先生との出会い(14)―講義初日、「ダメだ!」―(愚か者の回想四)
「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。
帰る途中プールへ寄った。先輩方に合格の報告をした。尊敬するO先輩は、「おめでとう。ちょうどいいね。昼間ここでバイトして夜大学に行けばいい。大学へ行く途中だし。」と一緒に喜んでくれた。
浪人していたもう一人もA大学に合格した。彼は昼間の大学だった。
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私達は4月を待たずにプールに復帰することになった。大学の部活には入らなかったがプールが事実上、部活と同じ位置を占めることになった。昼の学生は勉強してから部活だが、私の場合は部活をしてから勉強するというサイクルである。
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1973年(昭和48年)4月、私は中央大学法学部二部法律学科に入学した。
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大学の講義が始まる。
履修登録というやつをするために、大きさが新聞紙のような時間割を広げた。見方が難しい。
1年生の履修科目は語学が多かった。語学という表現に戸惑ったが、要するに英語だ。だが、そうではないことに気づくには時間がかかった。
大学ではなんでも「学」の文字が付くらしい。語学では英語の他にもう一つ、外国語を履修しなければならない。私は特に理由らしい理由もなくドイツ語を選んだ。フランス語は発音が難しそうだったので避けた。フランス語を選んだ人の中には女性が多かった。他にも数か国語あった記憶があるがいずれも避けた。ほぼ毎日語学があった。
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1年生のときは高校のようにクラスがあった。語学のクラスなのだと後から分かった。選択した語学の組み合わせでクラスが編成されていた。これも運命なのだろう。人生は愉快だ。
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最初の講義の日、教室には30名前後の人がいた。中にはスーツにネクタイ姿の人もいた。これが中大夜間部の景色なのだそうだ。中央大学は地下鉄を使えば霞が関からでも20分前後で来られる位置にある。この近さが中央省庁に勤務する人々の通学を可能にしていた。
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また、裁判所や検察庁や弁護士会館にも近いのでOBの法曹が非常勤で講義を担当したり、後輩の司法試験受験生の指導に来ることもあった。教室にいた複数のネクタイ姿の人は国税庁の職員だった。
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彼らとは対照的に穴の開いたジーンズにサンダル履き、疲れたシャツを着た人もいた。それ以外のほとんどの人はジャケット姿で年齢も私より少し上に見えた。女性が二人いた。
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最初の講義は英語だ。何と言うことか。出席をとる代わりにテキストを一文ずつ順番に訳すよう指示があった。
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「そんなことできるわけがないだろう。」と思った。
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「ダメだ!」
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これが大学というものなのか。教えてはくれないのか。困惑した。
(つづく)