【オリャンタイタンボ】
日が落ちて、昨夜から本降りになった雨が降り続く中、朝を迎えます。
宿をチェックアウトして、宿の受付に荷物を預け、遺跡に向かう朝9時半。
なんと言うことでしょう!
雨が止みました。
雨女疑惑、払拭だっ!
小、中の修学旅行雨降ったけど、
やっぱり私のせいじゃないんだよ~(笑)。
クスコから、オリャンタイタンボにかけての一帯は【聖なる谷】と呼ばれ、
インカ道が続いてると共に、周辺に遺跡が点在しています。
チケットを買って、いざ遺跡の中へ。
チケット代高いっ!(汗)
斜度45度はありそうな斜面に段々畑があり、
階段は300段(150m)。
これが結構キツイ!
オリャンタイタンボは、インカ時代の宿とも要塞とも言われ、【タンボ】とは
ケチュア語(インカの公用語)で旅籠の意味だそうです。
ゆっくり階段を上りながら、目の前の素晴らしい石組みに感動。
カーブしてるのに、きっちり組み合ってすごいっ!
ただ石組みも、いろいろあって、きっちりしてるものもあれば、
雑に見えるものもあるから、見てて面白い。
う~ん、この石の薄さは驚くけど、なんか微妙だ。
雑なんだか、細かいんだか。。。
インカ時代とは紀元1200年頃中央アンデスで誕生し、わずか数百年の間に北は現コロンビアから
南はチリの中央部まで南北4000Kmを支配下に置いた、インカ帝国の時代を言います。
ハイシーズンなら、もっとたくさんの観光客が訪れると思うけど、
この時期は、多くもなく少なくもなく、ちょうどいい感じ。
みんな、急な階段に息切れしてしんどそうです。
もちろん、私は『そう』じゃなく、しんどい上等で息切れしまくってます(笑)。
オリャンタイタンボ
標高3399mのクスコから標高が低い場所へ移動といっても、オリャンタイタンボの標高2750m。
富士山五合目(2305m)より高い。
さらに、薬とサプリは摂ったけど、昨日からまともなご飯食べてない身ですから、
フラフラの息切れ状態。
『一人旅』で、見るものすべてに感動して、アドレナリンでてるから、
空腹でも歩いていられるんだと思えるほど、実はかなり腹減ってる。
『腹は減っても、ダイエット!』と、日頃まったく運動しないので、
やってはいけない、旅先での急激ダイエットをしながら、
えっちら、おっちら階段を上り振り返ると、眼下に村が。
下、酸素多そう。。。
文字をもたなかったインカ帝国は、正確な記録は残っておらず、マチュピチュを含め
初代王は誰か?
石材の技術、運搬はどのようにしたのか??
空中都市マチュピチュはなぜ建設されたのか???
詳しいことは、今も謎に包まれたままです。
積み上げられている石の雰囲気が少し変わり、
階段を上がりきった先に、広場が。
番人?
守っている先に、6枚の巨石を並べた建造物があり、
太陽の神殿の作りかけだとか、鏡とか言われてるらしいですが、真相は不明。
高さ4m、幅10m、奥行き1m。
石の重さは180~240トン、川を挟んだ対岸の石切り場から運ばれてきたとも言われ、
斜面をどのように運び、持ち上げたのか不思議は増すばかり。
石と石との接合部分には、細長い石がはさまれ崩れないように工夫されてます。
石挟んだ方が崩れやすいと思うんだけど、違うのか~。
不思議だ。
広場から、遺跡をさらに進み
東向きの10個の窓の神殿を見たり、
水路を見たり、
はまってみたり(笑)。
相当細い水路、どうやって石削ったんだろう?
気がつけば、結構、上のほうまで来ました。
視線は自然と再び下を見るようになり、オリャンタイの村。
写真左奥の山肌に、チラッと遺跡があります。
川岸のほうへ目を向けると、青い車体のペルーレイル(列車)が走っているのが見え、
立ってる場所から見下ろした石段にびびりつつ、下ります。
急な石段ばかりが印象的な、オリャンタイタンボですが、
もちろん年配の方もたくさん来てます。
やっぱり、日頃運動してると、いつまでも元気に旅できるんじゃな~。
健康って大切だと、改めて思いつつ、【オリャンタイタンボ遺跡観光】の記念に、
遺跡の石をゲットォ~!
貧乏だからとかじゃないです。
えぇ、決してお金がないからでは。。。(汗)
ん?
さぁ、遺跡観光が終わった後は、いよいよマチュピチュ向けて、
ペルーレイル(列車)に乗りますぞぉ~。
日が落ちて、昨夜から本降りになった雨が降り続く中、朝を迎えます。
宿をチェックアウトして、宿の受付に荷物を預け、遺跡に向かう朝9時半。
なんと言うことでしょう!
雨が止みました。
雨女疑惑、払拭だっ!
小、中の修学旅行雨降ったけど、
やっぱり私のせいじゃないんだよ~(笑)。
クスコから、オリャンタイタンボにかけての一帯は【聖なる谷】と呼ばれ、
インカ道が続いてると共に、周辺に遺跡が点在しています。
チケットを買って、いざ遺跡の中へ。
チケット代高いっ!(汗)
斜度45度はありそうな斜面に段々畑があり、
階段は300段(150m)。
これが結構キツイ!
オリャンタイタンボは、インカ時代の宿とも要塞とも言われ、【タンボ】とは
ケチュア語(インカの公用語)で旅籠の意味だそうです。
ゆっくり階段を上りながら、目の前の素晴らしい石組みに感動。
カーブしてるのに、きっちり組み合ってすごいっ!
ただ石組みも、いろいろあって、きっちりしてるものもあれば、
雑に見えるものもあるから、見てて面白い。
う~ん、この石の薄さは驚くけど、なんか微妙だ。
雑なんだか、細かいんだか。。。
インカ時代とは紀元1200年頃中央アンデスで誕生し、わずか数百年の間に北は現コロンビアから
南はチリの中央部まで南北4000Kmを支配下に置いた、インカ帝国の時代を言います。
ハイシーズンなら、もっとたくさんの観光客が訪れると思うけど、
この時期は、多くもなく少なくもなく、ちょうどいい感じ。
みんな、急な階段に息切れしてしんどそうです。
もちろん、私は『そう』じゃなく、しんどい上等で息切れしまくってます(笑)。
オリャンタイタンボ
標高3399mのクスコから標高が低い場所へ移動といっても、オリャンタイタンボの標高2750m。
富士山五合目(2305m)より高い。
さらに、薬とサプリは摂ったけど、昨日からまともなご飯食べてない身ですから、
フラフラの息切れ状態。
『一人旅』で、見るものすべてに感動して、アドレナリンでてるから、
空腹でも歩いていられるんだと思えるほど、実はかなり腹減ってる。
『腹は減っても、ダイエット!』と、日頃まったく運動しないので、
やってはいけない、旅先での急激ダイエットをしながら、
えっちら、おっちら階段を上り振り返ると、眼下に村が。
下、酸素多そう。。。
文字をもたなかったインカ帝国は、正確な記録は残っておらず、マチュピチュを含め
初代王は誰か?
石材の技術、運搬はどのようにしたのか??
空中都市マチュピチュはなぜ建設されたのか???
詳しいことは、今も謎に包まれたままです。
積み上げられている石の雰囲気が少し変わり、
階段を上がりきった先に、広場が。
番人?
守っている先に、6枚の巨石を並べた建造物があり、
太陽の神殿の作りかけだとか、鏡とか言われてるらしいですが、真相は不明。
高さ4m、幅10m、奥行き1m。
石の重さは180~240トン、川を挟んだ対岸の石切り場から運ばれてきたとも言われ、
斜面をどのように運び、持ち上げたのか不思議は増すばかり。
石と石との接合部分には、細長い石がはさまれ崩れないように工夫されてます。
石挟んだ方が崩れやすいと思うんだけど、違うのか~。
不思議だ。
広場から、遺跡をさらに進み
東向きの10個の窓の神殿を見たり、
水路を見たり、
はまってみたり(笑)。
相当細い水路、どうやって石削ったんだろう?
気がつけば、結構、上のほうまで来ました。
視線は自然と再び下を見るようになり、オリャンタイの村。
写真左奥の山肌に、チラッと遺跡があります。
川岸のほうへ目を向けると、青い車体のペルーレイル(列車)が走っているのが見え、
立ってる場所から見下ろした石段にびびりつつ、下ります。
急な石段ばかりが印象的な、オリャンタイタンボですが、
もちろん年配の方もたくさん来てます。
やっぱり、日頃運動してると、いつまでも元気に旅できるんじゃな~。
健康って大切だと、改めて思いつつ、【オリャンタイタンボ遺跡観光】の記念に、
遺跡の石をゲットォ~!
貧乏だからとかじゃないです。
えぇ、決してお金がないからでは。。。(汗)
ん?
さぁ、遺跡観光が終わった後は、いよいよマチュピチュ向けて、
ペルーレイル(列車)に乗りますぞぉ~。
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