書きたかったが、書く決心が就かなかった記事をやっと書きます。
特攻隊を1945年(昭和20年8月16日)から書くのは、私が初めてでしょう。
先日14日は戦中、15日玉音放送の敗戦での1日だけの戦後そして16日以降は戦前に成ったと書きましたが真実です。長文駄文乱文は失礼します。
特攻隊の遺書が、16日以降某組織に依り遺族から千通以上没収されたのです。
見応えがあったNHK「クローズアップ現代」 (門田隆将氏著)
2012.08.29
昨夜のNHK「クローズアップ現代」は見応えがあった。「なぜ遺書は集められたのか~特攻 謎の遺族調査~」と題されたスクープ番組である。
太平洋戦争で特攻によって亡くなった元特攻隊員の遺族を戦後、“謎の人物”が訪ねてまわり、1000通を超える遺書が回収されていたというのだ。その遺書が、江田島の海上自衛隊の倉庫から発見されたことを同番組が報じていた。
私は『太平洋戦争 最後の証言』(小学館)シリーズを今年、完結させたばかりで、元特攻隊員にも数多くお会いしている。その当時の悲愴な心情と、仲間の死について、涙ながらに語る老パイロットたちの姿を直接、知っているだけに、身を乗り出して番組を観た。
“謎の人物”とは、自称・特務機関員の近江一郎氏だった。私は、「ああ、そうか」と思った。なぜなら、私は、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズの調査・取材過程で、この人の資料を恵比寿の防衛研究所の史料閲覧室で何度も見たことがあるからだ。
近江氏は、遺族から遺書を回収するだけでなく、受け取ることができなかった遺書は、わざわざ書き写させてもらい、これをきちんと残して、その綴りを後世に残していたのである。
それは、実に丁寧で几帳面な字だった。零戦で特攻して亡くなった日系2世・松藤大治少尉の生涯を描いた拙著『蒼海に消ゆ』(集英社)でも、この近江氏が書き写した資料を紹介させてもらった。
それは、元山航空隊から出撃した松藤少尉ら「七生隊」を率いた宮武信夫大尉の辞世の句が、近江氏によって書き写されていたからだ。
「七生を 誓ひて散らん 桜花」
宮武大尉のこの句を書き写して後世に残した人物こそ、近江一郎氏だったのである。私は、近江氏によって回収された特攻隊員たちの遺書が江田島から発見されたというニュースが他人事とは思えなかった。ああ、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズが終わる前に是非、原本を見たかった、と正直思ったのである。
それと共に、この近江氏のバックに特攻を推進した一人、猪口力平・元大佐がいたと聞き、驚いた。猪口氏は、中島正・元中佐と共に、“特攻生みの親”大西瀧治郎中将の部下である。
中島氏は、特攻を次々と送り出し、「俺もあとから貴様たちに続く」「貴様らは、生きながら、すでにして“神”である」と訓示し、しかし、戦後も生き長らえて、自衛隊で空将まで昇り詰める人物だ。
猪口氏と中島氏は昭和26年に『神風特別攻撃隊』(日本出版協同)を共著で出版し、特攻隊員たちは自ら志願し、進んで「死」を選んだ、と書いた。それは、まるで自分たちが戦後、生き残っていることに対する釈明であり、言い訳であるかのような内容だった。
私は、海軍の士官たちを多数輩出した海軍兵学校出身の人たちは主に2つに分けられると思っている。宮武大尉のように、自ら部下を率いて先頭に立ち、軍人としての潔さを示した人たちと、「自分もあとを追う」と約束しながら、部下だけを行かせて自らの身は安全地帯に置きつづけた人たちである。
今回の番組で私が驚いたのは、猪口氏らが近江氏のバックにいて、その命によって、近江氏が全国を行脚して遺書を回収していたことが明らかにされたことだ。
この遺書回収作業のあとの昭和26年に猪口氏らによる『神風特別攻撃隊』が出版されたことを、どう解釈すべきなのだろうか。私は、多くの潔い部下たちがいた一方で、当時の指揮官や幹部たちの一部が戦後、言い訳や弁明に終始する生き方をした点が、妙に寂しいのである。
次にNHKの弁で有る。
例年、先の戦争の終戦前後になると、戦争に関する題材がクローズアップ現代にも見られるものだ。今年はロンドン五輪などの影響で番組が長らく休止していたこともあり、やや時季外れとなったが、「特攻隊員の遺書」なるものが登場した。
5000人を越える犠牲者を出したという特攻作戦。その隊員が家族に出した1000通もの遺書の手紙が、海上自衛隊の倉庫の奥深くに忘れられたまま置かれていたのが、最近見つかったという。番組では、それらを読み上げ、御国のために尽くした英霊を顕彰――することは早々に切り上げ、ちょっとしたミステリーに仕立てあげた。
背後に特攻作戦指揮の元海軍中将や参謀大佐
これらの遺書は、戦後間もなく、ときに特務機関の一員を名乗る謎の男が遺族のもとを弔問などを理由に訪れ、いろいろ近況の聞き取りをするとともに集めて行ったという。しかしいったい誰が何のために?
男の訪問を受けたある遺族は、メモに男の氏名等を残していた。男は自分の訪問を口外しないよう命じていたという。番組が調べると、その正体はただの(?)民間人。しかし5年間で40道府県、2000の遺族をほとんど1人で回って歩いていたという。情報や資金を提供していたのは、戦後、海軍省を引き継いだ組織の第二復員省で、男はなかでも特攻作戦の指揮官であった元海軍中将や参謀だった大佐と密に連絡を取っていたという。
都合の悪い情報隠し、狙いは海軍復活
結局、番組はこの遺族調査や遺書回収の目的等がわかる資料・情報は発見できなかったが、元大佐はその後、特攻隊を正当化するような書物を著しており、集められた遺書7通がその著書に引用されていたという。
当時、第二復員省は海軍復活の夢を見ていたそうで、そうしたことからも、遺書回収の目的は都合の悪い情報を隠蔽したり、あるいは特攻隊を正当化することではなかろうかと想像される。
国谷裕子キャスターもそんな疑いを口にしていたが、スタジオゲストで海軍に詳しい戸髙一成・呉市海事歴史科学館館長は「『正当化』というと気の毒な気がする。戦時中から外道の作戦と言われた特攻をやったことへの反省や、亡くなった方への慰霊の気持ちがあった上で、行われた事業ではないか」などと話していた。
ボンド柳生
NHKクローズアップ現代(2012年8月28日放送「なぜ遺書は集められたのか~特攻 謎の遺族調査~」私が執着するのは教科書を黒く塗り、軍国主義を何の反省も無く二学期から生き延びた教師に嫌悪感が有るからだ、これは国民にも責任が有ると思う。
また南方に芸者を引き連れた将軍にも異論は有る、六割以上の兵隊が餓死したのに本人は兵隊を置き去りにして芸者と飛行機で台湾に逃避したのだ、正常の人間のなせる行為では無いだろう。
国会議員にも多数いる、仲宗根は南方で現地女性の従軍慰安婦を作ったし、源田実は特攻機桜花の影役者だ。
責任を取らない将校が多い中で、大西中将は16日に切腹をして介錯も受けず最期まで死の苦しみをしたとの事で尊敬の念を持っていたが、最初に駆け付けたのが児玉誉志夫と知り驚いた。満州でレアメタルや麻薬の取引で大金を稼ぎ後に右翼のフィクサーに成った男だ、民間人だが海軍の大佐扱いで嘱託の様な仕事をしていた軍資金は彼に稼がせて貢いで貰っていたらしい。
是では何を信じて良いのか理解出来ない、戦争とは人間を狂わせるとつくづく実感した。
このシーリーズまだまだ続きます。是非続編を読んで下さい。