ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ラストスタンド

2017年09月22日 | ネタバレなし批評篇


ハワード・ホークス監督『リオ・ブラボー』のパクリ、いやオマージュというよりも、むしろリメイクに近い内容だ。西部劇の流れを変えたとまで言われる名作リメイクの監督をアメリカ人がやりたがるはずもなく、さて誰にやらせるかで白羽の矢が立ったのがキム・ジウンだったのではないか。

日本ではT3以来10年ぶりとなるシュワルツェネッガーの主演映画として注目を集めた本作ではあるが、シュワ以外の脇役構成や最後の砦=ラストスタンドにおける決闘にいたるまでのストーリー展開はリオ・ブラボーに瓜二つであり、すぐにピンと来たオールドファンの方も多かったことだろう。

ワイルド・スピードもどきのド派手なカーチェイス・シーンや、怒りのデスロードよりも格段に勝っていた流血シーンの多さに、この韓国人監督のオリジナリティを感じたものの、オールドファンとしてはどうしてもリメイク元のリオ・ブラボーと比べたくなってしまうのだ。

主人公の保安官役はともかく、現場に遅刻してくるFBI捜査官役のフォレスト・ウィテカーや、麻薬王の逃亡を手助けする悪役ピーター・ストーメアは、リメイク元よりも明らかに存在感が増している。しかし、肝心の保安官を助ける脇役メンバーにあまり魅力を感じないのはなぜだろう。

もともと『リオ・ブラボー』が、孤立無縁の保安官が悪党を一掃した後町を捨ててしまう『真昼の決闘』のアンチとして製作されたからではないだろうか。アル中の副保安官(ディーン・マーティン)や、年寄りの牢屋番、早撃ち自慢の若者、保安官が密かに恋心を寄せる女ギャンブラー(アンジー・ディッキンソン)により観客が共感を寄せ易い構成になっているのだ。

10年ぶりに主役として“I will be back”したシュワルツェネッガーにスポットライトを当てすぎた本作は、保安官をサポートする仲間の存在に観客の目を向けさせたリオ・ブラボーをリメイクしたシナリオとは相そぐわなかったのかもしれない。

アンチにせよリメイクにせよ、連綿と続いて現代になお受け継がれている古典ドラマ。単純な撃ち合いにばかりつい目がいきがちな西部劇の奥深い歴史を感じさせてくれる1本であることは間違いないだろう。

ラストスタンド
監督 キム・ジウン(2013年)
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