ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

シン・ウルトラマン

2022年11月19日 | ネタバレなし批評篇


シン・ゴジラが“震”ゴジラだとすれば、本作は“神”ウルトラマンといったところだろうか。流れから言えば当然庵野秀明がメガホンをとるところ、シン・エヴァンゲリオン3部作完結のため時間がとれず、やむなく盟友の樋口真嗣に監督を委ねたという。この「シン・シリーズ」、オリジナルのキャラクターを令和の現代に当てはまるよう再構築した演出が見どころとなっているようなのだが、本作の場合はたしてそこんところうまく表現できたのだろうか。

『シン・ゴジラ』で大活躍した官僚の面々は、なぜか日本にばかり姿を現す禍威獣の始末を構成員僅か6人の弱小防衛庁禍特対に丸投げする無責任集団として描かれる。その禍特対も禍威獣の弱点をPCで推測するだけで、実際の攻撃は(金を払った)米軍にお任せという他力本願ぶり。地球征服を企む外星人とも、国民の生活など一切お構い無しにいとも簡単に条約提携し利用しようとする政治家たち。彼らはある意味現代の日本を“象徴”している存在=神なのかもしれない。

すべては“神”であるウルトラマン頼みで、登場人物たちから自力で日本という国を守ろうとする意識がほとんど欠落してしまっているのである。戦後、日本の防衛を在日米軍頼みにしてきたツケがもろに出てしまっているかのような設定といえるだろう。3.11やウクライナ侵攻における米軍の動きをみるにつけ、たとえ日本に有事が起きたとしても、兵器を有償で販売してくれるだけで何の手助けも期待できないのはもはや明らかで、日本は在日米軍という“神”なき時代を迎えたといっても過言ではないのである。

そんな日本に突如として飛来したウルトラマン。禍特対神永(斎藤工)のサクリファイスに感動して、地球の守護神として大活躍するのである。高度な科学技術を持ったザラブや(人間の上位概念=神の座を取引条件にした)メフィラスのような外星人の裏をかくために、アナログで対抗する場面が散見されるものの、最終兵器◯◯◯◯に対しては、ウルトラマンの巨大化テクノロジーがやはりものを云う科学偏重主義から脱していない。既存のSFの枠をいまだ引きずっていてセンス・オブ・ワンダーに欠けているのである。

新海誠のSFアニメが世界的に大ヒットを飛ばしている理由の一つに、日本に古くから伝わる神話をベースにしている点があげられるだろう。本作も新海に習えというつもりは全くないのだが、映画序盤、得たいの知れないエヴァもどきの銀色の巨人的風貌で登場したウルトラマンだけに、(神なき現代日本においては)その存在を神格化する演出がもっと欲しかったところだ。かつて太古の地球に君臨していた巨大生物“恐竜”が、◯◯◯◯の放った火球によって絶滅したぐらいの前振りがあってもよかったと思うのだが。

シン・ウルトラマン
監督 樋口真嗣(2022年)
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