秋澄めり レモンツリーを 見上ぐれば
桃色の りんどう今日も 半開き
厨ごと 済めば気儘よ 夕月夜
夕月や 別れ鴉の 身じろがず
この辺りは、鴉がとても多い。
冬の間は、我が家の真上を、朝夕、大群で飛んで行く鴉。
今ではすっかり慣れて、季節の風物詩みたいに眺めて、時に時間を忘れ写真を撮ったりしている。
隣家のテレビアンテナには、大抵二羽の鴉が止まっている。
割と毎夕。
ところが、ここ最近、一羽だけしかとまっていない。
昨日改めて気がついた。
鴉は、それだけでは季語にはならない。
春は、鴉の巣。
夏は、鴉の子 親鴉。
冬は、冬鴉、寒鴉。など。
秋は?
歳時記には載っていない。
ネット検索してみたら、あった。
鴉の子別れ、別れ鴉、秋の鴉!
〈鴉は、巣立ちのあとも、群れで行動するため、割と親との別れが遅くなる。秋、単独で飛んでいたり、行動する鴉は、親と別れた鴉とみなし…〉
とある。
そう言えば、アンテナの上の鴉だけじゃなく、田んぼなどでも、よく一羽だけの鴉をみかける。
なんか納得。
この夕方の、アンテナにとまってる鴉は、子ガラスなのだろうか、それとも、親ガラス?
どちらにしても、なんとなく寂しそうに見える。
じっと下を向いてるような。
私には、子育てを終えた母親の鴉に見えた。
おつかれさま。
早く寝ぐらに、群れの皆の処にお帰りよ。
(俳句は、別れ鴉は季語として使わず、夕月を主体にしたつもり。
結構、季重なりの句を作って、知らん顔してる(笑)けど、今回は歳時記に載ってないので、一応おことわりいたします。🙇♀️)
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