(´・ω・`)ショボーン

いろいろと…

生きる理由・・・

2005-05-17 | Other

「あなたはどうして生きているのですか?」

そう聞かれたならば、あなたは何と答えるだろうか?
「親が勝手に産んだから(仕方なく)何となく生きているだけ…」という考えの人が大半ではないか。 だから人は生きていく理由を常に探し見つける行為をし、自分自身を励まし慰めようとする。 この世に生まれ落ちた時より死ぬことは100%確定している。 この世に生きる人々は誰でも最後は死ぬ苦しみを味わうことになる。 ならば、親は子供を殺すために産んでいるようなものだとはっきりと言えるだろう。 そう考えたくはないのが人情であり当たり前かもしれないが、それは普遍であり事実であり真実である。 子供を産むという行為は人を殺すのと同じ事である。 永遠不変の原理であるが、それを言えば倫理は崩壊する。 人が人として生きていくためには考えてはいけないことが多々ある。

「あなたはなぜ死にたくないのですか?」

中学時代に死について考えたことがある。 答えは簡単なことだった。 私たちの記憶はただの電気的なものであり、感情はただの分泌物である。 死ねば私たちの体を構成する全てが原子・分子レベルに崩壊していき、それが地球上にばらまかれるだけだ。 最後は誰でも死ぬことは解っている。 死ぬことは辛いことであると私たちは認識している。 その辛さも一時的な感情にすぎないと理解しても理解できない…したくない。 それが人という生き物である。

「あなたの生きる理由はなんですか?」

人が生きる理由はなんなのか。 今を楽しく幸せに暮らす事ができるならば、それは誰もが抱く生きる理由なのではないだろうか。 人により楽しみの基準は様々。 笑うことだけが楽しみではなく、人を殺めることに楽しみを抱く者もいるということ。 人は皆が自分自身の楽しみを抱いて生きている。 そんな「現世(うつしよ)こそが地獄であり、常世(とこよ)こそが極楽なのである」と聡明な故人は言い残している。 人は地獄に産まれ堕ち、最後には誰もが極楽浄土へ行けるのだと。 そう思えば死ぬことは一時的に苦しむが、そんなにも恐れることではないと感じる。 生にしがみつき、死を迎えるその瞬間まで人生を謳歌しようではないか。

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