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taesanの周りに起こること・感じること

もやっと感が爽やかに変化・・・事実の世界と受け取り方の世界

2012-07-02 10:40:27 | 心理学
もやっとしていた時・・・・受け取り方の世界に住んで居た私

事実の世界に身を置くと・・・さわやかに感じることが出来る(もやっとがまし)

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良く出される例題は砂漠にいるときに容器に100ml水があったとしよう

☆ 100mlまだあるわ!

★ 100mlしかないわ!

この☆と★のとらえ方は明らかに違うが水の量は同じである

これは非常に単純であるが心は複雑とは言いながら覗いてみると・・・・


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ムカッとしたり

怒りの底には

実は


『:::::するべきだ』という私の考えが潜んでいる

電車の中で静かにしているべきだと思っていると

女子高生が黄色い声でも出そうものなら

「今どきの・・なんたることか!高校生にもなって静かにするべきだ¥1」と思って

むっとしてカッとなっているんだろうな・・・・・

公共の乗り物になるときは周りの状況観て静かにできるに越したことはないと考えられたら

自分の心のストレスは半減するかもしれない

そしてその車両にと止まるもどこか移動するも自分で選択することは出来る

そうなるとムカッとしている時間帯は激減する

ところがネバならい・やするべきだに執着していると何も他に手が付けられないとか

やっても怒りながらで上手くいくことは少ないかもしれない



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怒りや役に立ちそうもない感情を

エネルギーに変えてはやってきたが

いつもいつも変換するのではなくて

根底にある信じているものが解ってくると

それを書き換えることでたくさんのことが自動的に変換できるようになった感じがする

新しい母にたいして「ゆうこときいてかしこーしとくんだよ」というおまじないは

私の命の保証をするというものだったのだろう

それはいつしか

「愛されれば愛に応えなければならない」

それが

「私が愛した人は私の愛に応えなければならない」

というような感じかなあと・・・・・

この愛は男女間特定というわけではなく

人間全般に思っていたのかもしれない

そこから愛は伝わる・・とか


愛と思っていても「おせっかい」だったのかもしれない

愛は見返りがないものだから・・・・

などなど

そこで

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私は愛に満ち溢れていて愛を表現するが

そのことを受け取らない人がいても

変わらず愛を表現し続ける

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爽やかである

自分がそうあるということで

相手がどんな変化や対応できたとしても

自分の表現に対して

へんだったなかなとか

伝わらないのはへたなのかなあ・・とか

自責や落胆することは激減するだろう

成長の過程なので

伝え方などはトレーニング次第で上達ということはあり得るかも・・・

人々の心がピッカピカであることにコミットしているし

愛とパワーを与える生き方であるという事と

非常に一致し気持ちがいい今日である