
『2年前のアルゼンチンのオリンピックの最終プレゼンで、本音が(無意識に)思わず出てしまった滝川クリステルの大失敗(合掌)』
150年前の欧米の知識人は、日本的挨拶(お辞儀)を『情報』として知っていたが、お辞儀で腰を曲げる時に手をぴったりと体に添えるとまでは知らなかったので、当時の新聞の挿絵に登場する『お辞儀する日本人』は、頭を下げた時にラジオ体操のように肩から垂直に手をだらり下げて描かれている。
この150年前の勘違いに似た間違いでは、ハワイなど日本人観光客が多い場所では少ないが、世界では今でも『仏教徒は挨拶で合掌する』と信じているので、イギリスなど欧州諸国でも相手が日本人だと分かると、礼儀正しく親切の心算で両手を合わして合掌してみせる例が良くある。
日本人は死人に対しては手を合わせるが、生きている人間に向かっては決して合掌しない。
相手の英国人は礼儀正しい心算なのですが、日本人にとっては逆に実に失礼である。
人間相手にも合掌するヒンズー教のインドとか上座部仏教の東南アジアなどと、神仏以外には合掌しない日本や中国の大乗仏教を混同しているのです。
滅多にないが、我々日本人でも偶には生きている人間に手を合わせる場合がある。
オリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが思わずやった『合掌』の正体ですが、日本では例外的に、命乞いとか、究極の謝罪として土下座と共に両手を合わせる。
平身低頭『すみません。すみません』の究極の謝罪なら合掌する時が有るが、『おもてなし』の気持ちで合掌する例は無い。
(話は少し横道にそれるが、)
ところが、何故か日本でも食事を始める時の『いただきます』には両手を合わせて(オリンピック最終プレゼンの滝川クリステルのように)合掌する。
今の文明化した日本人はすっかり忘れ果てているが鶏肉を食べる為には先ず飼っていたニワトリを殺す必要があり、実は日々の食事とは(他者の生命の一部を)『いただく』という厳粛で少しだけ残酷な『神聖な行為』だったので合掌していたのでしょう。(肉食に限らず植物食でも動物食でも同じで『食べる』と『殺す』とがコインの裏表、一体不可分の関係にある)
ドイツ生まれの生物学者ルドルフ・シェーンハイマーが指摘したように『生命』とは機械の様な『不動のもの』では無く、持続する『動的平衡』(変化のバランス。破壊と生成とが絶え間なく変化する流れ)のことだったのである。
『へらへら笑いながら手を合わせるな。このバカ者が』
日本人なら滝川クリステルの『お・も・て・な・し』のあとの合掌には違和感を持って当然であり、2年前のインターネット上では、
『だから、合掌なんかしねえんだよ』
『見てるこっちが恥ずかしくなるよな』
『あの合掌は誰も止めなかったのかな』
『あれが日本式かと勘違いされるよな』
『おもてなしで合掌するとかやめろボケ』
『どちらかというとお辞儀だよね 合掌して挨拶や御礼はしない』
『外人的には合掌挨拶が日本人が公式に認める挨拶ってことになっちゃったんだな』
『おもてなし 合掌ってなんか違う おもてなし お辞儀の方が日本らしい』
との声が噴出。
滝川クリステルもネイティブな日本人以上に自分の大失敗は熟知しているのでマスコミで『お・も・て・な・し』の動作の再現を求められても、最後の合掌部分は絶対に人前では行わない。
失敗しないように何遍も何遍も事前に練習したのだろうが、本番では極度の緊張状態で思わず隠していた本心(羞恥心やら謝罪やら罪悪感やら)が無意識に動作に表れて、滝川クリステルは『お・も・て・な・し』の最後に合掌して仕舞ったのである。
オリンピック最終選考会での滝川クリステルの『合掌』の意味とは、フロイト心理学の無意識が動作に表れた大失敗でないとしたら、日本の田舎の選挙戦の最終盤では良くある一票欲しさに恥も外聞もかなぐり捨てて行う保守系候補の土下座の浅ましいパフォーマンスである。何れであるかは不明だが、恥ずかしい事実に変わりはない。
ところが、合掌と『お・も・て・な・し』の珍妙な組み合わせから2年が経過して、やっと隠されていたトンデモナイ意味が判明する。(暴いたのは8月8日の毎日新聞朝刊)
『なんと!2020年東京オリンピック開会期間の日付は酷暑の7月24日から8月9日だった』
『2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会計画』
オリンピック競技大会開催概要
正式名称第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
英文名称The Games of the XXXII Olympiad
開催期間2020年7月24日(金)~8月9日(日)
競技数28競技

日の丸を掲げる日本選手団の前に立ちはだかり行進を阻止するロンドンオリンピック運営委員会の役員たち。

『2012年ロンドンオリンピック開会式から日本選手団だけが強制的に排除される屈辱的な差別扱い』
世界中の市民が注目するオリンピックの開会式での前代未聞、空前絶後の破廉恥な出来事が起きていたが日本のマスコミは一切報道しなかった。
たまたま開会式に参加していたロンドン在住の日本人が目撃してインターネットへ投稿したことから大事件は発覚したが、テレビ中継を見ていた人々は誰もオリンピック開会式での聖火の点火式の晴れがましいクライマックスに、行進途中から日本選手団だけが姿を消していた事実に気がつかない。

晴れ舞台である2012年ロンドンオリンピック開会式から強制排除された日本選手団ですが、理由はフクシマの放射能瓦礫から作った便乗バッジを選手全員がつけていたからだったらしい。日本政府(細野剛志ら)はオリンピックを口実にして2011年に起きた未曾有の3・11大震災復興事業を宣伝したかったのである。(オリンピックの便乗商法は御法度なので、ペナルティとして日本だけが全員会場から追放される)

『恐々とだが、日本の禁忌(タブー)に挑戦する毎日新聞のささやかな勇気』
日本共産党機関紙しんぶん赤旗までが挙国一致の大本営発表に参加する腐敗堕落した嘆かわしい我が日本国ですが、日本中のマスコミでは唯一毎日新聞だけが、北朝鮮の3回目の核実験のドサクサに紛れて発表された、安倍内閣による『小児甲状腺がん。三人確定、7人疑い』の時に、他の新聞記事と書き方に違いがあった。
検討委の発表とは、全ての医学的検査の終了後であった。マスコミの発表である『確定』と『疑い』の違いは全摘出手術のbefore and afterの意味であり、『医学的所見は同一』だった驚愕的な事実をすっぱ抜く。
(ただし毎日新聞の超特大のスクープは最初の発表時の1回だけで、その後は完全に沈黙する)
そもそも2013年2月の毎日新聞記事ですが、実は福島検討委の記者会見の発表時の小児甲状腺の検査責任者である福島県立医大の鈴木真一教授の公式発言なのですから、毎日に限らず記者の全員が知っていた。
しかし、実際に記事に正しく書いたのは毎日新聞だけだったのである。
今回も同じで、2020年東京オリンピックが真夏の八月に開催されることはマスコミ全員が報道しているが、毎日新聞の8月8日記事だけが日本では一番暑いことが予想される7月24日から8月9日まで開催期間を報道する。
しかし、そもそも開催期間はオリンピック委員会のホームページに以前から掲載されていたのである。
ところが今まで全員がタブーを怖がって正しく報道しなかった。曖昧に『8月開催』と誤魔化した。(8月でも月末なら少しは涼しくなる)。
しかも、今回の毎日新聞の大スクープですが読者からの投稿欄『みんなの広場』への『五輪開催は酷暑を避けるべきだ』との投書である。紙面の記事としてでは無いので『毎日新聞は責任が無い』との体裁を取っている。
このような姑息な手法(逃げ道)は毎日新聞では以前から度々使われていた。
橋下徹が大阪市の飛田新地の管理売春組織の顧問弁護士だった話も、記事としてでは無くて、書籍の紹介(さいごの色街 飛田(井上理津子・2011年)筑摩書房)と言う形を取って誤魔化していた。
ジャーナリストの端くれなら誰でも隠された驚きの真実は何としても書きたい。ところが『掟破り』の抜け駆けを叩かれるのが恐ろしいので苦心惨憺している形跡が露骨である。

アテネ五輪マラソン金の野口みずきはゴール直後に嘔吐(C)JMPA
『日刊ゲンダイの最新記事』タイミング的にも内容的にも素晴らしい
日本では挙国一致の大政翼賛会体性の完成で赤旗を含む全ての全国紙が自主規制して不都合を報じない中では、当局の監視の目が比較的ゆるいプレイボーイとか日刊ゲンダイの様なエロ系のメディアが、鉄壁の言論統制の壁をかいくぐって隠された真実の断片を報道する時が少しだけあるので愉快である。
今回も『逝きし世の面影』ブログが取上げた翌日の絶妙なタイミングで素晴らしい内容の記事を書いている。(世の中の風向きが、大きく変化した可能性もある)
資料として全文紹介すると、
『東京は8日連続猛暑日…2020年五輪「秋開催」不可能な裏事情』2015年8月9日
「時期をずらしたほうがいいんじゃないの」――。2020年東京五輪についてこんな声がわき起こっている。
東京五輪は7月24日から8月9日まで開催されるが、今年の東京は8日連続で猛暑日が続き、記録を更新。気象予報士などから「20年はもっと暑くなる」という声が高まっている。東京五輪で酷暑が選手を直撃することは間違いない。
一番いいのは開催時期を秋にすることだが、どうやら変更は不可能らしい。「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」に聞いた。
「開催時期はIOCの意向で7月15日~8月31日と決まっているのです。日本は24日スタートを提案して立候補し、招致を勝ち取りました。IOCが夏にこだわるのは、秋にほかのスポーツの世界大会などがあり、時期が重なるのを避けたいという考えから。いまのところ時期を変更するという議論は起きていないし、変更の可能性はかなり低いと思われます」(戦略広報課)
真夏の五輪は過酷だ。08年の北京五輪の開会式では570人以上の選手が熱中症で倒れた。04年のアテネ五輪の女子マラソンでは暑さのせいで多くの選手が嘔吐。金メダルを取った野口みずきがゴール直後に吐いた映像を覚えている人もいるだろう。
64年の東京五輪と68年のメキシコ五輪は10月開催だったが、その後は一部を除いて夏開催が固定化している。その裏には多額の放映権料を払っている米国の存在がある。スポーツ評論家の玉木正之氏が言う。
「米国では9月にNFLが、10月にNBAが開幕。また、10月はメジャーリーグのワールドシリーズがあります。米国はそれらの中継と五輪が競合するのを防ぎたい。その意向をくみ取ってIOCは夏開催という条件を出しているのです。米国という大国のエゴといえます」
玉木氏も東京五輪の時期変更は無理と読んでいる。理由は招致活動の際の“ウソ”だ。
「招致委員会がIOCに出した文書に『日本の夏はスポーツに最適』という文言があるのです。これは福島原発の汚染水を『アンダーコントロール』と言い切ったのと同じで、唖然とさせられる言葉。誰が書いたのかと聞きたくなります。夏が最適といって招致に成功した以上、いまさら夏は危険とはいえないのです」(玉木正之氏)
大国のエゴと日本のウソのせいで、アスリートは塗炭の苦しみを味わうことになる。
150年前の欧米の知識人は、日本的挨拶(お辞儀)を『情報』として知っていたが、お辞儀で腰を曲げる時に手をぴったりと体に添えるとまでは知らなかったので、当時の新聞の挿絵に登場する『お辞儀する日本人』は、頭を下げた時にラジオ体操のように肩から垂直に手をだらり下げて描かれている。
この150年前の勘違いに似た間違いでは、ハワイなど日本人観光客が多い場所では少ないが、世界では今でも『仏教徒は挨拶で合掌する』と信じているので、イギリスなど欧州諸国でも相手が日本人だと分かると、礼儀正しく親切の心算で両手を合わして合掌してみせる例が良くある。
日本人は死人に対しては手を合わせるが、生きている人間に向かっては決して合掌しない。
相手の英国人は礼儀正しい心算なのですが、日本人にとっては逆に実に失礼である。
人間相手にも合掌するヒンズー教のインドとか上座部仏教の東南アジアなどと、神仏以外には合掌しない日本や中国の大乗仏教を混同しているのです。
滅多にないが、我々日本人でも偶には生きている人間に手を合わせる場合がある。
オリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが思わずやった『合掌』の正体ですが、日本では例外的に、命乞いとか、究極の謝罪として土下座と共に両手を合わせる。
平身低頭『すみません。すみません』の究極の謝罪なら合掌する時が有るが、『おもてなし』の気持ちで合掌する例は無い。
(話は少し横道にそれるが、)
ところが、何故か日本でも食事を始める時の『いただきます』には両手を合わせて(オリンピック最終プレゼンの滝川クリステルのように)合掌する。
今の文明化した日本人はすっかり忘れ果てているが鶏肉を食べる為には先ず飼っていたニワトリを殺す必要があり、実は日々の食事とは(他者の生命の一部を)『いただく』という厳粛で少しだけ残酷な『神聖な行為』だったので合掌していたのでしょう。(肉食に限らず植物食でも動物食でも同じで『食べる』と『殺す』とがコインの裏表、一体不可分の関係にある)
ドイツ生まれの生物学者ルドルフ・シェーンハイマーが指摘したように『生命』とは機械の様な『不動のもの』では無く、持続する『動的平衡』(変化のバランス。破壊と生成とが絶え間なく変化する流れ)のことだったのである。
『へらへら笑いながら手を合わせるな。このバカ者が』
日本人なら滝川クリステルの『お・も・て・な・し』のあとの合掌には違和感を持って当然であり、2年前のインターネット上では、
『だから、合掌なんかしねえんだよ』
『見てるこっちが恥ずかしくなるよな』
『あの合掌は誰も止めなかったのかな』
『あれが日本式かと勘違いされるよな』
『おもてなしで合掌するとかやめろボケ』
『どちらかというとお辞儀だよね 合掌して挨拶や御礼はしない』
『外人的には合掌挨拶が日本人が公式に認める挨拶ってことになっちゃったんだな』
『おもてなし 合掌ってなんか違う おもてなし お辞儀の方が日本らしい』
との声が噴出。
滝川クリステルもネイティブな日本人以上に自分の大失敗は熟知しているのでマスコミで『お・も・て・な・し』の動作の再現を求められても、最後の合掌部分は絶対に人前では行わない。
失敗しないように何遍も何遍も事前に練習したのだろうが、本番では極度の緊張状態で思わず隠していた本心(羞恥心やら謝罪やら罪悪感やら)が無意識に動作に表れて、滝川クリステルは『お・も・て・な・し』の最後に合掌して仕舞ったのである。
オリンピック最終選考会での滝川クリステルの『合掌』の意味とは、フロイト心理学の無意識が動作に表れた大失敗でないとしたら、日本の田舎の選挙戦の最終盤では良くある一票欲しさに恥も外聞もかなぐり捨てて行う保守系候補の土下座の浅ましいパフォーマンスである。何れであるかは不明だが、恥ずかしい事実に変わりはない。
ところが、合掌と『お・も・て・な・し』の珍妙な組み合わせから2年が経過して、やっと隠されていたトンデモナイ意味が判明する。(暴いたのは8月8日の毎日新聞朝刊)
『なんと!2020年東京オリンピック開会期間の日付は酷暑の7月24日から8月9日だった』
『2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会計画』
オリンピック競技大会開催概要
正式名称第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
英文名称The Games of the XXXII Olympiad
開催期間2020年7月24日(金)~8月9日(日)
競技数28競技

日の丸を掲げる日本選手団の前に立ちはだかり行進を阻止するロンドンオリンピック運営委員会の役員たち。

『2012年ロンドンオリンピック開会式から日本選手団だけが強制的に排除される屈辱的な差別扱い』
世界中の市民が注目するオリンピックの開会式での前代未聞、空前絶後の破廉恥な出来事が起きていたが日本のマスコミは一切報道しなかった。
たまたま開会式に参加していたロンドン在住の日本人が目撃してインターネットへ投稿したことから大事件は発覚したが、テレビ中継を見ていた人々は誰もオリンピック開会式での聖火の点火式の晴れがましいクライマックスに、行進途中から日本選手団だけが姿を消していた事実に気がつかない。

晴れ舞台である2012年ロンドンオリンピック開会式から強制排除された日本選手団ですが、理由はフクシマの放射能瓦礫から作った便乗バッジを選手全員がつけていたからだったらしい。日本政府(細野剛志ら)はオリンピックを口実にして2011年に起きた未曾有の3・11大震災復興事業を宣伝したかったのである。(オリンピックの便乗商法は御法度なので、ペナルティとして日本だけが全員会場から追放される)

『恐々とだが、日本の禁忌(タブー)に挑戦する毎日新聞のささやかな勇気』
日本共産党機関紙しんぶん赤旗までが挙国一致の大本営発表に参加する腐敗堕落した嘆かわしい我が日本国ですが、日本中のマスコミでは唯一毎日新聞だけが、北朝鮮の3回目の核実験のドサクサに紛れて発表された、安倍内閣による『小児甲状腺がん。三人確定、7人疑い』の時に、他の新聞記事と書き方に違いがあった。
検討委の発表とは、全ての医学的検査の終了後であった。マスコミの発表である『確定』と『疑い』の違いは全摘出手術のbefore and afterの意味であり、『医学的所見は同一』だった驚愕的な事実をすっぱ抜く。
(ただし毎日新聞の超特大のスクープは最初の発表時の1回だけで、その後は完全に沈黙する)
そもそも2013年2月の毎日新聞記事ですが、実は福島検討委の記者会見の発表時の小児甲状腺の検査責任者である福島県立医大の鈴木真一教授の公式発言なのですから、毎日に限らず記者の全員が知っていた。
しかし、実際に記事に正しく書いたのは毎日新聞だけだったのである。
今回も同じで、2020年東京オリンピックが真夏の八月に開催されることはマスコミ全員が報道しているが、毎日新聞の8月8日記事だけが日本では一番暑いことが予想される7月24日から8月9日まで開催期間を報道する。
しかし、そもそも開催期間はオリンピック委員会のホームページに以前から掲載されていたのである。
ところが今まで全員がタブーを怖がって正しく報道しなかった。曖昧に『8月開催』と誤魔化した。(8月でも月末なら少しは涼しくなる)。
しかも、今回の毎日新聞の大スクープですが読者からの投稿欄『みんなの広場』への『五輪開催は酷暑を避けるべきだ』との投書である。紙面の記事としてでは無いので『毎日新聞は責任が無い』との体裁を取っている。
このような姑息な手法(逃げ道)は毎日新聞では以前から度々使われていた。
橋下徹が大阪市の飛田新地の管理売春組織の顧問弁護士だった話も、記事としてでは無くて、書籍の紹介(さいごの色街 飛田(井上理津子・2011年)筑摩書房)と言う形を取って誤魔化していた。
ジャーナリストの端くれなら誰でも隠された驚きの真実は何としても書きたい。ところが『掟破り』の抜け駆けを叩かれるのが恐ろしいので苦心惨憺している形跡が露骨である。

アテネ五輪マラソン金の野口みずきはゴール直後に嘔吐(C)JMPA
『日刊ゲンダイの最新記事』タイミング的にも内容的にも素晴らしい
日本では挙国一致の大政翼賛会体性の完成で赤旗を含む全ての全国紙が自主規制して不都合を報じない中では、当局の監視の目が比較的ゆるいプレイボーイとか日刊ゲンダイの様なエロ系のメディアが、鉄壁の言論統制の壁をかいくぐって隠された真実の断片を報道する時が少しだけあるので愉快である。
今回も『逝きし世の面影』ブログが取上げた翌日の絶妙なタイミングで素晴らしい内容の記事を書いている。(世の中の風向きが、大きく変化した可能性もある)
資料として全文紹介すると、
『東京は8日連続猛暑日…2020年五輪「秋開催」不可能な裏事情』2015年8月9日
「時期をずらしたほうがいいんじゃないの」――。2020年東京五輪についてこんな声がわき起こっている。
東京五輪は7月24日から8月9日まで開催されるが、今年の東京は8日連続で猛暑日が続き、記録を更新。気象予報士などから「20年はもっと暑くなる」という声が高まっている。東京五輪で酷暑が選手を直撃することは間違いない。
一番いいのは開催時期を秋にすることだが、どうやら変更は不可能らしい。「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」に聞いた。
「開催時期はIOCの意向で7月15日~8月31日と決まっているのです。日本は24日スタートを提案して立候補し、招致を勝ち取りました。IOCが夏にこだわるのは、秋にほかのスポーツの世界大会などがあり、時期が重なるのを避けたいという考えから。いまのところ時期を変更するという議論は起きていないし、変更の可能性はかなり低いと思われます」(戦略広報課)
真夏の五輪は過酷だ。08年の北京五輪の開会式では570人以上の選手が熱中症で倒れた。04年のアテネ五輪の女子マラソンでは暑さのせいで多くの選手が嘔吐。金メダルを取った野口みずきがゴール直後に吐いた映像を覚えている人もいるだろう。
64年の東京五輪と68年のメキシコ五輪は10月開催だったが、その後は一部を除いて夏開催が固定化している。その裏には多額の放映権料を払っている米国の存在がある。スポーツ評論家の玉木正之氏が言う。
「米国では9月にNFLが、10月にNBAが開幕。また、10月はメジャーリーグのワールドシリーズがあります。米国はそれらの中継と五輪が競合するのを防ぎたい。その意向をくみ取ってIOCは夏開催という条件を出しているのです。米国という大国のエゴといえます」
玉木氏も東京五輪の時期変更は無理と読んでいる。理由は招致活動の際の“ウソ”だ。
「招致委員会がIOCに出した文書に『日本の夏はスポーツに最適』という文言があるのです。これは福島原発の汚染水を『アンダーコントロール』と言い切ったのと同じで、唖然とさせられる言葉。誰が書いたのかと聞きたくなります。夏が最適といって招致に成功した以上、いまさら夏は危険とはいえないのです」(玉木正之氏)
大国のエゴと日本のウソのせいで、アスリートは塗炭の苦しみを味わうことになる。
日本が戦争を始めるだとか徴兵に成だとか、可能性が低い心配ばかりしている。
(日本会議は確かにそれが夢でしょうが)
原発が日本全土に大量にあり、東京一極集中で首都が狙われたら終わりな以上、戦争をする力が有りません。
今回の流れは三島由紀夫が主張した自主防衛から遥かに遠い、従属強化と自衛隊の米軍化。
ネトウヨが集団的自衛権で日本が強い国に成れると信じるのを、反対派が強化してしまってると思います。
安倍晋三は今年中に集団的自衛権利を通すとアメリカで約束してきたみたいですが、
アメリカ軍の予算削減の穴埋めに自衛隊が後方任務に使われる気がします。
『・・・に見える』ことと、『・・・である』ことは同じでは無い。基本的に無関係です。
今回の安倍晋三の『なんちゃって平和法案』が共産党の志位委員長が言うように『戦争法案』に見えることは間違いないでしょう。
同じことが1年半前の2013年12月の何が秘密なのかが秘密の『特定秘密保護法』に付いてもピッタリと寸分の違いも無く当て嵌まるのですが、・・・
何故それ程頭が空っぽで目が節穴の安倍晋三を信用するのでしょうか。
不思議でならない。
今回このコメントに書いている事実ですが、たぶんそれは安倍晋三の脳内の隠された本音部分では間違いないでしょう。
しかし、これ等の法案ですが、救いようの無いアホの安倍晋三が考え付いたものでは無くて、カシコのオバマ大統領が日本側に要求して無理やり大急ぎで作らせているのですが、一番の不思議は慌てすぎなのです。
これでは運用が不可能なのです。出来が悪すぎて、たぶん逆効果にしかならない。
それでは何故オバマは急ぐのか。答えは一つしかない。
そうです。フクシマが時間切れで、危ないのです。
こちらでのたわいない世間話ですが、
2012ロンドンオリンピック開会式での日本選手団退場の件は 行進する日本選手団の人数が少なすぎることと 誰も抗議をせず誘導されるまま退場し そのまま宿舎へ帰ったことから 退場は事前に了承済みであったと言われています。 退場させられる理由があったわけですけど 日本のマスコミは一切報道しなかったし JOCも選手団の団長も完全にノーコメント ここでも なかったことにしたい日本人のメンタリティが発揮されているようです。
2020東京オリンピックの招致メンバーの責任はすごく重いと思うのですが IOCと見守る欧米諸国にしてみたらブラックジョークそのもの。 IOCの笑顔の裏のしたたかさを なぜ日本人は見抜けないのでしょうか? 国会議員約720人がオリンピック開催を応援することを表明する国なんて???
場違いな合掌ですが これも非常に不評で議論を巻き起こしました。 合掌の挨拶で有名なタイ人留学生まで巻き込んで
あれこれといろいろな意見が出ましたが これは どうかお願い申し上げます の意味だと 理由はIOC会長が東京決定を伝えた報道映像では 滝川クリステルは涙を流して喜んでいるからです。
もうひとつ 忘れてはならないのがスピーチをした高円宮妃殿下の存在です。 まさか皇族までも??
安倍総理の発言=アンダーコントロール =によって すべての責任は招致した日本にありますし IOCは見据えて今後の路線を決めているはず 道は二つにひとつ このままオリンピックの準備を続けて開催し参加不参加は選手の自己責任で決めるか または 日本の開催返上決定を待つか そのどちらかになると思います。
ご指摘の夏の開催時期と日程に関してですが 立候補時の報告書に
この時期の天候は晴れる日が多くかつ温暖であるため アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。
と 明記されています。
温暖??? 最高の状態で?????
今まで疑問に思っていた多様性の黒の意味がやっとクリアになりました。
きっと すべてがブラックジョークにつながるってことなのでしょうね。
2012年も酷かった。基本的に日本国のマスコミですが根本が腐っていて挙国一致、北朝鮮のピョンヤン放送も真っ青の大本営発表なのです。これでは日本の敗北は確実でしょう。助かりようが無い。
盗作疑惑について大槻義彦か、
『五輪のデザイン疑惑、実際はまったくのコピペか?!』と題して、
『五輪のデザインがベルギーの劇場のデザインとそっくり
で盗作だという騒ぎが起きている。それどころか当のベル
ギーの劇場からすでに『抗議』がきている、と報じられて
いる。
たしかに良く似ている。違うのは日の丸だけ。配色は違
うが構図はそっくり。デザイナーが何と言おうと、一般の
市民感覚ではそっくりそのまま、ということだ。
そこで私もヒマだから、余計な計測をやってみた。上左
の『三角形モドキ』と右下の同じ形を問題にした。ここで
『三角形モドキ』とは直角三角形の斜線部分が湾曲したも
のを指す。
この湾曲は円の一部である。驚いたことに以下のような
ことが分かった。(1)この円の中心はピタリと縦長の長
方形の中心と一致している。五輪デザインもベルギー劇場
のデザインもまったく同じ!(2)両者の曲率半径(内接
円の半径)と右下の底辺の位置(三角形モドキの右下の点
と長方形の間の距離)の比。五輪0.78、ベルギー劇場
0.79、(誤差5%から10%)。つまり両者は同じに
なったではないか!
まったく独自にデザインして三角モドキや長方形は似た
モノが作れるだろうが、この三角モドキの曲率半径の比ま
で同じなものは作れない。これは五輪デザインが単に似た
モノを作ってしまったどころかまったくコピーしたのだ、
という疑いをもたざるを得ない。これでは特許も商標登録
もパスしないだろう。
なお上記の計測は実物ではなく(私に実物など手に入ら
ない)WEB上の写真を拡大して測定したので5%から1
0%の誤差がある。』
と、コピペだと断じている。
違いは縦の黒の帯の広さだけなのですからアウトですね。
ベルギーの縦の棒は細いが、日本の方は全体の3分の1が黒の帯なのです、ところが、日本では祝い事に黒は不吉であり使わない。
コピペ疑惑以前に、基本的に無茶苦茶なデザインです。
お忙しいなか お返事を頂き恐縮しております。
どうぞ お気になさらずに 次へと新しい記事へ進めて下さい。
明日は 30年前のJAL123便の事故で亡くなられた方々へ 私たち家族も祈りの時をもちたいと思っています。
8月6日と9日も家族や友人たちと原爆犠牲者のための祈りの時をもち 国籍問わず全員で祈りをささげましたが 昨日はお礼のお茶会と夕食会で東京オリンピックの話題を出してみました。
このエンブレムは気味が悪いと不評でした。
日本人だけではなく 黒が葬式を連想させるのは万国共通です。 右上の赤丸 これはほとんどの方が日本の国旗を意味していると指摘していましたが こちらの感覚では 太陽は黄色かオレンジ 月は白かうすい黄色なので その場にいたまだ幼い女の子が リンゴ? と言ったので ほっと雰囲気がやわらぎました。
盗作疑惑に関しては 一見して リエージュのロゴの上に重ねたデザインだと全員で一致。
ここで 私がそれまでの盗作疑惑の経緯を簡単に説明したところ すべてがアウト。 日本人デザイナーが雲隠れしていたことと出遅れた記者会見は相乗効果を生んでマイナスイメージだけを大きくしています。
夏の東京の猛暑が立候補ファイルには温暖な気候であると書かれていることについては マドリードもイスタンブールも夏は気温が高いので(それでも 湿度は低くて夜は気温が下がるので東京よりは過ごしやすい) 招致のためにあえて嘘までついたのではないかと 嘘までつく不自然さが理解できないと 逆に私が質問攻めにあいました。
宗純さまの記事をお借りして 日本国内にも疑問に思っている人がたくさんいること 政府とマスコミの情報操作と印象操作のひどさなど 私なりに誠意をもって答えたつもりですが 話してる最中から情けないやら悲しいやら感情が混じってしまい あ~いけない こちらでは理論的に感情を交えずに話すことが第一なんです。
今週末にはIOCが盗作疑惑について声明を発表するので その後 Liegeまで行ってみようか なんて話も出ています。
誰も 安倍総理のアンダーコントロール発言を信じていませんし IOCが 東京のウソに嘘を重ねた招致と準備を見て見ぬふりすることにも疑問をおぼえ 日本国内のすべての社会問題にはもともと筋書きがあって 国民は羊のように誘導されているだけではないかと怖くなります。
私もいろいろな情報を集めて 時間切れにならないうちに不可解さと不自然さをクリアにしたいと願っています。
南太平洋のミクロネシアの小さな島国パラオ共和国ですが、第一次世界大戦以後は日本の植民地だったのですが、朝鮮とは大違いで大の親日国家。現地の人々は日本が学校などを建てたことを忘れずに、今でも感謝しているらしいのですね。そのせいなのか、パラオ国旗のデザインが日本の日の丸とそっくり。海をあらわす青地に黄色の太陽が描かれている。
如何も、世界的に見ると太陽を赤丸で描くのは日本独自のようですね。
日本でも昼間の太陽は赤く見えない。日の丸ですが、これ、夕焼けの太陽ですよ。
沈む寸前の太陽ですが、真っ赤なのです。
沈む夕日は仏教では薬師如来の化身ですが、日の丸を日本の左翼は大きな勘違いをいしているのですが、軍国主義の象徴では無くて、これは歴史上の勝者では無くて、敗者が掲げていたのですね。
源平の合戦では壇ノ浦の戦いで平家が日の丸を掲げていた。同じように戊辰戦争では負けた幕府軍が日の丸の掲げる。戦争に負けた不吉な旗がその後も使い続けtられる例は無いのですが、わが日本国は例外で、何故かぼろ負けした側の使っていた日の丸が、捨てられずに勝った方が採用していていたのですが、
そもそも日の丸の成り立ちが、太陽が沈む姿をデザインしていたとすれば、納得する話です。
『こちらの感覚では 太陽は黄色かオレンジ』とは、昼間の太陽ですね。
沈む太陽なら、これはもう欧米でも赤しか無いでしょう。