ニュースを観ていて気が付いた、啓蟄です。虫が越冬して地上に顔出す日にちらしい。
3月5日だが調べて居ないので不明だが、本来は旧暦と思うので約1ヶ月先だと納得は出来る。
この日はお袋さんの亡くなった日で祥月命日に成る、墓参りには必ず行く。
19年前の墓参り際に悪友お坊ちゃま社長の死亡の連絡を受けた、早速駆け付けたが亡くなったのは昨日と知り疑問は湧く、即座に知らせる仲だと思ったが自殺と知り理解出来た。葬儀の後に500人近い参列者の後ろで
○○の馬鹿野郎と怒鳴った事は前の記事で書いています、本当に命懸けでした。本日4日は彼の祥月命日だ。
21時だが彼の女房に電話した、彼女は酒2合を飲み早寝早起きの習慣は知ってる10回通信音を聞いたら切ろう思ったが繋がった、案の定寝て居た俺の代わりに線香を仏壇に上げるように頼んだ、最初は通常の話し方だが涙声に成っている事は感じた。祥月命日に連絡呉れるのは俺しか居ないと礼の言葉も含まれる。
電話を切って10分後に電話が入った、起こされて眠れないの苦情のジョークも有るが飲もうの誘いだ。
亭主が健在の頃は骨壺野郎夫婦と誕生日の飲み会等でよく飲んだ、俺が脳梗塞の後遺症で運転を止められてから何年か会ってない。電話が嬉しかったのだろう俺の女房と相談すると切れた、今度の土曜日18時で決まったらしい。
長生きするには三欠が必要と聞く、義理人情付き合いの三欠です。禿爺には無理だが飲む打つ買うも同様だ、飲む吸うは未だ健在です。でも義理云々を欠かして長生きしても何の価値が有るか俺には理解出来ない。
この歳では多くの方を送って居るが、俺が生きてる限り祀って遣りたい変人にての思考と思う。