本日も読売新聞の編集手帳からの引用です、しかし正確性を持たせる為に調べて私見も入っています。
1945年3月10日は東京大空襲の日です、僅か2時間で東京の4割が焼かれ約10万人が亡くなった悲惨な日です。(戦後自分の誕生日を一度も祝った事が無い女性が居る)(東京大空襲60年 母の記録)の著者森川寿美子さんです。副題に(敦子よ 涼子よ 輝一よ)と亡くした子供たちの名をしるす。
国民学校そばのプールに飛び込むと、4歳の輝一君は泣きながら言った(おかあちゃん、熱いよ、赤ちゃんもっと熱いだろうね)双子の妹に気を使い共に亡くなった。
そして悲しい事が続く、実家の渋谷にて5月25日の空襲で父母も亡くしているのだ。しかし戦後下町に亭主と暮らして2人の女の子を授かった、嬉しい事です。
奇しくも寿美子さんの誕生日は1921年3月10日なのだ、それ故に誕生祝いをしなかった事はお気の毒ですが事情は充分に理解出来ます。
寿美子さんの現在の消息をしらべたが不明でした、本日元気ならば百歳を迎える。
他人事で失礼だが我が家の仏壇に線香をあげて拝んだ、胸の内は悲しいが涙声で或る歌が浮かんだ。
ハッピーバースデートゥー寿美子、ハッピーバースデー百寿、ハッピーバースデー寿美子、おめでとう!。
最近畜生道にも劣る餓鬼のネトウヨが、何十年も前の戦争責任は取れないと叫んでいる。
勿論理論的に無理は分かる、しかし俺も団塊の世代で直責任は無いが意識が全く違うのだ。
責任は取れる意識が有るのだ、二度と悲惨な戦争を起こさない責任だと思う。自称左派の愛国者故の戯言と言われれば自然に受け入れるが、これが真の愛国者です。
金権政治家やお笑い軍団に疑いを持って、潰す事を真剣に考える時期と思うが当然でしょう。
慰霊祭の政治家発言の綺麗事演説で無く、320万人の慰霊者に感謝してお礼申し上げます。 合掌。