なんと呼ばれていましたか?
たえちん
ご両親にどんなことをしてほしかったですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わからない
なにもわからない
では、両親役のお二人は4歳の女の子『たえちん』が喜ぶだろうなと思うことをいっぱいしてあげてください
そうトレーナーが言い
両親役の31歳の男性と34歳の女性がいろいろ考えてくれた
お母さんがほっぺを両手で包み込んで「かわいいねえ・大好きよ」
お父さんがおつむをなでなで「愛していうよ」
お母さんが抱きしめてくれたりかわいいかわいいといってくれたり
動物園に行ったり(真似事)
お父さんが手をつないでくれたり
疲れたというと
お父さんがおんぶをしておうちに帰ろうと本当に私を負ぶってくれた
そのどれもこれも何一つ感覚がなかった・・・・
だからそうされることは初めての体験で
そうしてほしかったんだろうなあ・・・と温かい手のぬくもりや
抱きしめられた時の安堵感
両親揃っていることの嬉しさ
何もかもが温かく幸せだった
こんなことなかったなあ・・・
してほしいと言う事さえわからなかった
何をされても涙がこぼれ
それを拭いてもらってまた涙がこぼれ・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
トレーナーは座布団を敷き詰め家に帰って昼寝をするように指示した
家に帰って
お父さんとお母さんが
「何かしてほしいことはないか?何でもしてあげるよ」
と言った
私は『づっと傍にいてほしい』と言った
母は『いるよ』と言ったが
私はなぜか『いつもそう言っていいひん・・約束破る』と言い返した
母は『づっと一緒にいるよ』
私は『ほんま?明日も?』
母は『明日も明後日もづっとづっと』
その時
『おとうさんもづっとそばにいるよ』と
お父さん役の31歳の子が言った
私は顔を覆って『ワー―!』と泣き出した
づっと傍にいてほしい
その気持ちは今もくすぶる
幼少の時に感じる寄り添うを感じてこなかったのかもしれないなあ・・・・・
そして昼寝
二人が私を大事に思っていることを話してくれる
「かわいいよ・だいじなこやよ・なんでもいったらいいよ・泣いてもいいよ・・・」
そういいながらトントンしたり背中を撫でてくれたり
これも子供の時にはなかったようにおもう
子供の時の感覚がないからだ
私はうつむいて両親が両サイドにいる温かさや安心感や幸せを感じて落ちついて居て
リラックスしていた
でも子供の時にはなかったと思う
無かったことを体験したのだ
今度はお母さんとお買いものへ行く
それも皆無だ
実母のことはわからないが養母ともない
服や身の回りのものは親が自分の趣味で買い求めあてがいぶちだった
一緒に行って選んだなどということは皆無だ
近鉄に行って服を選んでもらうことにする
「たえちゃんこのピンク可愛くてよくにあうよ」
ピンクなど選んだことはない
真っ赤のスカートもいいねえ・・・
そんな色を着たこともない
だいたい親にかわいいねえと言われてことがないと思う
お買い物を済ませパフェを食べて帰りたいという
いいよ
と言ってもらって楽しく女子会
それを見ていた31歳の男性が泣き崩れる
自分もデパートでそんなことがあったなあと・・・・・
そのときの幸せ感がよみがえったんだとか・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4歳の私は
いつもさみしかった
いつも孤独だった
誰もそばにいなかった・・・
そんな感じが押し寄せた
悲しさや辛さやさみしさを感じないようにしたのか
一人だからやらざるをえなくて
自分でやりこなしてきたのか?
解ら無いことはまだまだあるが
さみしいと思っていたことは充分感じる
けれどそのさみしさは日曜日の夜にもっと深まり
今日朝から涙がこぼれる
さみしさが押し寄せる感じ
昼から辛くて寝込んでしまった
随分長く4時間以上眠りこんだ
寝てしまうと母親が仕事に出かけるので緊張して寝ていたのかもしれない・・なあ・・・・
色々な洞察が始まったのは夕方以降からだ
4歳までの私は随分頑張っていたんだなあ
さみしかったね
辛かったね
よー辛抱したね
今までは親が離婚した時のことからは少し解っていたが
4歳の自分になることでそこまでの生まれてからの道筋が辿れたようだ
ルーツが判明したかのようだ
川端四条・どんぐり橋その辺を子供ながらに観察して
かかとの綺麗な襟足の綺麗な綺麗なおべべが着れる
舞子さんそして芸子さんになりたかったんだなあと思い出した
4歳の私はさみしさ・悲しさを感じながら
何かを決心しているのだなあ・・・・・
たえちん
ご両親にどんなことをしてほしかったですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わからない
なにもわからない
では、両親役のお二人は4歳の女の子『たえちん』が喜ぶだろうなと思うことをいっぱいしてあげてください
そうトレーナーが言い
両親役の31歳の男性と34歳の女性がいろいろ考えてくれた
お母さんがほっぺを両手で包み込んで「かわいいねえ・大好きよ」
お父さんがおつむをなでなで「愛していうよ」
お母さんが抱きしめてくれたりかわいいかわいいといってくれたり
動物園に行ったり(真似事)
お父さんが手をつないでくれたり
疲れたというと
お父さんがおんぶをしておうちに帰ろうと本当に私を負ぶってくれた
そのどれもこれも何一つ感覚がなかった・・・・
だからそうされることは初めての体験で
そうしてほしかったんだろうなあ・・・と温かい手のぬくもりや
抱きしめられた時の安堵感
両親揃っていることの嬉しさ
何もかもが温かく幸せだった
こんなことなかったなあ・・・
してほしいと言う事さえわからなかった
何をされても涙がこぼれ
それを拭いてもらってまた涙がこぼれ・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
トレーナーは座布団を敷き詰め家に帰って昼寝をするように指示した
家に帰って
お父さんとお母さんが
「何かしてほしいことはないか?何でもしてあげるよ」
と言った
私は『づっと傍にいてほしい』と言った
母は『いるよ』と言ったが
私はなぜか『いつもそう言っていいひん・・約束破る』と言い返した
母は『づっと一緒にいるよ』
私は『ほんま?明日も?』
母は『明日も明後日もづっとづっと』
その時
『おとうさんもづっとそばにいるよ』と
お父さん役の31歳の子が言った
私は顔を覆って『ワー―!』と泣き出した
づっと傍にいてほしい
その気持ちは今もくすぶる
幼少の時に感じる寄り添うを感じてこなかったのかもしれないなあ・・・・・
そして昼寝
二人が私を大事に思っていることを話してくれる
「かわいいよ・だいじなこやよ・なんでもいったらいいよ・泣いてもいいよ・・・」
そういいながらトントンしたり背中を撫でてくれたり
これも子供の時にはなかったようにおもう
子供の時の感覚がないからだ
私はうつむいて両親が両サイドにいる温かさや安心感や幸せを感じて落ちついて居て
リラックスしていた
でも子供の時にはなかったと思う
無かったことを体験したのだ
今度はお母さんとお買いものへ行く
それも皆無だ
実母のことはわからないが養母ともない
服や身の回りのものは親が自分の趣味で買い求めあてがいぶちだった
一緒に行って選んだなどということは皆無だ
近鉄に行って服を選んでもらうことにする
「たえちゃんこのピンク可愛くてよくにあうよ」
ピンクなど選んだことはない
真っ赤のスカートもいいねえ・・・
そんな色を着たこともない
だいたい親にかわいいねえと言われてことがないと思う
お買い物を済ませパフェを食べて帰りたいという
いいよ
と言ってもらって楽しく女子会
それを見ていた31歳の男性が泣き崩れる
自分もデパートでそんなことがあったなあと・・・・・
そのときの幸せ感がよみがえったんだとか・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4歳の私は
いつもさみしかった
いつも孤独だった
誰もそばにいなかった・・・
そんな感じが押し寄せた
悲しさや辛さやさみしさを感じないようにしたのか
一人だからやらざるをえなくて
自分でやりこなしてきたのか?
解ら無いことはまだまだあるが
さみしいと思っていたことは充分感じる
けれどそのさみしさは日曜日の夜にもっと深まり
今日朝から涙がこぼれる
さみしさが押し寄せる感じ
昼から辛くて寝込んでしまった
随分長く4時間以上眠りこんだ
寝てしまうと母親が仕事に出かけるので緊張して寝ていたのかもしれない・・なあ・・・・
色々な洞察が始まったのは夕方以降からだ
4歳までの私は随分頑張っていたんだなあ
さみしかったね
辛かったね
よー辛抱したね
今までは親が離婚した時のことからは少し解っていたが
4歳の自分になることでそこまでの生まれてからの道筋が辿れたようだ
ルーツが判明したかのようだ
川端四条・どんぐり橋その辺を子供ながらに観察して
かかとの綺麗な襟足の綺麗な綺麗なおべべが着れる
舞子さんそして芸子さんになりたかったんだなあと思い出した
4歳の私はさみしさ・悲しさを感じながら
何かを決心しているのだなあ・・・・・