有り難い事に過去の記事を掘り出してくれる読者が居る事は嬉しい。
本日4月19日の記事が購読トップ10に入ったのは驚きだそれも(得意の猥褻漫談パート1)の題名だ、未だブログを初めての頃なのでAI憲兵隊に検閲を受けなかったのだろう、危険なブログの指定も無かったと思う。
現在この題名でパート2を書いたら最新記事には絶対掲載されないだろう、でも猥褻記事を見つける読者は多い。今はY団と駄洒落で書いて居るが、この頃少ないので書いてみよう。
自負だが自称アッチの話は天才に近い、昭和33年3月31日の売春禁止法が発令された前日を小学2年生ながら知って居るのが原因だと思う、娼妓とやり手婆の友達も多かったし悲惨な現実も知って居るマセタ餓鬼だった。
その後の赤線、黒線、青線、白線も研究?した。プー太郎時代後初めて勤務したのが旅行社だった影響も有る。
社員旅行が主で男性客が多いので、温泉地のストリップ枕芸者が多い所を必死に探し見つけたのだ、社内では一番詳しく先輩が聞きに来る程だった。この件の記事は多数有るので過去の記事検索して下さい。
今日は伊勢志摩サミットに関連して書きます、伊勢志摩はゴールデンコースと呼ばれた添乗して真珠屋に寄ると2万円近くの手数料が入るのだ、正に美味しいコースだが俺には他の目的が有った。
渡鹿野島(わたかのしま)で有る当時桃源郷と言われた。江戸時代に船乗りや海賊?が女を買う専用の島だった。俺もお客の道案内で行ったが、仕事なので真面目にしていた、1980年前後が全盛期で島民より娼妓の方が多かったと聞く、客引きも多く島は賑わっていて目の置き所に困った記憶が有る。俺は居酒屋で一人酒だが度々声が掛り困った。
サミットは近くの賢島(かしこじま)で行われたが何故と不思議に感じた、謎は直ぐに解けた無常にも滅びてしまったのだ、悲しいが健全な街に成るのは良い事と思う。
下記に島の歴史を書いたアドレス掲載します、好き者は面白いので是非読んで下さい。