徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

モンテスキューが笑っている。

2020-02-04 14:47:55 | 随想

タイトルにモンテスキュウを使ったのでモンテスキュウについて少々書いてみよう。

モンテスキュウは法の精神を発表した人物であることはよく知られている。

政治的自由をその国家構造の直接の目的とするとして、これを礼賛した。

いわゆる三権分立論によって有名である。

三権分立論についていえば、モンテスキューの真に意図するところは、

当時の執行権=君主、立法権=下院(人民)、司法権=上院(貴族)の三権力機構の勢力均衡にあったと考えられる。

この三権分立をイギリス人民が議院内閣制という政治形態で実現した。

その真意をも分からずにただその形態だけをまねたのが我が国の議院内閣制であり、国民の政治的未熟から、独裁政治形態へと変容しているのである。

 

抑々権力の分立と言う制度が何のために世に現れたのか、その真意をつかんでいる政治屋はどれ程いるだろうか。

政治屋と言うより我が国の国民と言い換えた方がいい。

議会と言うものが何故存在するに至ったのか、権力の分立などと言うものは誰がどの様な目的で言い出したのか、何故三権分立が必要なのか、

その真意を知る政治屋はわが国にどれ程居るのだろうか。

もしいるとすれば、内閣に支配される議会などと言うものにはならない筈である。

憲法で規定する国権の最高機関の議会が内閣に支配される、それは議員の矜持の問題もあるが、国民の政治的無知にその因を発する。

議会が内閣を信任し、内閣が失政を犯したなら、不信任を突きつける権限を有する。

それでこそ権力の分立といるのである。

現在の我が国の権力の分立は・・・・多くの人いや殆どの人は三権が分立した民主国家だと思っている。

憲法の規定ではその様になっている。

だが実際は、議会は内閣によって支配されている。

それを作り出したのは政治に無関心な国民だということである。

権力分立の思想は、フランス人権宣言にある様に、権利の保障が確保されず、権力の分立が確立されていないすべての社会は、

憲法をもつものとはいえない(第16条)という文言にもみられるように、人権保障の思想とともに、

近代民主政治におけるもっとも基本的な思想原理と考えられているのである。

確かに、我が国には形式的には立派な憲法と言えるものが存在する。

この憲法の真意に従って、誠実な政治家が、誠実に運用していれば、我が国の国情は現代とは全く違ったものになっていたであろう。

議員の給与は法律で決まっているなどと嘯いて、己らの好き勝手な論理で世界一高額な給与体系を作り、

其れに加えて世界に例を見たことも無い政党給付金などと言う呆けた法律を作るなどは国民無視の法律と言っていい。

 

今までの出来事や権力の様相を真摯に考えてみる時、この憲法はその真意とは全く違った運用がなされたと思わざるを得ない事態があまりにも多い。

世界トップの議員給与や世界に類を見ない政党給付金、しかもその給付金の一部がある党では一千万にも達する金額が議員個人に流れている、

という記事をブログで見たことがある。

その他様々な議員にたいする給付金を見ると、これらは法律によって決められていると嘯くが、その法を作り出すことが意のままになるというのであっては、

その法の成立自体に問題があるといえる。

それは偏に権力の分立を提唱したハリントンが危惧した通り議院内閣制の制度をその理念とは逆の運用をした結果であるといえる。

その憲法の規定を曲解濫用された時、それを防ぐ方法がないということである。

違憲立法審査権があるとは言うが、その司法権も内閣に牛耳られているとあっては規定に違憲立法審査権などあっても無きに等しい、

法の趣旨を全うすることは出来るわけがない。

議院内閣制は内閣と議会とは融合関係にあり、議会構成によっては議会はいつでも内閣の傀儡になり得る。

それが今の日本の三権分立なのである。

弱小政党が乱立し、内閣を構成する政党が議会の三分の二超を占めるに至っては、イギリス国民が議会を作った理念を考える時、

国民の政治感覚の相違を驚きを以て考えなければならない。

日本のほとんどの人間の政治的無関心と政治の未熟を改めて考えるのである。

イギリスが議会を作った本来の目的を達するには、議会を構成する議員一人一人の自覚が必要になってくる。

イギリスが議会を作った最大の目的は、王が己の都合だけの法を作り国民を苦しめる立法を回避する為である。

我が国の法案提出の80%は内閣からだという。

内閣を構成する党が議会の三分の二占める様では、立法はの内閣専権になってしまう。

イギリス人が王の専権を排除するため戦った王の専権を今わが国では内閣が行っているのである。

先にも書いたように、我が国の議員のように、次の就職運動の為、即ち党の公認を取るため、議員としての矜持を棄ててしまっては、

国権の最高機関の価値は消え失せてしまう。

本来は議会が与えた信任によって内閣は縛られ、不信任などの制度も生きてくるのであはるが、

議会の議員としての矜持を棄ててしまった議員が構成する議会ではその制度など全くの無用の長物。

この様な状態で作られた法が憲法に抵触するとき、裁判所の出番であるが、

憲法の規定によって裁判官の指名及び任命は内閣によって行われる。

即ち、裁判官を選ぶ力が内閣にあるということはその支配力が見えざる力として司法権にも及ぶということである。

それでは、それでは司法権の独立などありえようもない、すなわち権力の分立の意味はない。

その様な具体的事例が過去に数えきれないほど現れている。

アメリカにある様な違憲立法審査権も与えられてはいるが、内閣の支配がちらつく司法では正常に作用するであろうか。

過去にも、違憲と思えるような事例も、この審査権の適用を回避すため、高度な政治問題などと統治行為論を持ち出した最高裁など、

違憲立法の審査を放棄してしまった事が二度もある。

阿部などに至っては、推薦された最高裁判事候補の任命を拒否している。

政府の意に染まない意見を有する人物であったのだろう。

これでは違憲立法審査権など、有って無きに等しい、すなわち無用の長物。

司法権の独立など大上段に振りかぶってみても、ただの世迷い言だと思っているとしか思えなくなってくる。

内閣の権力が議会や司法にまで及ぶとすれば、三権分立など絵に描いた餅にさえ笑われる。

 

我が国には、形式だけは憲法と言えるものは有るが、近代民主政治におけるもっとも基本的な思想原理と考えられている点から云えば、

我が国の政治制度は非民主的な独裁政治と言っていい。

我が国に於いては外国では考えられない様な、あらゆるところに権力が顔を出し、国民を縛り付けている。

議院内閣制などという制度ははっきりとした政治意識を持つ国民の国が採用する制度であり、

わが国のような政治的意思の未熟な国民の国ではすぐに専制政治に転化する政治制度であることを認識する必要がある。

そして今、過剰な高齢者人口をいかに間引きするかが政治屋の関心事であり、その間引きの初期の段階が既に何年か前から動き出している。

姥捨て山に捨てられて、間引きされるを待つばかり、赤子の間引きにとってかわる間引かれる高齢者はあわれ。

先見の明もなく、確たる老人論を考える能力もない政治屋や官僚考えることはその責めを老齢者の犠牲に求める以外にはない。

高齢者は後幾ばくも無く、死に絶える。

それもあと10年か20年か30年か。

あと何年かのち、国民年金の支給額を大幅にカットするという。

それを切り抜ける方策を考える力はありませんと言ったのと同じことである。

何とも情けない無能な政治屋であり官僚であろうか。

この高齢者問題はまた別稿で論じる事にしよう。

 

閑話休題、イギリスの議会を作り上げた人々は、その様な手前勝手な法を作るために、大きな犠牲を払って、

様々な革命を試みてまで国民のための議会を作り王権が立法に係わらない様、専制を排除するために議会と言うものを創り上げた。

イギリスの民主政治は、国王と議会の権力分立という形で進行した。

ロックはその著「政治二論」において、立法権をもつ議会と行政、同盟(外交)権をもつ国王との権力分立論を主張している。

この場合、市民革命前の権力分立論と異なるのは、ロックが、議会と国王との間に矛盾が生じれば、議会の権力が国王の権力に優位するとしたことである。

その議会が国王に牛耳られる人間で構成されたら、全く議会を作った意味がくなる。

それと同じことが今我が国の議会で起きている、

国王に類する内閣が議会を牛耳っていれば、イギリス議会を王が牛耳っていることを考えてみるがいい。

折角の議会が全く意味を為さないものに在ってしまうことは理解でき様。

ロックのこの考え方はその後イギリスにおいて、政府は議会の信任によってのみ存続するという議院内閣制へと結実していくことになる。

しかしロックは考えを誤った。

この場合二大政党で勢力が拮抗していれば正常に作用するにしても、その勢力のバランスが崩れた時どの様な結果が惹起されるかを考えなかった。

現在の我が国の内閣の横暴はこの議院内閣制の欠陥を突いた結果である。

それは国民の誤りでもある。

議会の三分の二以上を占める様な同一党派を作り出したのは国民自体である。

これではその党派に国政が牛耳られることを自ら是認した、内閣がどの様な横暴な非民主的な政策お行っても文句は言いませんと、云ったのと同じなのである。

注目すべきことは、ハリントンが、立法部自体の専制化を防止するために、法律や政策を立案するだけの院と、それらを議決するだけの院とに分けている点である。

議会が提案権と同時に議決権をもつと専制化する危険があるというが、

その専制化を現在の我が国では議院内閣制の欠陥である内閣がその専制化を果たしているといえる。

議院内閣制には重要な政策について与野党の意見が対立して議会内で調整がつかないときには、主権者である国民の意志を問う、

という機能はあるが議会に占める多数党が内閣を構成していれば不信任決議などと言う機能は絵空事にしかならない。

我が国の法案の80%は内閣から出され、議会はただ承認するだけの機能しか有していない。

然も内閣を有する政党の議会占有率は三分の二超であってみれば如何なる横暴な法案であっても拒否されることはありえない。

国民のための法案を立法する能力のない議会では議院内閣制の機能を発揮することはできない。

官僚に操られた内閣がほとんどの法案を提出するようでは議会の機能は死んだも同じ、三権分立など絵空事でしかない。

官僚などというものは国民の代表が正常に作った方を運用するために組織であって己が操って法を作るなどは越権行為外の何物でもない。

国権の最高機関である議会にしてからが、内閣の思うままであれば、内閣の横暴に対する不信任など考えるまでもあるまい。

将に専制政治の典型である。

この内閣を率いる人物が、アメリカで神格化されようというワシントンの様な優れた人物ならいざ知らす、

我が国の、責任を果たすなどと宣い人物では・・・後は言うまい。

もともと、議院内閣制と言うのはイギリスの国民が勝ち取った議会に多大な尊敬をこめていたことによるものだが・・・・

それには国民の政治に対する意識が充実している必要がある。

我が国のように、このドングリを選べば国家がどうなるか予測もしないで、参政権を行使する国民では己の首を締めるのと何ら変わりはない。

近代以降の民主主義国家の政治制度には、大きく分けてイギリス型の議院内閣制、アメリカ型の大統領制、それに社会主義型の政治制度がある。

イギリスの議院内閣制は、議会を重視する政治運営の方式といえる。

このようにイギリスにおいてとくに議会が国民の間で尊敬をかちえたのは、市民革命がおこった時に議会が絶対君主を打倒する拠点の役割を果たしたという歴史的事情による。

わが国の民のようにお上思想に毒された国民では先進諸国のように政府の横暴に対して抗議するという気力は全く感じられない。

どんな不利益を強いられても、お上のいうまま黙って受け入れている。

戦後ただ一つお上に逆らったのは安保の闘争である。

それでも大多数の民は傍観するのみであった、なんとも情けない国民ではある。

イギリスではピューリタン革命と名誉革命の二つの市民革命によって、議会は国政の最高機関としての地位を確立した。

我が国の明治維新のように、国民を排除した改革とは意識が違う。

わが国の国会議員のように一党独裁の内閣にしっぽを振るような議員では、正常な議会が運用されているとはいいがたい。

明治の政治は反乱を起こした、下級武士や中間小物たちの権力争いの場であり、国民不在の政策に没頭した。

その様な歴史的事実が以後の我が国の政治形態として、現在に及んでいるといっていい。

ロックが、もしも議会と行政部の長である国王の意見とが対立したときには前者が後者に優位すると述べたとき、それは一つには「君臨すれども統治せず」、

一つには議会に責任を負って政治を行うという後の議院内閣制の二つの政治原理確立の方向を予示していた。

議院内閣制の政治制度を採用している国は多いが、この制度は実に欠陥の多い制度であるかを改めて認識し直す必要がある。

ハリントンは、立法部が専制化した時が最も危険であるとして、一院は法案を提議するだけの、一院はその法案を議決するだけの、

立法部における両院間の権力分立を考案している。

そのハリントンが危惧した立法部の専制化を我が国では内閣がになって、議会を内閣の意のままに操る、専制化しているのである。

我が国の国民性を考えると、我が国では議院内閣制の政治形態はは全く合わない。

国民の政治意識が全く変わってしまわない限り。

一党独裁の政治に恐ろしさは、ナチスドイツが全世界に知らしめたことでも容易に知ることができる。

わが国の戦前の全体主義匂いいらないように各自が意識する必要がある。

 

 

 

 

 

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