どうやらヒーリングワークは自己受容を深めたようだ
今の自分はいったいどうなんだろうか?という疑問が消えたような感じ
そして自分を信頼する度合いが広く深くなったような感じ・・・・安堵・安心という表現かなあ
さらに他者を信頼するというか仲間であるとか人間関係は愛情があふれているというような感じか
両親から大事にされていた・・立場が違うのでその大事にされた方法がぴったりだったかは?だ
んーーーー人は表現方法が解らなかったりするかれど
もともとは誰もが愛に満ちているというような感じ
だから人間関係のうまくいかないのは
コミュニケーションの誤解・行き違い・おもいちがい
自分の観点で考えて判断して行動したりするから
人はそれぞれ観点が違うからそのことを知らず(観点が違う事)
皆同じだと想うことで
解ったつもりになりなぜ分かり合っていないかなど思いもよらず
え”--ってことになるんだろうなあと
そういえばアドラーだったかロジャーズだったか何かの哲学だったか
『人は皆違う。違うから互いに理解しようとする。』というようなことが書いてあったなあ・・・
ワンネスのトレーナーもよくそういうなあ・・・・
『違うということが前提なんですよね』と
違いを認めるという事と
違うということが前提とはまるで質が違うんだなあ・・・・・と
深く心に入る
人は誰でも幸せになる力を持っているなどが学んで頭に入っていることが
体で感じているような状態なのかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日は家でビジョンマップの続きをしようとしていたが
集まった3人の共通点がはっきりしていたので
ヒーリングワークで体験した『4歳のころに親にどうしてほしかったか』をやってみた
3人とも母親に育てられずに人に預けられているというような条件がピタリ一緒
何をしてほしいと尋ねても『わからない』
そこで4才や3歳の彼女が喜ぶと思うことをしてあげようとやってみた
家族でどこかへ行こうとワークと同じ「動物園がいい」ということで動物園にいった
共通点のデパートに行って屋上で何か乗り物や遊ぶところがあって食堂でランチして・・・・
お父さんとの思い出のケーキセットがいいと思い出した彼女は涙目だった
そして川の字になって寝る
これまた全員なかった・・・・・・
トレーナーではないのでうまくリードで来ているはずがないのだが
感想は
ほったらかしにされていたと思っていたけど
親はその時代にできるだけのことは一生懸命やってくれていたんだなあと思ったわ・・・と
今は大人なのでその時の母親や父親の気持ちが推し量られ涙した
四国が実家の彼女は秋祭りに実家に帰り両親に会う
その時にいろいろ話してみようと思うといっていた
お父さんが縄跳びを教えたときにできない彼女を縄で血が出るまでたたいたことを罪の意識を持ち続けていることを
彼女の結婚式の時に彼女の友達に話していたが自分は記憶にないという
その彼女は父親に厳しくたたかれたことや
川に入って遊んで花火の時間が来るからと父の背中におんぶしてもらって河川敷を歩いて花火を見たんだと懐かしそうに思い出していた
そのお父さんとお母さんが仕事の日曜日に山に行って歩いた後
ケーキセットと食べたことが嬉しかったと
そんな話をたくさんしたらどうかなあと言ったら
『そうだなあ。したことないわ。』
そうやで何か言いたいことを言わずにいたら
親は子育てを後悔して罪悪感を持って死んでいくんや
と言ったら
それは自分が後悔するなあ・・・・有難うっていっとく
などと親子の感情の行き違いがすこし通じたのかもしれない
そしてその日の感想・体感したことを聴くと
『夢を追いかけたり、目標を持っても「あーーだめやな」とすぐおもってしまう自信のなさというか
なんか不安やったんやけど・・ちょっとましみたい』って
ビジョンマップを作っても
目標を掲げても
それを意識で一生懸命思っても
どん詰まりになったり
上手くいかないことが起こると
心の中の脳みその
無意識・潜在意識が
まるで地獄温泉のガスが上がってきて『プッツ!プワッツ!』って湧き上がる
そのガスが頭の中を充満させ
「やっぱりできひん」という気持ちを増大させるのではないかと常々思っていたので
目標達成に加速するにはヒーリングは欠かせないと思っていた
自分が受けて感じたこと
昨日やってみたこと
それを日々の会話を通して出来る様になるといいんだけどなあ・・・・・・
あ・出かける時間が来たぞ
今日は夏のキッズが終わり実行委員会
反省会とはいわないんだねえ・・ここは
今回のことを振り返って次回により良くするには何をしようか?という会議というか話合いだ
では犬の散歩をして出かけるとする
行ってきまーす
今の自分はいったいどうなんだろうか?という疑問が消えたような感じ
そして自分を信頼する度合いが広く深くなったような感じ・・・・安堵・安心という表現かなあ
さらに他者を信頼するというか仲間であるとか人間関係は愛情があふれているというような感じか
両親から大事にされていた・・立場が違うのでその大事にされた方法がぴったりだったかは?だ
んーーーー人は表現方法が解らなかったりするかれど
もともとは誰もが愛に満ちているというような感じ
だから人間関係のうまくいかないのは
コミュニケーションの誤解・行き違い・おもいちがい
自分の観点で考えて判断して行動したりするから
人はそれぞれ観点が違うからそのことを知らず(観点が違う事)
皆同じだと想うことで
解ったつもりになりなぜ分かり合っていないかなど思いもよらず
え”--ってことになるんだろうなあと
そういえばアドラーだったかロジャーズだったか何かの哲学だったか
『人は皆違う。違うから互いに理解しようとする。』というようなことが書いてあったなあ・・・
ワンネスのトレーナーもよくそういうなあ・・・・
『違うということが前提なんですよね』と
違いを認めるという事と
違うということが前提とはまるで質が違うんだなあ・・・・・と
深く心に入る
人は誰でも幸せになる力を持っているなどが学んで頭に入っていることが
体で感じているような状態なのかな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日は家でビジョンマップの続きをしようとしていたが
集まった3人の共通点がはっきりしていたので
ヒーリングワークで体験した『4歳のころに親にどうしてほしかったか』をやってみた
3人とも母親に育てられずに人に預けられているというような条件がピタリ一緒
何をしてほしいと尋ねても『わからない』
そこで4才や3歳の彼女が喜ぶと思うことをしてあげようとやってみた
家族でどこかへ行こうとワークと同じ「動物園がいい」ということで動物園にいった
共通点のデパートに行って屋上で何か乗り物や遊ぶところがあって食堂でランチして・・・・
お父さんとの思い出のケーキセットがいいと思い出した彼女は涙目だった
そして川の字になって寝る
これまた全員なかった・・・・・・
トレーナーではないのでうまくリードで来ているはずがないのだが
感想は
ほったらかしにされていたと思っていたけど
親はその時代にできるだけのことは一生懸命やってくれていたんだなあと思ったわ・・・と
今は大人なのでその時の母親や父親の気持ちが推し量られ涙した
四国が実家の彼女は秋祭りに実家に帰り両親に会う
その時にいろいろ話してみようと思うといっていた
お父さんが縄跳びを教えたときにできない彼女を縄で血が出るまでたたいたことを罪の意識を持ち続けていることを
彼女の結婚式の時に彼女の友達に話していたが自分は記憶にないという
その彼女は父親に厳しくたたかれたことや
川に入って遊んで花火の時間が来るからと父の背中におんぶしてもらって河川敷を歩いて花火を見たんだと懐かしそうに思い出していた
そのお父さんとお母さんが仕事の日曜日に山に行って歩いた後
ケーキセットと食べたことが嬉しかったと
そんな話をたくさんしたらどうかなあと言ったら
『そうだなあ。したことないわ。』
そうやで何か言いたいことを言わずにいたら
親は子育てを後悔して罪悪感を持って死んでいくんや
と言ったら
それは自分が後悔するなあ・・・・有難うっていっとく
などと親子の感情の行き違いがすこし通じたのかもしれない
そしてその日の感想・体感したことを聴くと
『夢を追いかけたり、目標を持っても「あーーだめやな」とすぐおもってしまう自信のなさというか
なんか不安やったんやけど・・ちょっとましみたい』って
ビジョンマップを作っても
目標を掲げても
それを意識で一生懸命思っても
どん詰まりになったり
上手くいかないことが起こると
心の中の脳みその
無意識・潜在意識が
まるで地獄温泉のガスが上がってきて『プッツ!プワッツ!』って湧き上がる
そのガスが頭の中を充満させ
「やっぱりできひん」という気持ちを増大させるのではないかと常々思っていたので
目標達成に加速するにはヒーリングは欠かせないと思っていた
自分が受けて感じたこと
昨日やってみたこと
それを日々の会話を通して出来る様になるといいんだけどなあ・・・・・・
あ・出かける時間が来たぞ
今日は夏のキッズが終わり実行委員会
反省会とはいわないんだねえ・・ここは
今回のことを振り返って次回により良くするには何をしようか?という会議というか話合いだ
では犬の散歩をして出かけるとする
行ってきまーす