これは詰まらぬ、出会いのサイトの日記からの引用です。まさかウクライナ情勢を語る事は無いので不思議な感じで読んだが、矢張りお菓子の紹介だった。
カステラに羊羹をサンドイッチ状に挟んだ菓子で、明治後半に出来て笑話時代に流行ったらしいが俺には全く記憶が無い。語源はシベリアに乃木将軍が派兵した事や他にも伝説は有るらしい。
現在はロシアだが我が世代にはソ連の方が馴染みがある国名です。
先ず最初に浮かんだのが、シベリア鉄道です。多分五木寛之作(さらばモスクワ愚連隊)等の影響が有ると思う。当時の若者は外国に憧れて居た者が多いと感じるが、飛行機に乗れる身分では無い。
俺も大学に行くか外国に行くか迷った一人です、一番安い方法が新潟港で船に乗りシベリア鉄道を使いヨーロッパを目指す事でした。実際悪友や彼らの弟たちが実行しています。
残念ながら決心が付かず日本に残りました、彼らの中で現地に残り結婚したの話も聞きます。
過去のブログですが、金髪碧眼美少女に誰も手を付けずに居たが、俺は一目惚れで結ばれた云々は、当時外国に行けなかったトラウマと、感じてる今が有ります。
俺の主観です、当時イエロー男性が白色女性と結ばれるの困難の連続でした。しかし或る意味では人間的な部分に触れられた事は幸運と思います。
現在にては容易く外国に行けるが、金持ちの娘が外国留学はお勧め出来ません。日本人の欧米コンプレックはご存知ですよね、たかが英語学ぶ為では無いでしょう目的は既に決まって居ます(笑)。
余談。
五木寛之が石原慎太郎と1932年9月30日の同じ生まれと知って居ましたか?
俺の思考では、ランクが桁違いと感じます、五木寛之は野坂昭如や永六輔達と同じグループなのです。故に尊敬に値します。彼らは三木トリローの事務所に属しCMやドラマの制作に当たって居り、作家としてのデビューが遅れたのです。
またレナウンのCMが、野坂から五木に受け継がれたのは奇跡に近くお笑いでしょう。
五木寛之の言葉でデラシネ(根無し草)の言葉が多く出ますが、意味が有るのです。彼は平城で終戦を迎えて居るが色々問題が有ったのです。最近の小説は読んで無いがエッセー集「運命の足音」(2002年)で50年前を語ったらしい、正にデラシネです。学費も払えず売血の人生も送って居ます。
母、弟、妹の詫びも有ったらしいが悲惨です。
しかしあの時代に若者達の影響は多大だった筈だ、70年安保闘争の以前だが天国云々のホーククルセイダースにも
ザ・フォーク・クルセダーズ【青年は荒野をめざす】
の歌が有る彼らは天才にて、歴史上最高のフォークシンガーだろう。イムジン河成る放送禁止に成った歌も有るので検索して下さい。
話は飛ぶが、野坂昭如の葬儀は永六輔が葬儀委員長で弔辞は五木寛之が読んだ。友情以上に何かが有ったと思う。
平成ベビーは70年安保闘争を幼稚な思想と思うかも知れないが、大事な平和憲法と民主主義が無くなった歴史認識は持って貰いたいと思う。
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