特攻隊シリーズ1,2が何故かアクセス多いので、急にシリーズ3を取り急ぎ書きます。
理論家で無いのは承知済みだと思うので、駄文乱文長文失礼いたします。
本日は知覧特攻平和会館で書きます、私は旅行社時代の旧館時期を含めて三回訪れて居ます、アッチの方が専門と読者の方はお思いでしょうが、内心は結構真面目です。広島長崎に数度客を案内したのは自負で他の社員には風変りに見られていたのです、何しろ慰安旅行ですから不思議ですよね、しかし客はそれなりに悲惨さを知り納得してました。
読者の方で知覧を訪れた人も多いと思います、遺書や写真見て涙流したでしょう私も一回目では泣きました。
だがチョット待って下さい、その涙誰に向けて流したのですか。特攻隊員本人?父母兄弟?国民?それとも馬鹿な軍隊への怒りかよく思考整理して下さい。
私も泣いて帰った後に心の整理をしました、でも二回目に訪れた時謎が溶けたのです。
あそこは似非特攻平和会館です、最初に特攻の母と呼ばれた浜野トメさんが慰霊してた頃は純真で正義溢れる所でしたが、突然変わったのです。(特攻平和観音奉賛会)と言う悪徳会が観音様を立てたからです。
正体は菅原中将を筆頭にする元アホ将軍達の特攻慰霊会です、説明しなくても理解出来ますよね。
特攻隊員には強制的に志願させ(君達の後には俺も逝く)と嘘を言い戦後に出世した馬鹿連中です。
尤も最高指揮者が責任逃 れで必死に生き。(自らの責任を取らず文学上の問題)で逃げ切り1989年迄生きたのだから現在のアホと同様です、それともアホが真似してるのかな。矢張り悪には違う災脳が有るのだろう。
知覧に戻ります、悪徳会の観音様の建立には常識教養が有れば反対されるのが当然だ勿論猛反対で溢れた。しかし現在過去同様だが力の有る者が勝つ、それで会館の内容に変化が起きたと感じるが1955年の事だ私の思い込みだと良いと願う。
その後知覧は過疎地に成りかけた、高木敏郎が元従軍記者で現在作家だが(特攻の母)で島浜トメさんを書きたがったが、観音様の事情は不愉快に思ったらしいが悔しくも書いた。ヒットして一躍知覧が有名になった単なる観光地は失礼だが、現在はそう思う。
先ずはお涙頂戴で受ける遺書を並べてるが、特攻隊の時代背景や教育勅語、軍事勅諭が無いのだ勿論将軍や参謀の責任問題も無い。太平洋戦争が侵略戦争だった意識は毛頭無いのだろう。
ネトウヨネトサポ如く、植民地からの解放の様に感じる。南方で餓死した戦死者の写真を飾りたい気分だ。
この会館を世界の記憶遺産に申請したそうだが、役人の頭が狂っているのだろう。プロパガンダに感じる。
もっと書きたいですが、文字数が限度です、遺書の真実や他書け無くパート4で書きます。
開聞岳を目標に飛び、超えたら海のみだ(千死零生)だけが待ってるのは悲しい歴史だ、正しい史実を残そう。
下記に特攻隊の真実を書いたアドレス掲載します、長文ですが面白いので是非読んで下さい。
https://osh-management.com/social-problem/information/chiran-suicide-attack/index4.html