自分を見つめる時期かな・・・
そう知人が言葉を発した
なかなか自分の心を自分自身を観ないでおこうと
これで充分なんだと言い聞かせていた
自分の好みの仕事につき時代の流れでリストラに遭い
技術職から営業職へ変更を余儀なくされた
たまにお茶するのだが何か自分事でない話ばかりで
会話が続かない
こちらが一方的に話さない限り言葉はでない
会話にならないから離婚した私にとってそのお茶の時間は苦痛でしかない
お断りするとではまた・・と言うことで何も問題はない
仕事がらみと言ってもこちらから絡む必要もなく放置してる存在であった
最近『やっぱりちょっと考えた方がいいなと思うようになった』と連絡があった
震災後転職した仕事上でも何か深く思うことがあったようだ
とにかく表現しないので『ひょっとしたら・・・』と推測するしかない
何か月かに1回お茶するときに考える程度なので何とかかかわってきたっという感じ
その知人が
『心の中を表現したほうがいいな・・強がってんとこのままでありのままの自分を認めたほうがいいなあ・・』
と言い出したのである
『そう思うよ』
ということで
私の通っている心理学の総合講座の体験を話した
自分の取扱説明書が有ったらきっと大事に使うと思うよ
知らんからオーバーヒートするまで使ってみたり
間違った使い方して壊しているんやと思う
講座を受けて自分はこういう特性があるなど
自分を知ることが出来たのとありのままの自分を受け入れることが出来たんやと思うなあ
死ぬまで今のままか新しい自分を生きるために
メンテナンスに出してリセットしてもいい年かもねえ・・・
というと
『行きたいから日程を調整するわ』ということになった
心を閉ざしていた知人がなぜ心を開けようと思ったのか・・・
具体的には聴いてはいない
ただ怒りながらもかかわり続けているという事が自分にとってなんなのかと考えたんだといっていた
きっとここ数年の関わりで何かを感じたのかもしれない
大人になってからイヤだと思うと距離取るだけで本当に感じていることはなかなか言わないもんね
でもね私はあなたとあなたの周りも幸せでいて欲しいと思ってる
自分さえ良かったら相手が(家族が)さみしい思いや悲しい思いをして居るのに
あなたが不感であることは私は残念だなあと思っているから
あなたがこれから家族と親密になっていくことを望んでいる
そう言う事を5年ほど折に触れて言ってきた仲だったのだ
カギをかけていた心のドアをカギを外してもよいと思ったのかもしれない
違う選択は怖いかもしれない
あなたのもともと持っているものを磨いてみてね
そんな風にとらえている・・・・・