ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ストレンジャー・ザン・パラダイス

2018年12月17日 | なつかシネマ篇

ヴィム・ヴェンダースから譲り受けた残りフィルムを使って撮り上げた「新世界」。後から「1年後」「パラダイス」という2章を追加して1本の長編に仕上げたのがこの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』だそうな。低予算のしばりがある中で、短いシーンをブラックアウトでつなげたぶつ切り編集には苦心の跡が伺える。JJ作品に決まり文句のように付けられるオフ・ビートという形容詞は、本作のテーマソングに使われている“アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー”の曲調からきているのかもしれない。

競馬やポーカーで日銭を稼ぎながら気ままな生活をおくるウィリーとエディ。まともな職になどはなっから就く気のない社会のアウトサイダーたち。が、クリーブランドに住むロッテ叔母さんの病気が直るまでの10日間、ハンガリーからやって来る従妹エヴァを預かることになって…部屋の中での食事やベッドに寝転びながらのTV観賞、移動中の車内撮影などに固定カメラが使われているのは、自他ともに認める小津安二郎の影響であろう。

映画のもつ独特の雰囲気にとかく注目が集まりがちなJJ作品だが、一作一作に明確なテーマ性をもたせているのも彼の映画の特徴だ。1年後、従妹のエヴァに会いにクリーブランドを訪れたウィリーとエディ。雪でおおわれた街並みを眺めながらエディがこんなことを口走る。「不思議だ。はじめて来た場所なのにどこも同じ気がする」こんなことを書くとヒップなファンの方にはけむたがられるかもしれないが、まさにアメリカの大量生産&消費文化に対するアンチテーゼを一言でいい当てた名台詞である。

自らその味気ないアメリカ文化にどっぷり浸かっていたつもりでいたウィリーだが、エヴァやロッテ叔母さんと接しているうちに故郷ハンガリーへの想いがつのっていく。あんな柄のドレスをエヴァにプレゼントした時点でミエミエなのだ。逆に、不良少女エヴァはせっかくのヴァカンスというのにほぼモーテルに缶詰状態、もう故郷へ帰ったろうかと思っていた矢先、予想だにしない好運が舞い込むのだ。変な柄の帽子を弄びながら「こんなパラダイスもけっこうありかも」なーんてことを思ったのかもしれない。

「和して同ぜず」昭和の世捨人こと五木寛之が座右の銘にしている言葉だという。これから始まる残酷な時代に生き残るためのキーワードでもあるそうだ。処女作『パーマネント・バケーション』から最新作『パターソン』までを見る限り、我らがJJもその「和して同ぜず」のスタンスをデビュー以来まったく変えていないように思える。コーヒーとシガレッツ、そして善き仲間たちがいれば人生それで充分だろ。余計な物に囲まれる生き方を是とするアメリカ文化にはけっして毒されまいと、あくまでも“ストレンジャー”を通す気でいるJJの決意を感じさせる1本だ。

ストレンジャー・ザン・パラダイス
監督 ジム・ジャームッシュ(1984年)
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