退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

「『すまなかった』ですか。―塩漬け准教授の仕掛け―」(2)(愚か者の回想三)

2020年09月11日 20時39分35秒 | 日記

(「『すまなかった』ですか。―塩漬け准教授の仕掛け―」はファンタジーです。実在する個人及び団体とは一切関係ありません。)

 2.開学から数年後、若い教員の昇任議案が教授会に提出された。同じ領域の教授が准教授の昇任を教授会に諮る議案だった。教授会にも教員の昇任について発議する権限があるのだと知った。

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 私は共通科目担当教員である。講座制のような空気で動いている専門教員集団とは距離がある。キャンパスが分かれている関係で現実に地理的にも距離があったがそれ以上に距離を感じていた。果たして私の昇任を発議するのは誰なのだろうか。私の業績評価をできる人はいるのだろうか。この大学には私を除き法学の専門教員はいない。少なくとも研究者として法学を専門とするものはいなかった。あまり気にしたことは無かったがこのとき初めて少し気になった。

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 その昔、採用面接らしき面談のときのことであった。定年は71歳、通勤手当は実費全額支給、教員の臨時宿泊施設完備。これが後に事務局長になる男が私に示した条件であった。

 だが、採用後、すぐに通勤手当には上限があること、臨時宿泊施設を平教員が使うことができないことが明らかとなった。ひどい話だ。「まぁ、仕方がないか。」あきらめるしかない。おかげで前任校の退職金の多くの部分が通勤費と宿泊代で消えた。

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 ところが、数年後、定年年齢が65歳に引き下げられることが学内公報に載った。追い打ちか。これは一大事だ。拙宅ローンは73歳まである。

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 その後、組合が法人と交渉し68歳となったとの教授会報告があった。それでも3年も短くなった。ちなみに、系列大学とはいえこの法人が設置する大学に組合があるとは知らなかった。

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 私は決して怠けていたわけではない。恩師の教えに従い「研究」などと大仰な呼び方はせず「勉強」と呼ぶが、勉強はしていた。普通の研究者と同じように然るべき期間に然るべき業績も残してきた。

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 今日まで久しく諸々ご教示を頂いているある仏教寺院の御住職に、退職のご報告に伺い准教授のまま定年を迎えた旨をお伝えした。元某大学の学長の職にあった御住職は、「何年御在職であったか。」と問われた。「15年です。」とお答えすると、「それはおかしな話ですね。」と同情してくださった。やはり異常な処遇であったようだ。

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 もっとも、複数の神輿仲間は私と行き会うと「教授!」と声をかけてくれた。嬉しかった。

 また、地元紙も比較的長く私に関する記事では「H教授」と書いてくれた。有り難いことであった。

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 そしてあの日、である。開学から6年が過ぎた。この年の年度末、開学時からその職にあった学長が退職することになった。他の偉い教員の退職や異動の時と同じようにお別れの会が開催された。

 来るものを歓迎し去るものを惜しむ。古来より人の作法だと思うので当たり前に出席した。

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 「H先生。よく来てくれました。」という思いがけない発言の後、「すまなかった。本当にすまなかった。どうしてもHさんの昇任人事を出せなかった。申し訳ない。」と学長が言った。わが耳を疑った。

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 あの噂を思い出した。根も葉もない噂だ。悪意すら感じていた。しかし、学長がこの噂を流した目的は教授会の発議を止め、己の不作為を正当化するためだった。

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 そもそも、たまたま御神輿渡御に遭遇したからと言って飛び入りで担げるほどこの町の御神輿渡御もゆるいものではない。

 したがって、御神輿渡御の作法を全く知らないものが流したうわさだということはすぐに分かる。

 事実、これを知る同僚は噂を信じていなかった。信じてはいなかったが「それは違う」と声を上げる人も当然いなかった。前任校と同じだった。

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 教授も准教授も「准」の文字があるか無いかの程度でそれほど大きな差は無いと愚考していた。

 ところが、退職する日の半年ほど前の頃だっただろうか再び不吉な封書が舞い込んだ。

 「貴殿は来年3月31日をもって定年により退職することになりますので通知します。」

 学園本部人事課発の文書であった。さすがにこれには動揺した。

 68歳ではなかったのか。当時の教授会資料を見返した。たしかに、「教授及び准教授:68歳となる年度の末日」と書いてある。しかし、その後、学則が改定され准教授は65歳に引き下げられていた。知らなかった。

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 3年という年月は大きい。ローンの残りをいくらかでも減らすことができたはずだ。しかし、同じように教員の経費をいくらかでも減らすこともできる。あの噂を信じるものはいない。だが、あの噂があることで都合がよい人もいた。

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 風邪でもひいていたのだろうか。「すまなかった。申し訳ない。」と言っているとき彼は鼻をすすっていた。「すまなかった。申し訳ない。」と本当に思うなら後任の人事権者にHの昇任人事について申し送りをするのが自然の成り行きだと思う。しかし、この学長が退職した後もHの昇任人事はなかった。お飾り学長にはそんな権限も無かったのだろう。

 私が定年を迎え退職するまで准教授のままであったのは結局パワハラだった。

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 そういうことなのである。初代学長のパワハラを見て見ぬふりをした執行部の思惑はそういうことだった。合理的推論である。(終)

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 補遺:彼が去って数年後、彼の訃報に接した。退職後4年の時が過ぎていた。御住職に退職のご報告に上がった折り、触れるとはなしに「学長は退任後、数年してお亡くなりになりました。」と話すと「天罰ですね。」とおっしゃった。その言葉のあまりの重さにドキッとした。何も言えなかった。

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故人様のご冥福をお祈りいたします。

合掌

 

(了)



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