過日、何気なくテレビを流し見していると
かつて拙者が鍛錬した柳生流兵法の道場の
師範が門弟の技を解説していてびっくら
ポンでござった。息災のようで安堵した。
其の夜、久々に刀を振った。
大まかな型は身体が覚えているが部分部分
忘れていた。「詮方ない」と湯割りを呑み
砂原浩太朗先生の「黛家の兄弟」に栞して
いるお気に入りの頁を読み返した。
「拙者も従容(しょうよう)として生きたい」
と、文中で使われている言葉を真似て悦に
入るやっせんぼの似非侍でござった。
かつて拙者が鍛錬した柳生流兵法の道場の
師範が門弟の技を解説していてびっくら
ポンでござった。息災のようで安堵した。
其の夜、久々に刀を振った。
大まかな型は身体が覚えているが部分部分
忘れていた。「詮方ない」と湯割りを呑み
砂原浩太朗先生の「黛家の兄弟」に栞して
いるお気に入りの頁を読み返した。
「拙者も従容(しょうよう)として生きたい」
と、文中で使われている言葉を真似て悦に
入るやっせんぼの似非侍でござった。