神経症が治るということは苦悩する力が回復することだ
と書いてあった
苦悩して苦悩して・・・それは心が病んでいるか神経症なのかもしれないと思っていたのだが・・・
さらに
いろいろな悩みを丁寧に悩める人の心のひだは幾重にも深く、
思い悩みを背負って歩く人の心の足腰は鍛えられて強靭な事でしょう
え”!!
さらにさらに
このように悩みをしっかりと抱えられる力、悩みを全うに悩める力は、
寛容や柔軟性と並んで心の健康の大きな要素の一つだと考えられます
深く考えすぎだとか神経質だとか・・・
心が軟弱だからだとか・・・
そう思っていた・・・
自分は情けなく何か問題があるからだと・・・・・
けれどこういう心の働きが心の健康の大きな要素の一つだとは・・・・
思いもよらなかった
さらにさらにさらにである
以下は本からの抜粋(初めての心理学)
WHOの憲章に沿って・・・
健康とは単に病気でないだけではなくて、
ある人が限りある人生をその人なりに意味づけつつ
その属する人間社会に積極的に参加、適応し
さまざまな変化や直面する課題に対処できることと言い換えることが出来る
それは心の健康の2大側面の自己実現と現実適応を両方を含んだものとなっている
自己実現の側面とは
自分の可能性をひたすら追い求めるだけではなく
追及しても実らない可能性を断念したり
運命のいたずらか思いがけぬ方向で
頑張らなければならなかったり
ありとあらゆる条件のもとに置かれた
人々のぎりぎりの選択の積み重ねもまた、、
各人各様の自己実現だといってもよいでしょう。
言い換えれば唯一独自の限られた生を、
どれほど主体的に意識的に生き抜くか
そして、そこにどれだけの意味を見出すことが出来るか
ということが自己実現の本来の意味ではないか
現実適応の側面とは
日常生活をそつなくこなし
職場や身近な人間関係によくなじんでいるだけでは
不十分といえましょう。
繰り返す日常の中にどっぷりとつかっていると
なんだか今日も明日も変わらないように錯覚しがちですが
いつ何時そんな変化が起こるかわからないのがほんとうです
突然事故や災害・家族の誰かが倒れるか・急に転勤
困難な役を否応なしに引き受けさせられるかもしれません
まさに一寸先は闇。
現実適応力とは
私たちを取り巻く変化にとんだ環境に
どれだけ主体的に働きかけ直面する個々の問題に対処できるかといえる。
少々の無理がきく精神的な余裕やしなやかさも要求される
順応のように受け身的なものでも世渡り上手という表面的なものでもなく
その根底には日常を生きることへの自己実現に通ずるほどの意味付けがあって初めて可能になるものだ
と書いてある
そう来たか・・・・
それなら自分なりに頑張ってきたではないか
金メダルを上げたい
なんだか理想を掲げて子供のころから突き進んできたが
周りとうまくいかず
結婚生活も無口な夫と会話が成立しなくて
悲しみに明け暮れ
肩を張り
ただただ一生懸命生きてきて
生きにくく・・・
つらかった
日本でアメリカができる(自由になれる!)と思いビジネスを始め
4人の子育て・PTA・・
やっと順調になり始めた矢先
母の介護が始まり
離婚し
父が亡くなり
恋をし
半顔麻痺にもなり・・・・
どんだけ小説のネタがあるか・・・と思うほど
事実は小説より奇なり
を地で言っていると思う
そんな中心はズタズタでヘロヘロ・・・
それなのに本の中では心の足腰が強靭となると
確かに言えるかもしれない
ぎりぎりの選択を生きてきて・・・
それもそうだ
それが心の健康の要素の一部だとは……
人の気持ちはよくわかるようになったのかもしれないが
まさかこんなことだとは・・・・・
ほんとうに自分にご褒美を上げようと思う
と書いてあった
苦悩して苦悩して・・・それは心が病んでいるか神経症なのかもしれないと思っていたのだが・・・
さらに
いろいろな悩みを丁寧に悩める人の心のひだは幾重にも深く、
思い悩みを背負って歩く人の心の足腰は鍛えられて強靭な事でしょう
え”!!
さらにさらに
このように悩みをしっかりと抱えられる力、悩みを全うに悩める力は、
寛容や柔軟性と並んで心の健康の大きな要素の一つだと考えられます
深く考えすぎだとか神経質だとか・・・
心が軟弱だからだとか・・・
そう思っていた・・・
自分は情けなく何か問題があるからだと・・・・・
けれどこういう心の働きが心の健康の大きな要素の一つだとは・・・・
思いもよらなかった
さらにさらにさらにである
以下は本からの抜粋(初めての心理学)
WHOの憲章に沿って・・・
健康とは単に病気でないだけではなくて、
ある人が限りある人生をその人なりに意味づけつつ
その属する人間社会に積極的に参加、適応し
さまざまな変化や直面する課題に対処できることと言い換えることが出来る
それは心の健康の2大側面の自己実現と現実適応を両方を含んだものとなっている
自己実現の側面とは
自分の可能性をひたすら追い求めるだけではなく
追及しても実らない可能性を断念したり
運命のいたずらか思いがけぬ方向で
頑張らなければならなかったり
ありとあらゆる条件のもとに置かれた
人々のぎりぎりの選択の積み重ねもまた、、
各人各様の自己実現だといってもよいでしょう。
言い換えれば唯一独自の限られた生を、
どれほど主体的に意識的に生き抜くか
そして、そこにどれだけの意味を見出すことが出来るか
ということが自己実現の本来の意味ではないか
現実適応の側面とは
日常生活をそつなくこなし
職場や身近な人間関係によくなじんでいるだけでは
不十分といえましょう。
繰り返す日常の中にどっぷりとつかっていると
なんだか今日も明日も変わらないように錯覚しがちですが
いつ何時そんな変化が起こるかわからないのがほんとうです
突然事故や災害・家族の誰かが倒れるか・急に転勤
困難な役を否応なしに引き受けさせられるかもしれません
まさに一寸先は闇。
現実適応力とは
私たちを取り巻く変化にとんだ環境に
どれだけ主体的に働きかけ直面する個々の問題に対処できるかといえる。
少々の無理がきく精神的な余裕やしなやかさも要求される
順応のように受け身的なものでも世渡り上手という表面的なものでもなく
その根底には日常を生きることへの自己実現に通ずるほどの意味付けがあって初めて可能になるものだ
と書いてある
そう来たか・・・・
それなら自分なりに頑張ってきたではないか
金メダルを上げたい
なんだか理想を掲げて子供のころから突き進んできたが
周りとうまくいかず
結婚生活も無口な夫と会話が成立しなくて
悲しみに明け暮れ
肩を張り
ただただ一生懸命生きてきて
生きにくく・・・
つらかった
日本でアメリカができる(自由になれる!)と思いビジネスを始め
4人の子育て・PTA・・
やっと順調になり始めた矢先
母の介護が始まり
離婚し
父が亡くなり
恋をし
半顔麻痺にもなり・・・・
どんだけ小説のネタがあるか・・・と思うほど
事実は小説より奇なり
を地で言っていると思う
そんな中心はズタズタでヘロヘロ・・・
それなのに本の中では心の足腰が強靭となると
確かに言えるかもしれない
ぎりぎりの選択を生きてきて・・・
それもそうだ
それが心の健康の要素の一部だとは……
人の気持ちはよくわかるようになったのかもしれないが
まさかこんなことだとは・・・・・
ほんとうに自分にご褒美を上げようと思う