第11章
更なる試練とお正月
平成27年10月の秋祭り本番で、囃子や太鼓の音で賑わう最中、精密検査で予期せぬ悪夢が襲い掛かる。
何と肺に腫瘍が見つかったのである。
主治医の白波瀬先生の説明によると、「この腫瘍は転移とか再発では無く新規の腫瘍です」との診断結果であった。
病名は告げられなかったが「おそらく死亡率一位で、生存率の低い肺ガン」であろう事は容易に想像出来た。
ようやく新たな会社もスタートさせ、多少の不便さは有るものの落ち着きを取り戻し、穏やかな生活を送っていた矢先の告知であった。
人生の再出発に意欲を持ち、充実した日々を過ごしていた私にとっては、悪夢の他の何物でもなかった。
「踏んだり蹴ったり」とはこの事である。
しかし、新規に独立した会社の事もあり、この時点では諦める訳にもいかず、病名も確定した訳では無かったが、さすがにこの後に知らされる事になる病名に、落ち込みと苦悩の日々が続き、うつ病にも悩まされる事になる。
毎月行われるCT検査やMRI検査、京都ルネス病院でのガン専用のペットCT検査など、検査、検査の連続の日々が続いたが、それでも病名が確定されない。
「京都ルネス病院」
この時点では、診療科も当初の泌尿器科から呼吸器内科、心臓血管外科へと引き継がれていた。
年が明け平成28年。
私には二歳年下の家内が1人居る。
家内が2人も3人も居ては少々厄介ではあるが、結婚して36回目の正月を迎えた。
同居している義母との3人家族だが、3人で新年の挨拶を交わすが、義母も私と同様に難聴で身体障害者である為に、少々耳が聞こえにくい。
家内は若い時には、それなりに美人で明るく、優しい女性だと思って結婚したが、今となっては見る影もない姿、形になってしまったが、今も今後も続くと思われる闘病生活では、少なくともこれまで一度たりとも嫌な顔もせずに、一生懸命に世話をしてくれる、私にとっては唯一無二の親友であり、愛妻であり看護師の様な存在である。
「家内と家内の母」
毎年恒例になっている夫婦での私の実家(兄の自宅)への新年の挨拶や親睦会を楽しみつつ、今は亡き両親の仏壇に手を合わせ、思いを伝え報告した。
「ガンになった。」
「実家での恒例の新年会」
お父ちゃん助けてくれ、お母ちゃん悲しいよ」と。もちろん無言だが「何時も見守っているよ」言ってくれている様な、両親の少し微笑む遺影に涙が頬を伝う。
翌2日には、これも恒例となっている子供達3家族との新年の親睦会を自宅で行い、賑やかに走り回る5人の孫達に囲まれ、これ以上に無い至福の時間が流れたが「来年は無いかも知れない」」と思うと目頭が熱くなった。
楽しい一時であったが、夜も更けお年玉を手渡しお開きとしたが、同じ思いをしていたのか隣に座っていた家内の目が、これから先に知らされる事になる悪夢を予感してか、少し潤んでいる様にも見えたが、同じ思いをして居たに違いない。
こんな穏やかで楽しい時間が止まってくれる事を願わずには居られなかった。
「実家で兄貴と乾杯」
家内の実家は娘二人姉妹で、長女が私の家内の為に後継者が無く、家内の父親はガンで56歳の若さで他界し、母親は私達が引き取り同居している為に、墓の管理やお参りには行くが、新年の挨拶や里帰りは無い。これが義母との3人家族の理由である。
「兄弟家族で乾杯」
「弟と乾杯」
「兄嫁の姉さんと家内」
「㈱ユラク経営発表会」
「創業記念祝賀会乾杯の音頭」
「ほーゆー田中店長と」
「ユラク経営発表会祝賀会」
ご覧いただきありがとうございました。
次号第12~13章もご覧ください。
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