逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

政治科学テクノロジーが14世紀まで逆戻り

2024年03月04日 | 社会・歴史

歴史を動かす感染症と手洗い

パンデミック 

ギリシャ語で「すべて」を意味する「パン」と、「人々」を意味する「デモス」を語源に持つ。ある病気が世界中で大規模に流行し、制御不能になった状態を指す

歴史に記述されている世界最初の「パンデミック」ビザンチン帝国(東ローマ帝国)ユスティニアヌス帝の疫病

ユスティニアヌス1世(在位:527- 565年)のモザイク画(ラヴェンナ・サン・ヴィターレ聖堂)この肖像画からも分かるように当時のビザンチン帝国皇帝がキリスト教最高権威(教皇)とを兼務する政教一致の神聖帝国だった(★注、今でもイギリス国教会トップはイギリス国王が兼任しているように「政教一致」は当時としては普通で、西ローマ帝国が早期に滅亡して世俗権力と宗教勢力が切り離されたカトリックのバチカンの仕組みの方が異端だった。敗戦までの日本の政教一致の絶対天皇制も先祖返りの一種)

ユスティニアヌスのビザンチン帝国はローマやスペイン北アフリカも支配した

「ユスティニアヌス帝のペスト」

遺伝子工学による研究によれば、ペスト菌のDNAは、その起源が中央アジア(天山山脈)にあることを示している。このことから、フン族などの遊牧民族が、中央アジアから東ヨーロッパへとペスト菌をもたらしたと考えられる。

東ローマ帝国の歴史家プロコピオスによると、この疫病は、西暦541年にナイル川河口に位置する都市ペルーシウムで始まった。

当時、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルは、エジプトから海路、陸路を通じて大量に穀物を輸入していた。その貨物の中にペストを保菌したノミやネズミが紛れ込んでおり、それがコンスタンティノープルでの流行に繋がったと考えられている。(★注、ヨーロッパの東側にあるペルシャ帝国のパンデミックはビザンチン帝国より遅いのでペスト菌は中国「天山山脈」方面からの伝播ではなくアフリカ赤道付近からの可能性が高い)

プロコピオスの記録によれば、コンスタンティノープル(人口30万から50万人)で1日に最大1万人が命を落としたとされる

野心的だが最終的には失敗した「帝国の再建」(renovatio imperii)

ローマ帝国再建と言う野心を掲げガリア(フランス)やイギリス遠征を予定していたユスティニアヌス1世の東ローマ帝国は、疫病の蔓延によって農民人口減少、穀物の生産量や税収も減少、政治的にも経済的にも甚大な被害を受けた。国力が衰えた東ローマ帝国は、「帝国の再建」どころか逆に周辺の様々な民族からの侵攻を許す結果となった。1204年第4次十字軍によるコンスタンティノープルの破壊と略奪で一旦東ローマ帝国滅亡。その後再建されたがオスマントルコのコンスタンティノープル陥落で完全に終焉する(★注、東ローマ帝国(東方正教)はローマカトリックを同じキリスト教と見做し保護した。ところが、逆にバチカン側は「正教」を異教徒や異端扱いで徹底的に教会施設を破壊し聖職者を大虐殺。暴虐の限りを尽くす)

ペルシアの位置
西暦620年頃のサーサーン朝ペルシャ(ゾロアスター教)の最大版図

ゾロアスター教を国教とした独自のペルシャ文化を誇るサーサーン朝帝国は、東方キリスト教(正教)のビザンツ帝国と3世紀にわたって激しく覇権を争った。このために両帝国の係争地の中東パレスチナ地域が疲弊したが、ペストのパンデミックでペルシャ本国も弱体化、通商や交易路も荒廃してしまう。それに代わったのが、(イスラム教では礼拝時の「手洗い」を戒律として厳格に守る)アラビア半島メッカやメジナに勃興したイスラム帝国に飲み込まれる。

イスラム教勢力によって西暦651年サーサーン朝ペルシャ帝国の滅亡でインドに逃れた一部王侯貴族やゾロアスター教徒たちはインダス川下流域のヒンドウー社会でパールスィー(パールシー、ペルシー)といわれている独自のカーストを形成し現在、約25万人。インド最大のタタ財閥とか、ザンジバル生まれクイーンのボーカルで有名なフレディ・マーキュリーなど人数的には少数派だが常に存在感を示している(★注、ペルシャ帝国末裔のパールスィーは「男性だけ継承」とのインド入国時の契約を今も守っているので世代が重ねるごとに必ず人数が減っていく仕組み)

ペストの流行は2世紀に渡って繰り返し続いたが、西暦750年を最後としてしばらくは終息し、再びヨーロッパでペストが流行するのは14世紀になってから。

14世紀の欧州「中世」世界の「黒死病」(ペスト)蔓延での人口激減の壊滅的な影響で社会構造に致命的影響を与えて、その後の宗教改革(宗教戦争)やルネサンスなど現在につながる大変革が起きたと言われている。


濱田篤郎 / 東京医科大学特任教授

人類の歴史の中で何度も繰り返した感染症の大流行は、それまでの社会を変革するきっかけにもなりました。新型コロナ感染症もそうした感染症の一つに数えられます。本連載では歴史を動かした感染症の大流行をエピソードとともに紹介し、現代社会に活用できる知識や対策を解説します。

感染症は歴史を動かす

ペスト、宗教改革誘発=濱田篤郎・東京医科大学特任教授


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2 コメント

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Unknown (ローレライ)
2024-03-05 09:44:55
世界の国境と宗教マップを書き換えて来た、パンデミックの爪跡!
伝染病たい策は安保対策である。
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ノストラダマスのアルコール消毒 (ローレライ)
2024-03-09 15:28:23
ペスト対策でアルコール消毒と火葬を推進したノストラダマスはアンリ国王の死の予言からカトリーヌ王妃に可愛いがられた。
返信する

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