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記録更新。

2016-04-27 15:09:25 | 日常
夜勤明けにて今帰宅。

9時に仕事終わって、そこから6時間居て今やっと帰ってきました。
22時間半施設に居た事になります。

前回別の職員と夜勤明けで昼ごろまで話し込んでいてこんなに残っていたのが始めてという話をしていての大幅記録更新。

何故そんな事になっているのか。

全て書くには長く濃い話になるので割愛しますが、
今回の夜勤の相方さんと色々と話し込んでいたら夜勤中からずっと仮眠も取らずに話し続けてました。

一応パズドラの話もありましたが、今回の9割は別のことで、
その大体は人間関係に関する心理的な話。

相方さんは年配の妻帯者で人生経験豊富、趣味で人間観察、考察をしているという人。

僕は円滑に人間関係が築けるようにその辺りに気を使って生きていて、その見解は大体あっていると自負しています。

それは先日の遠山さんのちゃんと学んだ心理学と照らしあわせて確信したわけですが、
今回は素人の付け焼き刃的なプロファイリングとならどうかという話で色々と話してました。

この人との話で面白いのは、

お互いに他人の行動心理の考察しているが、僕は性善説、彼は性悪説で論理を組む所です。

同じ着目点で考え方が真逆の人と話すのは有意義な意見交換が出来て楽しいです、
そしてやはり僕の心理推察力は大分と信ぴょう性が高い。

今日は夜通し、個々の職員の行動とそれらが複数になった時の行動心理について夜通し喋って、
しかもそれが朝に当事者からその話を全てにまとめるオチまで出てきて、
二人で今日は非常に内容の濃い日になったと笑ってました。

こんなに1つに話がまとまったことがないと喜んでいましたが、僕は二度目の経験です。

一度目も人生に二度無いと思ってましたが意外にまた味わえてました。

この感覚は、色々な話があって、それを最後にまとめる何かがあるという、
オムニバス形式の物語展開のように話が進んで締めるという形になると起こります。

なので一度目も二度目も1つの作品になるぐらいにクオリティが高く面白い。

そして今日の一連の話の展開が1つの作品になる面白さという話を降ったら共感してくれる辺り、同じ感覚を持っているんだと思いました。

これは多分僕の話の嗜好がそれを呼んでいるのだと思いました。

僕は人の話を聞くのが本当に好きで、どうすれば色々な話を引き出せるかというのを考えて話してます。

それは事実は小説よりも奇なりというのを知っているからでリアリティから来る設定こそ創作に落とし込んでも面白いと思っているからです。

人の人生こそ1つの名作なのです。

人生の話には他人からすればそんなことあるのかと思うことが必ずあってそれを聞くのが楽しいです。

しかしそれはすぐに出てくるわけではなくある程度の信頼関係とその時の話の内容が合致した時にでます、
ソレは狙えないですが、僕が良く言われるのは、こんな事他人に話し事がないよと笑顔で言われることが多いです。

確かにその人個人の話を喜々として聞く人はそう居ないと思います。

こういった話を聞く場合の注意点として流布してはいけないという事です。

僕はちゃんと自分の中に聞いた話の中から他人に言っていいことと言ってはいけない事をカテゴライズして閉まっているので、
その辺りで失敗した事は一度もないです、子どものころは有りますが。

で話は戻ります。

仕事が終わってからもそんな話をしていて、それだから良いオチが出てきたのですが、
それとは別に今日は施設の勉強会があったのですが、昼過ぎなので一度仮眠をとってまた来るという流れなのですが、
もうこのまま居座るかとなったのも施設滞在時間を伸ばした要員です。

昼ごろには勉強会を受けに来た休みの職員もちらほら来て、普通に世間話をして、
何の因果か、普段は座学なのに今回はAEDの実演で徹夜には堪える内容を終えて、
また適当に休み組で喋って切りがいいところでお開きになって帰ってきたらこの時間でした。

今回の本題とは別に二件僕的には重要な事があったのですが、それはまだ水面下なのでまた書く事があると思うので保留です。

それと最近、職員間で僕を拝むノリが出てきました、そして僕を仏、解脱ももうすぐと言われます。

正に僕の思うところのイメージ操作がうまく行っている証拠です、
イメージ操作と行っても悪い意味ではなく、自分が他人にどう見られたいか考え行動している事と他人の評価が一致してきているという事で、

昔から、良い人ではありましたがそれでは都合の良い人であって仏とか言われる人物像とは違います、
それに気づき軌道修正してきた数年、やっと形になってきたかなと思いました。

これならおじいちゃんになったときに僕が理想とするおじいちゃん像になっていれそうです。

そして今、人に仏と言われればこう返すしか無い。