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Hr君はN君とは異なりどちらかと言うと堅実型であった。彼もS高校を狙っていた。しかし、微妙な賭けは避けNo 2の高校へ進んだ。
ところが、高校生になってからもHr君は塾に通って来た。塾長が卒塾生の希望に応じて数学の面倒を見ていた。Hr君は英語も見て欲しいと言いN君も加わり英語の勉強が始まった。
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高校生の英語である。私には無理。私が高校生だった頃、彼らが進んだ高校は遥か雲の上の存在だった。
あの頃、電車の中で「リーダー」とか「コンポ」とか「グラマー」とか、わけの分からんことを言っていたそこらの高校よりも、もっともっとレベルの高い高校に彼らはいる。
その高校の英語の補習を私ができるのか。不安になった。
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だが、これもトラウマの為せるイタズラだった。また、私と英語を勉強したいという彼らの希望は強かった。
それはあの追試の威力だった。N君は追試で盤石な基礎を築いていた。だから直前の猛追でみごとに合格できた。
しかし、今度は大学受験である。ここでもHrとNはあの「威力ある追試」を期待していたのかもしれない。
しかし、それは幻想でしかない。大学入試の英語は高校入試と比べるべくもなく次元が異なる。
いよいよ私が奮闘努力を重ねた語学攻略の秘伝を明かさざるを得ないときが来たと思った。
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大学入試英語の準備は多読と精読をキッチリ分けることだ。
まず、難易度がそれほど高くない比較的長い本を読み進むことだ。
多少分からない単語があっても無視して進む。ノートに訳を書いたりせずにガンガン読む。これにはTIMEやこれに類する英米雑誌を読むのがよい。
他方、これとは別に一人の作者による難易度の高い、かつ長い英文を、文法訳をしながらキッチリ読む。この両者を並行してやるといい。
ただし、意識は英米の文化に向けることだ。中学英語で英文法の8割は終わっている。残り2割は文字通りの文法だけの力では文の意味をつかむことはできない。
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甚だ生意気な文字列だが、大学院の入試と入学後のゼミで悪戦苦闘したときに感じたことをそのまま彼らに伝えた。
多くの人にとっては常識なのだが、これを実際にやるのが難しい。しかも大学入試まで3年を切っている。落ち着いた努力が不可欠だ。
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彼らはこれを実践した。高校の教科書で精読の練習をし、私が用意した中長編の読み物で多読速読の練習をした。
私が用意した教材は私が学部の時、英語の講義で「読まされた」アメリカ建国史を綴ったものだ。当時は四苦八苦したが英米法の講義を受け、Os先生の特訓を受け、その後At先生の講義と大学院のゼミで勉強するうちにこの読み物の深さと楽しさが見えていた。文章に使われる単語も、その脈絡では他の単語は使えないという部分も味わうことができた。好きになり何度も読んだ。おかげで内容は十分理解していた。そうでないと大学の受験生の指導はできない。これを1年生の3学期頃から読み始めた。これが後に奇跡につながるのである。
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3年生になった。それぞれ高校のクラスメイトは大手予備校へ通っていた。しかし、彼らは相変わらず塾に通って来た。理系を志望するN君は数学に重点を移した。しかし、文系を目指すHr君は愚直に私との勉強をつづけた。
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志望校を決める時期が来た。何とHr君は中央大学法学部を受けると言った。他は受けないそうだ。私が入れなかった大学の学部を彼が狙うことになった。
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この頃、中央大学では入試の時期になると大学院生に試験監督のアルバイトが回って来た。私も在籍中毎年このアルバイトで生活費の一部をまかなっていた。
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Hr君が受験する年もこのアルバイトに応募し監督業務に加わった。監督と言っても問題用紙と解答用紙を配り解答が終ればこれを回収して然るべき場所へ持って行くだけである。受験生は数千人だ。当然のことながら、Hr君がいる試験場の監督にはならなかった。
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とはいえ、試験科目は同じだ。問題用紙と解答用紙を配り終われば、あとは複数いる監督が交替で巡回すれば済む。手が空いたので彼が受けているであろう英語の問題冊子を広げてみた。
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設問は大きく4つか5つ、それらに小問が複数ついていた。自分の大学入試のときはほとんどできなかったが、こうして眺めてみるとしっかり高校で勉強してさえいれば白紙にはならない問題ばかりであった。
後ろの方の問になると歯ごたえがある。と、眺めていると次は、いわゆる長文問題だ。「これは!?」と思わず腹の中で声が出た。
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試験の日の翌日、Hr君が塾にやって来た。
「どうだった。驚いたろぅ。」
「びっくりしましたよ。試験中ずっと先生の顔が浮かんでましたよ。」
「だろうな、俺も驚いたよ。まぁ、奇跡だな。」
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ご案内したようにHr君らと読んでいたテキストは試験対策で選択したものではなかった。したがって、もとより山を張ったわけではまったくない。
約2年間かけて細々と地味に、地味に勉強していたテキストの一部が出題されていた。偶然であり、幸運であり、奇跡であった。
だが、幸運を引き込むのも努力の賜物だと私は信じている。地味にコツコツ努力しないものには幸運は来ないだろう。
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Hr君は合格した。私を超えて私の後輩になってくれた。
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彼は大学1年生の時、Y先生の教養ゼミを選択した。Y先生は私も一時お世話になったドイツ法の専門家である。
そして彼は3年生の時、なんとOs先生のゼミに進んだ。偶然だが彼のファーストネームは発音が私と同じだった。
ゼミでの自己紹介で名前を言うと、「そういえばHという男がいたなぁ~。君と同じYという名だった。」と懐かしそうに語ったという。実に不思議な縁を感じた。
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Hr君からもずっと年賀状を頂いている。
彼は卒業後早い時期に結婚した。
お相手は中学校時代の「憧れの君」だったそうだ。
彼女も塾に来ていた。
男の力の裏には、やはりそういう一途な思いがあるのだろうか。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。