人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

お悔やみを申し上げます

2021年01月17日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

一昨日から昨日にかけて、葬儀関連の料理の仕事を頂いた。聞くと故人様は、甥の親しくお付き合いをさせていただいている知人のお父さんだと言う。

故人様は、同じ豊岡市内で建設業関連の社長で、息子さんが事業を承継されている。地元での業界では、大手に属する会社だ。

話を聞いているうちに何とあろうことか、私と同じ悪性胸膜中皮腫で有った事が分かった。経緯も私と同じだ。

地元の豊岡病院で中皮腫と診断され、私と同じく西宮市にある兵庫医科大学病院を紹介され、そちらで治療を受けられたと言うのだ。それも私と同じ長谷川教授が担当医であった。

故人様は、70歳と言う事もあり、まだ現役の社長であったと聞く。

昨夜も自宅に料理の配達を承っていたので、配達は私が担当する事にした。どうしても喪主である息子さんに会いたかったからだ。私の経緯は、甥が知人の喪主様に話してあり、このブログの事も伝えてあり、読まれたそうだ。

私の頭に直ぐに思い浮かべたのは、建設業と言う事も有り、石綿いわゆるアスベストだ。私も退院当時は、横浜にある補助金制度を扱う機関に連絡を取り、資料を取り寄せた経緯が有り、資料も保存していたので、その資料も渡したかったので、配達をさせてもらった次第である。

憔悴しきったご家族と会ったのは、昨夜の18時ごろ。事前に甥から連絡を入れてもらっていたので、落ち着かない雰囲気の中でも、奥さまと喪主夫婦の3人が、玄関に正座されて私を待っていただいていた。

3人共に疲労困憊のご様子であった。私のガンの体験を話して、闘病生活も説明させてもらったが、ブログを読まれていたせいも有り、よく理解されていた。

お話を聞くと、昨年に体調を崩されて、豊岡病院に入院されていたようだが、病名が診断された以降は、兵庫医科大病院に転院され、手術を受けられたようだ。当初は、私と同じ手術方法で始められたが、術中に転移が酷く、肺の中まで浸潤していて、途中から手術方法を変更され、肺の全摘に切り替えて手術を終えられ、一時は退院されて自宅療養で過ごされ、快気内祝いをされるまで回復されていたようだが、数日前に自宅玄関で倒れられ、救急車で兵庫医科大に搬送されたようですが、看病の甲斐なくお亡くなりになられたようです。お気の毒に・・・・ご冥福をお祈り申し上げます。合掌

と言う事も有り、会社の代表者変更や相続など、色々なお話をさせてもらったが、あくまで私の体験談と言う事を前置きしての話だ。間違っていたらご迷惑をおかけするので・・・・・

コロナが地元の豊岡市内でも連日発生していて、私も先月12月の定期検診では、兵庫医大の先生から「伊藤さんは、肺に疾患が有り、65歳ですので気を付けて下さい」と念押しされていたのだ。

マスクの欠かせない生活だが、何とか乗り越えたい。

そんな不安を改めて痛感する一日となった。こんな田舎の町でも、最近は6件も延焼する大きな火災が発生し、高齢の男性が亡くなった。弊社の給食弁当の配達先と言う事も有り、大きな衝撃を受けた。また、母子心中の事件も発生して、2人が亡くなった。ご冥福をお祈り申し上げます・・・・合掌

では又ね

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