逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

日航機123便の闇をスルーするマスコミ

2021年08月12日 | 社会・歴史

『米軍管轄する「横田空域」 返還されれば羽田-伊丹が30分に』2014.10.01 NEWSポストセブン ‎

関西や九州など西日本から羽田に向かう飛行機は、そのまま空港に一直線に着陸せず、グルッと千葉方面から回り込んで高度を下げる。羽田から西へ向かう場合も、わざわざ東京湾上を旋回してから向かう。
「ずいぶん遠回りするなァ」と舌打ちする利用者は少なくないはずだ。
原因は首都圏上空に存在する巨大な「見えない空の壁」にある。そこを飛び越えたり、 回したりするため、戦後70年、民間航空機は遠回りを強いられてきた。
空の主権が奪われたままであることにより、我々は大きなコストを支払わされている。
これが日本の政治家、官僚がタブー視して触れない「横田空域」問題である。
横田空域とは、東京・福生市にある米軍横田基地の上空を中心に広がる空域のことだ。
戦後、連合軍が日本の空の管制権を掌握した後、日米地位協定に基づいてそのまま米軍が管理することになった。現在、米軍管理下の「横田管制」が空域を管理している。
「横田」という名で誤解しそうだがその管制空域は神奈川県や静岡県、北は新潟県まで1都8県にまたがる。そして最高高度は2万3000フィート(約7000メートル)もある、まさに「見えない空の壁」なのだ。
米軍の管制下にあるとはいえ、日本の領空であることは間違いない。日本の民間航空機がそこを通ることはできないのか。航空評論家の秀島一生氏が解説する。
「事前にフライトプランという航行予定表を米軍の横田管制に提出して、許可されれば通過することは可能です。
しかし、民間航空会社が定期便のルートにすることは現実的ではない。
通過するたびに申請しなければならず、時によっては通れない可能性もある。横田空域を定期便のルートにすることは事実上、不可能なのです。だから各航空会社はこの空域を避けるルートを設定している」

アメリカ軍横田空域を飛行した垂直尾翼が無い日航機123便

36年前の今日。1985年8月12日乗員乗客520人が死んだ単独事故として史上最大の被害者が出た日航機123便は東京(羽田空港)から大阪(伊丹空港)に向かって離陸したが相模湾上空を巡行飛行している時に、垂直尾翼が脱落してエンジンの出力以外のすべての操縦系統が失われた。ところがパイロットはダッチロールを繰り返しならが必死に操縦していた空域とはアメリカ軍が管理する横田空域だった。日本の飛行機はアメリカ軍に無断で飛行することが出来ないのである。

アメリカ空軍輸送機C130が垂直尾翼の無い日航機123便を追尾して、長野県と群馬県の県境の山岳地帯に墜落炎上する一部始終を目撃して管制に連絡、すぐさまアメリカ海兵隊の救助ヘリが発進、墜落現場に駆け付けて上空でホバーリングしたヘリコプターから救助チームの緊急降下する直前「自衛隊の救助隊が現場に向かっている」との連絡を受け米軍基地に引き返す。

この時墜落現場には多数の瀕死の重症者がいたが、いくら待っても日本の自衛隊の救援隊は助けに来ない。結果的に翌日に救助された女性4名を除く520名が死んでいるが、自衛隊の犯罪的サボタージュは明らかなのである。

ゆっくりと穏やかに死につつある今の日本とは大違いで、36年前の日本は超大国アメリカをも脅かすほどの世界第二位の経済大国として繁栄していたし当時の日本共産党は選挙のたびに倍々ゲームの勢いで議席を増やしていたのである。当時の共産党は怖いもの知らずで果敢にタブーに挑戦、自衛隊による救助活動のサボタージュ(故意の妨害)を他の大手新聞が沈黙する中で一人共産党機関紙赤旗だけが詳しく告発していたのである。

★注、墜落事故から10年目の節目の1995年に、それまで米軍による緘口令で沈黙していたアメリカ軍C130輸送機の当該パイロットによる精細な体験談(暴露話)がアメリカ軍準機関紙スターアンドストライプに載って一旦は日本中が大騒ぎになったが、何故か尻すぼみ。今のマスコミや御用識者は「知らぬ。存ぜぬ」見ざる聞かざる言わざる。不真面目にも全員が知らないふりで押し通しているのですから腹が立つ。

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スルーしすぎなのかも=上田岳弘(作家)

ある著名な落語家の方とお話をしたときに、「どれだけ話題になったとしてもその効果が続くのは3年」とおっしゃっていたのが印象に残っている。日本中が熱中したドラマ、スポーツの世界記録、あるいは歴史的発見。そのニュースが一世を風靡(ふうび)したとして、世の中は移ろいやすく、いつもどこからか新しいものが生まれる。10年ひと昔という慣用句があるけれど、インターネットが普及した今は、我々がさらされる情報の量は爆発的に増え、流れ去っていく速度は増すばかりだ。半年前や1年前に話題になっていたことを今調べてみると既に隔世の感を覚えるものも少なくない。

その代わり、と言ったら変な言い方だけれど、情報の鮮度が落ちるのは早いわりに、一度確立されたブランドや権力がいつまでも残っている。新たに生まれたものはさっさと流れていってしまうから、表層は変わっても結局は古い因習めいたものがずっと社会の底に残り続けていて、その傾向はインターネット普及の前よりも一面では強くなっているのではないか。これは、真偽不確かなものに踊らされないように、我々がスルースキルを鍛えた結果かも知れない

 
 
 
 
 

墜落から20分で米軍救助ヘリが到着、救助隊員は現場に降下していたが、その後自衛隊が引き継ぎ地元警察や消防、報道陣に対してニセの墜落情報で引きずり回して16時間もの間、遭難者の救助を遅らせる。(★注、①から⑥の番号は日本の自衛隊が発表した偽の墜落現場。日航機の墜落現場では森林火災まで起きていたのですから遠くからでも確認できた)

墜落事故の救助を指揮した自衛隊は、地元住民の目撃情報を無視して一切救助活動には生かされない。

元々、日本のマスコミの全部が政府権力のアンダーコントロール「大本営発表」だった

520人が死んだ墜落現場は決して人跡未踏の秘境では無くて首都圏の近郊であり確実な目撃者たちがが何人も、多数存在していた。ところが自衛隊が全部握り潰す。もちろん自衛隊だけではなくて警察もNHKなどマスコミも有識者も一致協力、隠蔽したのである。
その後は『挙国一致』で現在まで36年間も『見ざる言わざる聞かざる』で隠し続けたのですから怖ろしい。呆れ果てた話である。

墜落から30年目NHKスペシャル 『日航ジャンボ機事故 空白の16時間』2015年8月1日 明らかになった数少ない真実の断片


中嶋初女さん67歳長野県川上村梓山居住が書いた墜落後の高原天山の尾根に立ち上がった煙と火(NHKスペシャル日航ジャンボ機事故:空白の16時間~"墜落の夜"30年目の真実)

520人が死んだ墜落現場は決して人跡未踏の秘境では無くて首都東京から100キロ程度、首都圏の近郊であり確実な目撃者が何人も存在していたことが30年後のNHKスペシャルで明らかになる。

なんと、日航機の墜落から十数分後には地元警察に幾つもの正しい目撃情報が通報されていたが、全て無視されていたのである。
しかも、一番驚いたのは(警察や自衛隊などの官僚組織の「情報」だけでは無くて)30年間も何故かNHKも民報も新聞社も、日本中のマスコミ全員が挙国一致、一つの例外も無く『横並び』で無視していた。
地元住民の多数の『確実な目撃情報』が挙国一致で一律に『報道もされない』など、あまりにも不思議すぎるのである。

このような驚愕の目撃情報は、話題が少ない田舎の小さな村落では秘密どころか全員で大騒ぎになるので、例え全国紙が無視したとしても、普通ならば地域密着型の地元紙が詳しく報じる。ところが地方紙までが挙国一致『大本営発表』の悪事に全面協力して隠蔽して、このNHKスペシャルが初めての報道なのですから驚くやら、呆れるやら。

1985年8月12日の18:56分(当日は明るくて、まだ十分目視ができた)に高天原山と三国山の間の尾根に墜落した日航機

5~6人の川上村の住民たちが頭上を日航ジャンボ機が飛び去って県境の尾根に墜落した時の衝撃音や閃光、大きな爆発のきのこ雲まで目撃していたと証言している。
もちろん、すぐさま地元警察(駐在所)にも墜落を連絡したにもかかわらず、現実には長野県北相木村、長野県南木村、そして群馬県上野村の山や尾根が捜索の対象となり、いわゆる御巣鷹の尾根(=高天原山と尾根で三国山の尾根の近く)であることが判明するまでにはNHKスペシャルによれば16時間も要したこととなっている。(★注、墜落から、実際に遭難者が自衛隊に救助されるまでなら18時間以上も放置されていたのですから瀕死の重症者は助からない)
3県県境の三国山周辺では長野県川上村の梓山地区だけが畑や水田がある唯一の開けた場所で、住民も多いし交通の便も良い。墜落した日航機123便は住民たちの頭上を通って山体に激突、大炎上していたのですから目撃者がいても当然だったのである。



悪魔の碾き臼である新自由主義(小泉竹中)を批判し、胡散臭い「痴漢事件」で逮捕された植草一秀。(森永卓郎と二人で政府事故調ボイスレコーダー「文字起こし」の『オールエンジン』が『オレンジエア』だと主張している)

『ボイスレコーダー音声「オールエンジン」の怪』2019年1月17日 (木)植草一秀の『知られざる真実』

日航ジャンボ機123便墜落事件に関し、謎を解く最大のポイントが、123便の衝撃音発生直後にコックピットで発せられた言葉にある。
8月12日18時24分に大きな衝撃音が発生した直後に、コックピットのフライトエンジニア(航空機関士)が重大な言葉を発している。その言葉は「オレンジエア」(空自の隠語で空対空ミサイル)である。
(抜粋)

植草一秀は今年も懲りることなく「オレンジエア」(対空ミサイル)だとする不気味な記事を掲載しているが???わざと自分の信者たちを迷宮に誘い込む態度は不可解。(★注、ただし、植草一秀もやっと自分の致命的間違いに気が付いたのか去年とは大違い。今年は「オレンジエア」(対空ミサイル)説を以前ほど強調していない)


政府事故調(文字起こし)は「オールエンジン」だが

youtubeで何回も聞いて確認したが、政府事故調(文字起こし)の『オールエンジン』も植草一秀や森永卓郎の『オレンジエア』も無理筋(強引過ぎるこじつけ)一番近いのは『オールギア』(日航ジャンボ機のすべての着陸用の格納タイヤ)の意味であろう。すべての着陸脚(ランディング・ギア)の意味で、胴体首脚(ノーズ・ギア)と主翼下の主脚(ボディギア)の両方を指している。
そもそも発言したのは前面に座る正副操縦士ではない。後部席で飛行中の機体の管理を受け持つ航空機関士(フライトエンジニア)日航機は遭難時に一瞬だけ白煙が出たとすれば8000メートル以上の高空で圧力隔壁が破壊されたのではなく尾翼脱落の衝撃で着陸足(オールギア)が出て与圧が少し漏れたのである。

生存者の証言と一致するのは「オールギア」だけ

日航機は『御巣鷹の尾根』に墜落するまでエンジンだけは最後まで正常に動いていたのですから、政府事故調の『オールエンジン』(すべてのエンジン)では意味不明。植草一秀や森永卓郎の『オレンジエア』(空自の隠語で空対空ミサイル)はもっと意味不明で、そもそも自分の方向に飛んでくるミサイルは肉眼では見えない。また、たとえ見えたとしても極小さな円形では咄嗟にミサイルだと理解出来ない。(★注、長さは2メートル以上あるが直径は20センチ程度しかない)

半世紀前の台湾海峡危機での中国軍ミグ15戦闘機に対するアメリカ製対空ミサイルのサイドワインダーのように、戦闘機パイロットでも目視は不可能なのですから民間航空機のフライトエンジニア(航空機関士)ではもっと無理なのである。それは通常の人間の能力を、はるかに超えている。(★注、ミサイルの噴煙は見えるが発射直後の数秒だけで、その後は惰性で飛び着弾時には本体だけだから敵機を撃墜できる。実は機銃とは意味が違い対空ミサイルとジェット戦闘機の速度はほぼ同じ程度なので、もしも植草や森永卓朗の主張するようにミサイルが「見える」なら、戦闘機は操縦性能や機動力が大きく上回るのでミサイルを回避できるので撃墜出来ない)

日航機が「御巣鷹の尾根」に墜落して15年後2000年に赤旗記者にもたらされたボイスレコーダー(CVR)

アメリカ連邦航空局(FAA)やボーイングの社の意向で圧力隔壁修理ミスの政府事故調に合わせて改竄されたと、2000年テレビ各局が報道したCVR(コックピットボイスレコーダーのコピー)は、日本共産党機関紙赤旗記者(現在はフリージャーナリストの米田憲司)にもたらされたボイスレコーダー(CVR)が元ネタ。つまり1999年にCVR(コックピットボイスレコーダー)は運輸省によって廃棄されている。

2000年にボイスレコーダーのコピーを受け取った米田憲司は『事故調が編集・改竄した』とハッキリと断言。!

もし米田憲司がいうように『事故調が編集・改竄していた』が事実だったなら、ユーチューブのCVR(コックピットボイスレコーダー)コピーを聞いて、「オールエンジン」だ「オールギア」だ「ボディギア」だ「オレンジエア」と論争してもまったく何の意味も無いことになる。
改竄する前のオリジナルのCVRでないと時間の無駄なのである。(★注、しかしオリジナルは運輸省によって既に廃棄されている)

極悪リベラルメディアによる悪質な情報操作(世論誘導)

1985年に相模湾上空で突然垂直尾翼が脱落して520人が死んだ日航機123便墜落事故では10年後の節目の1995年にはアメリカ軍準機関紙がC130パイロット証言として自衛隊の救助活動のサボタージュが暴露される。

同じく事故から15年目の2000年には運輸省の内部告発によって赤旗記者が墜落した日航機123便墜落事故の一番大事な証拠物件であるボイスレコーダーの改竄や破棄されたことが明らかにされている。

30年目の節目の2015年にはNHKの特ダネとして、何と30年間も挙国一致でマスコミが丸々隠し続けていた長野県梓山地区の地元住民による墜落時の衝撃の目撃証言が飛び出した。

59年前の1962年にハワイやニュージーランドなど広く南太平洋で数百万人以上が目撃した宇宙空間の核実験で生まれた「巨大なプラズマの火球や真昼のように輝く人口オーロラ」を丸ごと隠し続けていた極悪リベラルメディア。NHKが長野県のド田舎の目撃者6人の住民と通報を受けた駐在所の口を30年間封じるなど赤子の手をひねるよりも簡単だったのである。(★注、しかしナショナルジオグラフィックは人類最初の核爆弾ヒロシマの76回目の記念日である8月6日に一転して59年前の驚愕的事実を公開。何かが水面下で大きく動き出している)

時間はかかるが今後日航機123便墜落の全ての真相が明らかになることを期待して待つことしか出来ないのだろうか。(徐々にではあるが確実に真相は暴かれつつあるが・・・)マスコミを報道機関だと信じている人は多いが、その実態は権力と一体化して情報操作や世論誘導のための組織であり、一番大事な仕事は不都合な情報の隠蔽工作だった(★注、この事実は未曾有のパンデミック禍での安全安心。何の心配もない2020東京オリンピックの開催でマスコミの欺瞞が満天下に明らかなった。両者は完全にバッティングしているのですから、一方が正しければ、必然的にもう一方は間違っている。理論的に両方が「正しい」ことは有り得ない)



謎を解く鍵は無関係に見える「御巣鷹の尾根」の名前に隠されていた

地名として現在でも御巣鷹の名前は決してメジャーではなくて、墜落地点の『御巣鷹の尾根』以外では東京電力が所有する『御巣鷹山トンネル』ぐらいなのである。
群馬県と長野県を結ぶ御巣鷹山トンネルは日本最大の揚水ダムの為に東京電力が建設して、完成後には地元住民に開放される約束だったが現在でも閉鎖されたまま。
写真↑が示すように長野県側は御巣鷹トンネルの入り口まで行けるが、群馬県側はトンネルの遥か手前で一般の通行は禁止されていて近づけない。
上池の長野県の南相木ダムは日本のダムとしては一番標高が高くて1532メートル。下池である群馬県の上野ダムとの揚水発電で日本最大の282万キロワットもの最大発電能力を持つが、この二つを結ぶのが御巣鷹山トンネル。
なんと、520人が死んだ日航機の墜落地点(御巣鷹の尾根)とは、世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原発や未曾有の核事故を起こした福島第一原発を所有している東京電力が地権者だったのである。
そもそも夜間に余った電気で揚水して昼間に発電する『揚水発電』とは原発の付属施設なのである。
臨界に達した原発は簡単には止めれない。1年間動かしたままになるので電力需要が下がる夜間には無駄になる。原発を稼動させるとエネルギーの浪費だとは知っていても仕方なく毎日毎日揚水して電気を消費する必要性が生まれる。
フクシマの核事故以後には東京電力管内では原発は一切稼動していないのですから、揚水発電所の存在自体がまったく無意味。完全に無駄。丸々『無用の長物』

日航123便ボーイング747ジャンボ機の危険な放射性物質の積荷

1999年の東海村臨界事故や2011年の福島第一原発事故での放射能汚染以外に、1985年に東京から100キロ圏で誰にも知られることなく、もう一つの放射能汚染が起きていた可能性が高い。
2004年8月13日、在日米軍(海兵隊)の大型輸送ヘリCH-53Dが沖縄国際大学に墜落する。
米軍基地の外側であるにも拘らず事故直後アメリカ軍が現場を封鎖し、事故を起こした機体を搬出するまで日本の警察・行政・大学関係者など、日本人は現場に一切立ち入れなかった。
当該機のローターブレードにはストロンチウム90が部品として使われており放射性物質による汚染が心配されたので封鎖したのである。
1985年8月12日、524人が乗った日航機が御巣鷹の尾根に墜落するが、自衛隊が意識的に偽情報をばら撒いた。
警察や消防、地元救助隊やマスコミなど文民や民間人の墜落現場への立ち入りを妨害した自衛隊の目的(理由)は、普天間の海兵隊ヘリ墜落時に現場を一時的に封鎖した米日米軍と同じだった。
放射能汚染を心配していたのである。
当時の日航123便「JA8119号機」の機体には、振動防止の重し(バランス・ウェート)として200キロ以上の大量の劣化ウラン(ウラン238)が使われていたのである。
墜落事故発生の翌年の1986年(昭和61年)1月3日(金)、『日航ジャンボ惨事 墜落機に大量のウラン 200キロは未回収のまま』としんぶん赤旗が報じている。
機体のウランの重り以外にも、墜落した日航機にはラジオアイソトープを含め合計92個、容器も含めた重量239キロもの放射性同位元素が積荷として持ち込まれていた。
日航機が御巣鷹に墜落した1985年8月12日の2日後の1985年(昭和60年)8月14日(水)に、『医療用アイソトープ  92個積む 事故機』(毎日)『積み荷の中にアイソトープ 「危険なし」確認』(山陰)『積み荷に放射性同位元素 関西の病院へ輸送中』(赤旗)と報じている。

日航123便の放射性同位元素の積荷の危険度

墜落機には、京都大学放射性同位元素総合センターや大阪大学など関西の大学や研究所に向けて、日本アイソトープ協会(72個の梱包)と医薬品メーカー2社(20個の梱包)など14核種の放射性物質が積み込まれていた。
しかし科学技術庁は積まれていた放射性物質の種類や量などについて何年間も正式な公表をしていない。
14核種のうちの半減期12・3年のトリチウムや半減期5730年の炭素14は格納容器が壊れると昇華して大気に放出される。
公表されたヨウ素131(半減期8.05日)ヨウ素125(半減期60.2日)ガリウム67(半減期77.9時間)モリブデン99(半減期67時間)リン32 (半減期14.3日)などの多くは医療用に使われガンマ線を出すので測定し易い。
しかし事故後何年も公表されていなかった核種には、プルトニウムと同様に極めて毒性が高いアメリシウム241などの(測定し難い)アルファ線やベーター線を出す核種が含まれていた。
積み荷の放射性物質の総放射能量は約162ミリキュリー。
うち回収されたものは、およそ65%の約105ミリキュリーで他の57ミリキュリー(21億9百万ベクレル)は環境に放出した。容器の数では総数281個のうち回収されたのは68個。

日航機の248キロのウラン

重金属としてのウランは比重19でタングステン製(比重19.1)に匹敵し鉛(比重11.3)の2倍近く重いので尾翼などの機体の振動を防止するための重りとして248キロも日航機には使用されていた。 
積まれていた放射性物質は200キロのラジオアイソトープだけではなかったのである。
重りとして使用された劣化ウラン(ウラン238)は腐食が激しく、半減期が45億年でアルファ線とガンマー線を出し、放射能毒性に加え化学毒性もある。
劣化ウランは金属ナトリウムに似た可燃性の金属で150~170℃の低温でも激しく燃える。(粉末では自然発火する)
危険な劣化ウランの重りはボーイング747に経費削減の為に使われていたが、事故当時には他の多くの飛行機に使われていたらしい。
事故後に日航は、安全のため機体に使われているウランをタングステン製に取り替え、新たに作る機体にはウランは使わないとしている。

全ての謎は「放射能汚染」に関連していた

折角救難ヘリからロープで降下中に、突然御巣鷹の尾根から撤退した在日アメリカ軍の不思議も、次々偽情報をマスコミに発表して地元の救助隊やマスコミを墜落現場から遠ざけた原因の不思議も、翌日の10時まで墜落現場への降下を遅らした自衛隊の組織的なサボタージュした不思議も、山腹へ激突して炎上した機体からの劣化ウランとか放射性同位元素の汚染濃度が、少しでも下がるのを待っていたと考えれば、全ての辻褄がぴったりと合ってくる。
墜落事故直後に日航は事故機に劣化ウランが使われていると当局に伝えた。
1時間半後には日本アイソトープ協会から警察に放射性同位元素の情報が伝えられている。
墜落事故発生の当初から、科学技術庁原子力安全局は日航機の墜落では、『放射能汚染』を心配していたのである。
墜落して5時間後の13日未明には、早くも放射性物質輸送に関係する各省庁で構成された『放射性物質事故対策会議』が設置されている。
お役所仕事とは思えない手際のよさ。
13日0時55分、災害出動要請の陸上自衛隊東部方面総監部にも『この情報は必要なところ以外流すな』という但し書きつきの『放射能汚染』情報が知らされている。
東部方面総監部は夜間の救助を断念、密かに大宮の化学防護隊に応援を依頼していたという。
総監部からの情報で現地の第12師団では隊員にたいし、『現場付近に到着しても、別命あるまで現場には立入るな』と厳命する。
放射性物質が大丈夫と確認されたのは墜落から10時間25分後の8月13日午前4時50分だった。
時間が経過したあとでも、現場の地表面で自然界の数十倍の最大3ミリレントゲン/時の放射能汚染が明らかになっている。(墜落直後はもっと高濃度だった)
事故対策会議が放射能汚染が『救助活動に支障無し』と発表したのは自衛隊が墜落現場を御巣鷹山と確定した11分後の8月13日4時50分だった。
しかし慎重な自衛隊は動かない。
慌てず騒がず、救助隊が習志野の駐屯地を出発するのは通常勤務の8時で、実際に現場に降下するのは9時近い。
自衛隊は放射能汚染を心配して(隊員の安全と健康を最大限考慮して)、出来る限り救助の開始時間を遅らしたのである。
(当時は快晴で5時前には十分明るく救助活動に支障はない)
科学技術庁が情報を出し渋った為に、総重量239キロのアイソトープの搭載が分かったのは墜落事故から2日後の14日だった。
日航機に大量の劣化ウランの重りが使われ、大部分が墜落で失われていたことが判明したのは事故から8日後の8月20日だった。
墜落事故で飛散したラジオアイソトープなど放射性汚染物質の危険性についての情報が、救助現場の自衛隊員に伝わったか如何かは不明。
御巣鷹山の日航機の墜落現場では、深刻な放射能汚染の事実をまったく知らされなかった何千人という警察や消防、報道関係者など文民や民間人が活動していたのである。
日航機123便墜落に伴う放射能汚染についてマスコミ報道は、報道総量の膨大さとは対照的に、お座成りであり到底十分ではなかった。
日本のマスメディアは、何故か『放射能汚染』には最初から腰が引けていたのである。

「山」抜きの「御巣鷹の尾根」の謎

当時のマスコミ発表では、墜落地点は常に長野県側の扇平山や御座山だった。新聞やテレビニュースでは長野県の山岳地帯に墜落したと報じていたのです。
一番最初に群馬県側の『御巣鷹山』の名前がマスコミに出て来るのは読売新聞で、日航機が墜落した翌日の8月13日の2時ごろ。(この時点では自衛隊は御巣鷹の名前を一切出していないので不思議だ)
墜落現場は地元の上野村村長が後に、『御巣鷹の尾根』と正式に命名して確定している。
ところが、地図も見れば一目瞭然だが墜落地点の尾根は、御巣鷹山には少しも繋がっていない。
墜落現場の『御巣鷹の尾根』からは、困ったことに『御巣鷹山』が少しも見えないのである。
しかも日航機が墜落するまで地元でも『御巣鷹』の名前は東京電力が所有する『御巣鷹トンネル』ぐらいで決してメジャーではない。
山としては何の特徴もなく、まったくの無名。
そもそも1639メートルの御巣鷹山の三等三角点は存在するが、長野と群馬の県境の主稜線の1922メートルのピークから派生した支尾根の小さな突起程度で山の形を成していない。
墜落現場は1978メートルの二等三角点がある高天原山である。
この付近で一番有名なのは三国峠から簡単に登れて群馬長野埼玉3県の県境にある三国山1838メートル(一等三角点)で距離的にも御巣鷹山より若干近い。
墜落地点の地名として誤解を与えてしまうので、『御巣鷹の尾根』の名称は不適当なのである。
世紀の大事件の名前が、何故まったく無関係で無特徴、誰も気が付かない無名のヤブ山である御巣鷹山に確定したのかは、『謎である』としか言いようが無い。

御巣鷹の尾根命名者の黒沢丈夫上野村村長

日航機123便は墜落直後に米軍や自衛隊によって、正確な墜落地点は特定されていた。
ところが不思議なことにNHKニュースは墜落現場について最初は10キロほど離れた群馬県上野村小倉山、上野村と長野県の県境のぶどう峠、長野県の御座山などと二転三転する報道を行った。
当時の上野村村長は元零戦パイロット(元海軍少佐)で本土決戦の為に敗戦3ヶ月前にシンガポールから日本本土に転属して命拾いした経歴を持つ黒沢丈夫だった。
黒沢元村長をはじめ、救援にあたった地元上野村の救助隊は今でも自衛隊やマスコミの動きに疑問を感じている。
黒沢村長が自衛隊発表に不信感を抱い原因は、大火災が発生している(目立ちすぎる)墜落地点の致命的な計測ミスが『なぜ連続的に発生したのか』に尽きる。
零戦が活躍した第二次世界大戦の時代でも墜落地点の特定は可能なのです。
最新技術を持つ自衛隊が『墜落地点が特定できない』などは絶対に有り得ないのである。
それなら、何故、墜落現場の特定が遅れたのか。
自衛隊だけが特別で、まったく別々のパイロットが全員一致で『同じ過失』(勘違い?)を連続して繰り返していたのである。
それなら、過失で『遅れた』わけではない。
救助隊を分散させ、十数時間にわたって、御巣鷹山に誰も近づけないようにする為に、自衛隊は組織として意識的に『遅らされていた。』可能性が一番高いのである。
生存者の証言によると墜落直後には周囲で沢山の遭難者の声が聞こえていた。ところが時間と共に全ては無駄に失われて仕舞う。
黒沢丈夫上野村村長は救助の遅れの原因となった自衛隊に対して怒りを隠さなかったという。(★注、日本の自衛隊が本当に「衛」っているものは自分自身だったとの不真面目で腹立たしいオチ)

36年前の今日。1985年8月12日,日本航空123便墜落事故。群馬県多野郡上野村の「御巣鷹の尾根」に,ジャンボジェット機が墜落。520名が死亡,4名が生還した。
 
動画は,事故発生直後のANNニュース速報。
 
 
この1985年8月12日夕方のANNニュース速報(★注、時間の記述が無いが、たぶん、1~2時間以内)ではアナウンサーが日航のジャンボ機が行方不明になったが、長野県警に入った情報によると長野県南佐久郡臼田町の警察署に一般市民から7時5分ごろ、群馬県との境に飛行機が落ちた。なにか、セスナ機より大きいような飛行機で、旋回して落ち、黒煙が上がった。またこの日航機から機体の右側ドアが故障したので緊急降下すると連絡した後消息を絶ったとの情報が第一報として語られている。

「群馬県との境に飛行機が落ちた。なにか、セスナ機より大きいような飛行機で、旋回して落ち、黒煙が上がった。」
 
不自然な日航機123便失踪直後のANNニュース速報での、歯切れの悪いアナウンサーとしては不可解な言葉使いから分かることは、明らかな伝聞情報の類である。(★注、川上村梓山地区の目撃者の第一情報ではなくて、それを電話などの又聞きした臼田町の住民からの「伝言ゲーム」のような警察署への通報)
墜落直後のANNニュース速報の長野県南佐久郡臼田町と日航機墜落から30年後のNHKの特ダネの目撃情報の長野県南佐久郡川上村の梓山地区とは30キロほど離れているので、日航機が墜落炎上する現場を目撃した梓山地区など地元の住民たちは大騒ぎして友人知人に電話をかけまくっていたことが伺える。
 
ところが極悪NHKや破廉恥な自衛隊は「長野県側に落ちた」とのデマを繰り返し流すことで情報攪乱を行ったので地元救助隊の警察や消防団などが大混乱に陥ってしまう。
 
遭難事故は常に一つの例外もなく「突発的」で「想定外」

当事者にとって、突発的で想定外の遭難事故では現場の人々が右往左往するし報道は錯綜するのが普通で、ANNによる第一報に一部不可解な部分「セスナより大きいような飛行機」があるのは「伝言ゲーム」なので仕方が無いのである。たぶん、最初の南佐久郡川上村梓山地区住民による目撃証言の「セスナなど比べられないほど大きな飛行機」だったものが「比べられないほど」が途中で抜け落ちたのだろう。
しかし、大筋においてANNの第一報は一番正確な日航機123便墜落報道だった。
日航機123便墜落36周年の記念日の8月12日にこのANNニュース速報(動画)を掲載した渡邊永徳ですが、もちろん墜落から30年目のNHKスペシャルの不思議(挙国一致の情報操作と隠蔽)を知っているのである。(★注、ただし、他のマスコミはNHKの「すっぱ抜き」を嫌がって誰も後追い報道を行っていない。赤旗を含めすべてのメディアは不真面目にも「知らぬ。存ぜぬ」で押し通している)

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2 コメント

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ジャンボ生存者見殺しの謎解き? (ローレライ)
2021-08-12 20:12:38
ジャンボ生存者を見殺しにする国策の謎解きは未だスッキリか!
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フクシマ原発汚染の予行事件 (ローレライ)
2021-08-14 10:56:33
劣化ウラン搭載のジャンボ墜落事故は、フクシマ原発危機の予行事件でもあったが自衛隊は放射能に対応した装備はおざなりの状態を続けた!
返信する

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