第9章
驚異的な回復
そんなな矢先に少し無理が有ったのか、喉の渇きの苦痛から私が無理を言い、少しだけ水を舐める事が許された。
それでも「急がば回れ」の心境で気遣いながら舐めたつもりの水が、つなぎ合わせた腸に溜まってしまうと言うアクシデントが発生し、腸閉塞と診断され、これも中止になり出直す事となったが、久しぶりに舐めた水は「五臓六腑に沁み渡る」表現のしようのない位の嬉しさ喜び「生き水」であったが、再度の激痛に襲われ苦しんだ。
数日間で収まり僅かではあるが、水を口にする事が出来るようになり、兄の力添えにより歩行訓練も、少しずつではあるが、行える程に回復していった。
実際は、ほとんど兄に脇の下を抱えてもらい、すり足程度の歩行訓練であったが、膝が笑って歩けない。
さすがに兄は身長180センチ、体重90キロの巨体だが、力も強く安心して身をゆだねる事が出来た。
これも60年間の「戦友兄弟」の信頼関係からかも知れない。
時には兄弟喧嘩もして、張り合った事も有るが、久しぶりに幼少の頃の兄弟に戻る事に、それ程の時間は掛からなかった。ちなみに「兄弟船」は私達兄弟の十八番のカラオケソングである。
「健康な人には病気になる心配があるが、病人には回復と言う楽しみが有る」とは誰かの名言だが、正にそれを実感した歩行訓練であった。その間も、大勢のお見舞いを受け、感謝の連続であった。
術後の12日目にして、ようやく大部屋に移る事が許され、見慣れた部屋だと思ったら偶然にも、当初入院した部屋の同じ窓際の病床であったが、前回と違い今回は手術が終わっての病床で、恐怖や不安など心の負担は大きく異なり重苦しさは無かった。
食事制限も徐々に解除され、点滴などの管も全て無くなり、自由に動く事も可能になったが、一つだけ当初の説明で、解消されていない不安が有った。
それは、リンパ節と骨への転移の可能性であった。手術時に細胞を採取し検査をすると聞いていたが、検査結果はまだ聞いていなかった。転移していると引き続き放射線治療や、化学療法の抗がん剤治療が待ち受けていて、同室の患者さんの治療を見ても苦悩が見て取れる。
退院どころではないと聞かされていたので「転移していたら、また一から出直しか」回復するに連れて、検査結果が気になっていた。
抜糸の行われたある日に、思い切って主治医に尋ねてみると、いとも簡単に「転移は無かったので、治療としては今回で終了です」と告げられ太鼓判を押された。本当に「終わった」のだと安堵し家内と顔を見合わせ、二人で喜びに浸った。
主治医や看護師もびっくりするくらいの回復力で、当初の予定を繰り上げ5月の連休中の退院予定となったが、前日に突然血圧が急降下し2日~3日延期になる事態が発生したが、少し不安も有ったので、一日でも早く退院したいとの思いは無かったが、8日の午後から無事に退院する事となった。
正に「さくら咲く」であるが、「花は桜木」と言う様に、本当の桜も満開で、私の退院を待ちわびて、祝福してくれているかのような花盛りであった事を思い出す。
「住めば都」と言うけれど、病院はやはり病院で、住みよい所では無く慣れる事はなかった。3月20日の入院以来、約2か月ぶりの社会復帰を果たすことが出来たが、現在も手術の後遺症からか少し痛みの残る個所もあるが、生死に関わる問題では無いので養生に努め「千里の山も一歩から」焦らずに社会復帰したいと思う。
改めて今回の悪夢かと思う程の大病を経験し、家族はもちろん、兄弟と言う心強い存在の大きさに感謝し、「何時か違う場所、場面で恩返しが出来れば」との思いを強くする闘病生活であった。
また、私と同じく闘病中の独立した会社「ほーゆー本店」の田中店長からは、毎日営業状況の報告を随時受けるなど、大変お世話になったが、皮肉な事に私が入院で留守の方が、業績も前年を大きく上回るという「水を得た魚」の様な大活躍で、仕事を気にせずに治療に専念出来た事は、早期の回復の大きな要因で有った。
休みも取らずに早朝から夜遅くまで、責任を感じて頑張ってくれた様子は、疲れ切った表情からも見て取れ、親族では無いが「私の宝物」を守ってくれた事に、感謝とお礼を感じずには居られずに恩返しを誓った。
振り返って見ると死ぬかも知れないと思い、死にたいと思った苦悩も、今考えると約2か月間の短い闘病生活であった。
「朝の来ない夜は無い」とはよく言ったもので、諦めない事の大切さを学んだ。休日にも問診に駆けつけて頂いた主治医の先生を始め、看護師の皆様にも恵まれ、同情や激励を頂いた数多くの皆様に感謝し、生かされている事を痛感した約2か月間の貴重な闘病生活の体験であった。
しかし、闘病生活を美化してはいけない。「転ばぬ先の杖」と言う。
闘病生活は経験しないに事に越した事は無いのは当然であるが、その為にも皆様には、早期の発見と早期の治療が大切だと思う。少なくとも年一度の定期検診は必ず受診する事を強くお勧めしたい。
大腸ガンや膀胱ガンなどは痛みも無く、長い人では潜伏期間も10年を超えると聞かされた。
「わしは病院嫌いでなぁ」と豪語する人を良く見かけるが、私に言わせれば「死の恐怖」を体験した事の無い「浅知恵の無法者」である。早期の発見による小さな手術と、手遅れの発見で余命宣告される事では、苦悩や辛さが、比較にならない事は明白である。
多くのお見舞いにお越しいただいた皆様も、元気者のイメージの有る私の病床での姿を見て、少しは驚かれたと思うが、「大事は小事より起こる」と言うが、この病はある日に突然、誰の身にも運悪く、平等に降りかかる厄介な難病である。
「一生の不作」に成らない様に、今後は皆で更なる精進を心掛けたい。
その後、既に亡くなっている創業者でもある両親の年忌法要にも参加するなど、回復ぶりを墓前に報告し感謝した。
「父母の法事」
ご覧いただきありがとうございました。
次号第10章もご覧ください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます