対して「黙れ!」と怒鳴ったのだ。
これに、国会は騒然。中佐は発言を撤回したが収まらず、陸軍省の大臣が釈明に追い込まれることになった。
戦前と言えど、これは大きな批判を浴び、新聞各紙も報じている。
たとえば、翌日の東京朝日新聞は「総動員法案に大波乱 佐藤中佐”黙れ”の一言 委員会沸騰裏に散会」と2面で大きく伝えた。
いったい、何が起きていたのか

1938年3月4日の東京朝日新聞朝刊、上段左が佐藤中佐

当時の議事録や報道から経緯を振り返る。まず、質問に立っていたのは、立憲政友会の板野友造(大阪選出)だ。
板野議員は、国民の全財産を戦争に向けて投じることのできるようになる「国家総動員法」に異論を持っており、この日の質疑でも政府側の答弁に納得していなかった。
質疑では、板野議員は「今では何にしたって戦争第一」「恐るべき法案である」などとし、国民の権利を政府が制限できる法律が憲法違反である、とも指摘。政府にこう求めたのだ。
「政府の言うことが分かりませぬ。どうぞ国民が、なるほど必要止むを得ざるものだと了解しうる程度の説明を願います。どなたでも説明の上手な人でよろしゅうございます」
そこで政府側のピンチヒッターとして説明にあがったのが、佐藤中佐だった。
30分も続いた説明に…

帝国議会議事録より

法案の利点を説明する佐藤中佐の答弁は、約30分、当時の議事録でも1ページ半に及ぶほど、長く続いた。
もはやそれは説明ではなく、板野議員と討論をしているかのようにも聞こえるほどだった。
「諸君、私は確信するのでありますが、かかる非常の場合におきまして、国民の頼みは何であるかということ、議会と政府、行政と立法との関係というような問題ではなくして、何か強力な力、強い力によって敏活機敏に処理さるということであります」
こうした「説明」には、議員からも「あれは誰なんですか」「討論は許されませぬ」などと野次が続々とあがり、議場は大きく混乱する。
そこにしびれを切らした佐藤中佐が、「黙れ!」と声をあげたのだ。
もちろんそうした発言は許されなかった。「黙れとはなんだ」などという野次も相次ぎ、板野議員や委員長から発言の取り下げを求められた。
佐藤中佐は撤回に応じ、そのまま議場を退出した。

本人の弁明は

帝国議会議事録より。「黙れ」は削除され伏せ字になっている
戦後、A級戦犯となった佐藤氏は文藝春秋(1955年8月号)に「総動員法問答事件」を寄稿。
「黙れ」は、議員だった知り合いに向けたものだった、と弁明している。
「宮脇長吉議員がにわかに立って『委員長、この者にどこまで答弁を許すのですか』と食ってかかった」
「委員長が私に続けろと指示したので、私は説明を続けたところ、宮脇議員がまたガナり立てて私の説明を妨害したので、堪忍袋の緒を切って『黙れッ、長吉』とノドまで出てきたのだが、場所柄を考えて『黙れッ』だけいって、あとの『長吉』を飲み込んだ」
この宮脇議員は元陸軍大佐。退役後に政治家となり、立憲政友会に所属していた。
佐藤氏の先輩でもあったと、息子である作家・俊三氏が著書で振り返っている(「私の途中下車人生」)。

陸相は「遺憾の意」

1938年3月5日の読売新聞
先出の通り、発言については当時の杉山元・陸軍大臣が翌日にこう言及している。
「部下の言葉遣いに穏当を欠くものがありましたそうでありますが、この点は誠に遺憾に存じております。なお、今後において注意いたします」
陸軍では、年次と階級の上下は大きな意味を持っていた。軍の先輩で、しかも現役時代の階級が上だった国会議員に対する発言だったにもかかわらず、それ以上問題視されることはなかった。
また、佐藤中佐が処分を受けることもなかった。この事件の4ヶ月後には、大佐に昇進。宣伝広報活動や新聞検閲などを担う陸軍省新聞班長に就任している。
1938年7月16日の読売新聞には、佐藤氏の満面の笑みの写真が掲載されている。記事の見出しは、「『黙れ』から『話そう』へ」だ。

この事件の持つ意味とは

「黙れ事件」は、軍部が政治を軽視する体質を現した象徴として捉えられることが多い。
一部始終を目撃した国民新聞の木道茂久記者は戦後、自身の手記に「偶発的な失言ではない」と記しているという(読売新聞、1971年6月11日)。
「あれは決して偶発的な失言などではなく、傲慢無礼な佐藤の一言は、陸軍の政治上の態度を端的に表現したものであり、委員会の空気は当時における軍部ファシズムと、政党内部に残存した自由主義との対立相克の集中的表現であった」
一方で佐藤氏は、そうした見方をこう一蹴している。
「この事件を世間では大きく取り扱いすぎる感があった。まるで陸軍が議会を圧迫し、その勢力を衰退させたかのようにいったのである。実にばかげたことである」
果たして本当に、「ばかげたこと」だったのだろうか。
「黙れ事件」からひと月ほどして、国家総動員法は成立した。日本がその後、どんどんと戦時体制に入り込み、敗戦への道を突き進んだことは、言うまでもない。
4/18 BuzzFeed News







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事態は深刻 (一読者)
2018-04-19 10:00:45
制服組トップの河野克俊統幕長のこれまでの発言についてwikiの記述を読むと、安倍政権は河野氏の文民統制の原則に反する言動を野党から批判された際に「問題ない」などとかわし続けてきました。野党の追及に反論することが主眼となってしまうあまり、文民統制を覆すような自衛隊内の言動に目をつぶるとか気を配っていなかったという様子がうかがえます。今回も防衛大臣は「若い隊員なので様々な思いがあり国民の1人として当然思うことはある」などと隊員をかばうような発言を会見でしていましたが、まさにこのような態度が自衛隊員を増長させ文民統制軽視の風潮を蔓延させる一因にもなっているように思います。
自衛隊中枢である統幕の幹部に今回の暴言自衛官のような人物が配置されているような状況を放置すると、最高司令官である総理大臣の命令に違背する事もいとわない自衛隊に変貌する危険性があります。
今回の暴言自衛官を厳重に処分することは一罰百戒で効果的のように見えますが、それだけでは面従腹背の隊員が見えにくくなるだけで却って事態を悪化させる危険性もあります。
「ネトウヨ低能アイドル」研究員などとは既に深刻な事態です。政府、与党こそ今回の事態を深刻に受け止め、これまでの自衛隊に対する甘い態度を反省して、文民統制が十分に機能するよう隊員の教育人事等について対策を真剣に講じる必要があると思います。
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