孫子を読むときいつも思うのであるが、いかに優れた啓蒙書であっても、それを読み活用する頭脳の持ち主でなければ読む価値はない。
孫子と言えば、二人いたと言われるのが今では通説であるが、そのいずれもが優れた兵法書を書き表しているのだが、
実際に読んだ者たちが十分に活用できたためしがない。
孫武の方は春秋時代の呉の武将であるが、斉を逃れて、呉で闔廬に仕えて将軍に遇される。
この闔閭は孫武の兵法を読み、孫武に全幅の信頼を置いて、戦いはすべて孫武の兵法に任せるだけの剛毅さがあった。
ところが二代目の夫差に至っては、頭の働きは全くの凡俗・・・・・
孫武を信頼する程の器量もなかった。
二代目は凡俗というのは、この時代でもあったのだなあ~って思う・・・・・・
兵法は暗記する程読んだとは言っているが、その真意を理解し、使い切るだけの頭脳は持っていなかった。
結局はこの夫差の代で、呉は滅亡してしまう。
孫武は云う。
兵は国の大事なり死生の地、存亡の道は察せざるべからずと・・・・・
死生の地、存亡の道を事前にはかり考えるためには、五つの事項を適用して、双方の実情を探る必要があると言う。
その五つは道、天、地、将、法だという。
これと似たような言葉はわが国の戦国期の武将も述べている。
輝虎公曰く…
天の時、地の利に叶い人の和と共に整いたる大将と言うは和漢両朝上古にだも聞こえず、いわんや末代なおあるべしとも覚えず。
もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対するものもなし。
と述べて、天地人の大切さを心に秘めていた。(北越軍談 謙信公語類より)
輝虎公は上杉謙信で越後の領主、知らぬ人はなかろう。
織田信長が最も恐れたと言われる武将でもある。
孟子に
天時不如地利。地利不如人和
と言う言葉があるがこれを引用したのかも知れない。
この天地人、軍事に関わらずあらゆるこの世の出来事に対応されるべきものであるが、いかに柔軟に頭脳の働きを駆使できるか、偏にそれにかかっている。
人間の頭の良い悪いは単なるIQの高低ではない。
どれほど柔軟に物事に対応できる頭脳か、にかかっている。
そして、我が国の政治屋や昭和の軍部の馬鹿共が招いた戦が引き起こされたのは僅か六、七十年ほど前の事。
孫武や謙信公の言うがごとく、戦の何たるかを弁えない、執政や軍部の能なしに引きずられた悲惨な結果は目に見えていた。
幾百万の人々が死に、その家族が塗炭の苦しみを味わったのは、そう遠い昔の事ではなかろう。
ところが、またぞろ能のない阿呆な輩たちが、憲法を改正してまで正規の軍隊を持ちたいという。
資源のない日本という国は戦争には絶対に勝てない国であることがまだわかっていない。
自衛の為の装備だという自衛隊を海外にまで派遣した阿呆な首相も日本には居る。
正式な軍隊を造れば率先して海外への派兵も平然と行うだろう。