やればやるほど上手くいく部分と
そうでない部分が浮き彫りになってくる
何がこの2極性を創っているのか?
自分の物事のとらえ方だけか
それは自分が『たすけて』くださいという事が言え無いからか
自分で解決する問題とみんなで頭を寄せる問題があるが
今迄一人でやってきたことが多い
そしてそうするものだと思っている
相談しても反論されたり批判されるといいたくなくなる
自分なりに精いっぱいやってきたと思っているからだ
それが出来なくなって『たすけて』ということを言っても
却下されたら・・・どうしたらよいのだろうか
何をどうやるのか・・・・
出来る方法を考える
そして
たすけてということを誰にどう伝えるのか
出来るということが明確になればなるほど
出来ないことも明確になる
そのギャップに今直面している
世界がいつも2つある
可能性を感じる世界と
閉塞感を感じる世界と
同じ私が生きているのに
2つ世界があるということはどういうことか
感じ方が2つあるという事だけか
苦しくてもその顔にならない
悩んでいても焦っていてもその顔に態度になりにくい
最後でバタバタするのは何とか辻褄を合わせようとしているのか
何故か脳を感じる世界と
閉塞感を感じる世界があるんだろう
ここだ
きっと私の突破するところはここかもしれない
閉塞感のあるところで
可能性を感じるにはどうすれば良いのだろうか?
そうでない部分が浮き彫りになってくる
何がこの2極性を創っているのか?
自分の物事のとらえ方だけか
それは自分が『たすけて』くださいという事が言え無いからか
自分で解決する問題とみんなで頭を寄せる問題があるが
今迄一人でやってきたことが多い
そしてそうするものだと思っている
相談しても反論されたり批判されるといいたくなくなる
自分なりに精いっぱいやってきたと思っているからだ
それが出来なくなって『たすけて』ということを言っても
却下されたら・・・どうしたらよいのだろうか
何をどうやるのか・・・・
出来る方法を考える
そして
たすけてということを誰にどう伝えるのか
出来るということが明確になればなるほど
出来ないことも明確になる
そのギャップに今直面している
世界がいつも2つある
可能性を感じる世界と
閉塞感を感じる世界と
同じ私が生きているのに
2つ世界があるということはどういうことか
感じ方が2つあるという事だけか
苦しくてもその顔にならない
悩んでいても焦っていてもその顔に態度になりにくい
最後でバタバタするのは何とか辻褄を合わせようとしているのか
何故か脳を感じる世界と
閉塞感を感じる世界があるんだろう
ここだ
きっと私の突破するところはここかもしれない
閉塞感のあるところで
可能性を感じるにはどうすれば良いのだろうか?