江戸のころは武家の子弟は儒教によって学を育ててきた。
明治に入って、足軽や中間であった無学な輩が政治を行うに至って、儒教は全く捨てられたと言っていい。
だが現代に至って世の中が複雑になってくると、人々は生き方の指針として中国の古典に目を向けだしているといっていい。
特に論語の孔子や孟子の言葉は結構重視しているようである。
社会に出て、まじめに努めている人にとって、自分はこれほど一生懸命にやっているのになぜ認めてくれないと感じている人もいよう。
論語や孟子を読んでいると、彼らもそんな悲哀をを味わった者たちだと言える。
孔子などは自分は随分と出来る人間だと思ってもいたし、それだけの努力もしたであろう。
だが弟子を引き連れてほとんど全国を遊説して回ったのだろう。
だが彼を認めてくれるものはいなかった。
わが国の社会人で己は仕事ができると思っている人が認めれないと、自分で腐ってしまったり、ふてくされたりして、
折角の才能をつぶしてしまう人がたくさんいるような気がしてならない。
事実、日本の社会は年功序列型、ごますり型で無能な輩が上で采配を振るうことが多く認められるような気もする。
孔子も己が認められない悔しさをことあるごとに述べていたのであろう、論語に随所に似たような言葉が見えるように、
ことあるごとに述べて、己を慰めていたのであろう。
――人の己を知らざるを患えず、己の能なきを患えよ――
これは憲問篇三十二章の言葉であるが、同じ様な言葉は論語のあらゆるところで見ることができる。
学而篇十六章、里仁篇十四章、衛霊公篇十九章などにも同じような趣旨の事が記されている。
当時はやりがいのある仕事と言えば政治ぐらいのものであったろう。
諸子百家といわれるくらいの時代もあって、己の才を引っ提げて数多くの人々が君子に取り入ろうとした。
けれども身分の低いものが取り入れられることは難しかった様で、
おそらく孔子も認めてくれる人は居ないのかと心の中で嘆き、つぶやいていたことだろう。
ただ人間、認められないからと言って愚痴や、不満を垂れるだけでは何の展望も開けない。
そんな時は孔子をまねて、爽やかな態度で仕事に打ち込み己を磨きスキルアップを図るのがいい。
古人が言うように不遇な時こそ己を磨く機会でもある様な気がする。
見ている人は見ていることを信じて・・・・
だがわが国で幅を利かせているエリートと呼ばれる輩にしても、優等生ではあっても、
人間的にも能力的にも優れた人間であるとは思えないのである。
孔子のように、われを知るは天のみか、などという慨嘆の言葉を吐くのは最後の最後である。