母の命・・・
『どんなふうになったとしも大なり小なりい日の生死にかかわることは罪悪感を伴うものだと・・・・』
そう聞いたときに吹っ切れた
先週の月曜日決めかねていたことを
土曜日この言葉を聴いて決めた
人工呼吸器は入れないと
そして土曜日の講座中に
「今やる・すぐやる・何でもやる」その言葉を聴いて
日曜日朝病院へ電話して伝えた
それまでの葛藤は・・・・・
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まだ母は居てくれている
健在とは言い難く
寝たきりで意識も脳の委縮が進んできていてぼんやりしている
どんな状態でも生きていてほしいと
最近は思うようになってきたのだが・・・
義理の母でなさぬ仲で大嫌いだったからだ
今日心理学のトレーニングのキックオフミーティングがあった
その中で時間を守ることについての意味など意見を出し合った
綿素はその時もしも母が急にいなくなることを思ってしまい
何ともやるせない気持ちになった
老衰で逝ってほしい
今の状態では痰をのどに詰まらせて窒息という状態・・・窒息死
という恐れが一番大きい
その時に呼吸器を入れるか入れないか・・・・
それを判断するのは私なのだ
明日にでも病院へ電話が必要だ
罪悪感にさいなまれるのか・・と思うと電話が出来なかった
母が安心するのには
ウソも方便
皆が成功しているよという事だ
今迄は生きる希望や
意志を持ってもらうとよいと思っていたが
もうその時期は過ぎていったのかもしれない
どんな状態でも思いは残ると・・・・・
母の立場になって一番いいことはと思うと
私は辛い選択をするということだ
泣いて泣いて泣けばいいと
3回忌7回忌とだんだん薄れていくから・・・と
父の時は急に亡くなったので
そのあとが大変だった
何かの時にふっと思い出すと涙が止まらず・・・
母は生きているのにそうなるのだ・・
お別れの準備が始まっているのだと感じている
関心があすから大好きだ有り大嫌いになるのだと・・・
関心がなければ心は何も感じない
そうだなあ・・・・・
手放しでよろこんでほしかったんだな・・・
1回でも
たった1階でもよかった
手放しで・・・受け入れてほしかった
子供の私はいつもそう思っていた
母は35歳で大きな決断をして子供付きで結婚をした
私を手放しで受け入れたからこその決断だったはず
立場が変わると思が変わるのか・・・・・
思いが同じでも立場が変わると感じ方が違うのだろうな・・・・・・