怒りとさみしさ・・孤独を感じたくない
そう言う事さえ無意識だった
意識し始め感じてもよいと自分で許可するが やはり 感じたくはないのだろう
怒り や寂しさ・孤独感・・・
それを引っ張り出すことも避けたい
怒っている人・感情的な人・無視する人・・・・
そうか・・・一番感じたくないのは「一人ぼっち」を感じたくないんだなあ…
大人であるにもかかわらず 一人ぼっちからの連想は沢山出てくる
辛い・悲しい・徒労感・受け入れられない否定感・孤独・独りの怖さ
強くあらねば・泣くな・弱音を吐くな・頼るな
選ばれることを拒否るのだな・・・
イヤーな感情になるのはひょっとしたら無意識の中に残っていた別れの時の選択
姉妹どちらかを選択する→孤独→感情を表現しない・・・
そのことがひょっとしたら尾を引いているのかもしれない
来るもの拒まずは自分はあまりノーと言えない→新しい母親をノーと言っていない
言いたくはないのである
反対に自分が入っていくときは非常に躊躇する
NO ではないが受け入れられないという感覚・・・
誰か一人と言われたら・・・妹を選んだ母・・・そのへんかな・・・・
恨み・・嫉妬・・ねたみ・・ひがみ・・感じないのではなくて
これも感じないように解りたくはないのである
ひょとしたらあまりの寂しさとか悲しさが大きいがゆえに
嫉妬や恨み ねたみ 僻みが埋もれているのかもしれない
よっぽど寂しくてかなしかったのだなあ・・・きっと・・・かも・・・
ココ一連の出来事を選ばれなくて寂しかった・・孤独だと感じるまで辛かったと表現したら
そんなことあるわけがないということは一目瞭然程明白である
その感情を味わいたくないと
何度も何度もそれを味わうような出来事を創るのも自分なのかもしれない
そしてやっぱり・・・そうなんだと
幼児決断を上塗りしていくのか
はっきりと観るものをみて一目瞭然と 論駁して人生を修正していくかだな
もちろん後者であるのだが
案外 子供の頃の再体験をして完了するという感覚に感じるので
当時のままの感覚が蘇ってくる
当時は子供・・4歳前後
今はあと4か月で60歳
一人の方がいいと思う日もあるくらい 一人(孤独)で過ごす時間も大事にしている
私はもう子供を卒業した・・・これは脚本が修正できるまでのおまじないの言葉かもしれない
そう言う事さえ無意識だった
意識し始め感じてもよいと自分で許可するが やはり 感じたくはないのだろう
怒り や寂しさ・孤独感・・・
それを引っ張り出すことも避けたい
怒っている人・感情的な人・無視する人・・・・
そうか・・・一番感じたくないのは「一人ぼっち」を感じたくないんだなあ…
大人であるにもかかわらず 一人ぼっちからの連想は沢山出てくる
辛い・悲しい・徒労感・受け入れられない否定感・孤独・独りの怖さ
強くあらねば・泣くな・弱音を吐くな・頼るな
選ばれることを拒否るのだな・・・
イヤーな感情になるのはひょっとしたら無意識の中に残っていた別れの時の選択
姉妹どちらかを選択する→孤独→感情を表現しない・・・
そのことがひょっとしたら尾を引いているのかもしれない
来るもの拒まずは自分はあまりノーと言えない→新しい母親をノーと言っていない
言いたくはないのである
反対に自分が入っていくときは非常に躊躇する
NO ではないが受け入れられないという感覚・・・
誰か一人と言われたら・・・妹を選んだ母・・・そのへんかな・・・・
恨み・・嫉妬・・ねたみ・・ひがみ・・感じないのではなくて
これも感じないように解りたくはないのである
ひょとしたらあまりの寂しさとか悲しさが大きいがゆえに
嫉妬や恨み ねたみ 僻みが埋もれているのかもしれない
よっぽど寂しくてかなしかったのだなあ・・・きっと・・・かも・・・
ココ一連の出来事を選ばれなくて寂しかった・・孤独だと感じるまで辛かったと表現したら
そんなことあるわけがないということは一目瞭然程明白である
その感情を味わいたくないと
何度も何度もそれを味わうような出来事を創るのも自分なのかもしれない
そしてやっぱり・・・そうなんだと
幼児決断を上塗りしていくのか
はっきりと観るものをみて一目瞭然と 論駁して人生を修正していくかだな
もちろん後者であるのだが
案外 子供の頃の再体験をして完了するという感覚に感じるので
当時のままの感覚が蘇ってくる
当時は子供・・4歳前後
今はあと4か月で60歳
一人の方がいいと思う日もあるくらい 一人(孤独)で過ごす時間も大事にしている
私はもう子供を卒業した・・・これは脚本が修正できるまでのおまじないの言葉かもしれない