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主人公を痛め付ける習性はユダヤ人に特有な自虐志向の表れであろうか。ハーバード大学で社会人類学を専攻していたダーレン・アロノフスキーが、志半ばで突如の方向転換。長編処女作となる本作は、パンク・ロックのビートにシンクロする展開の早さや、狂気にとりつかれた人間の薬物摂取や幻覚表現に平均以上のセンスは感じる。が、何かが足りない。
巨匠と呼ばれる人ならば誰もが持っている、映画監督としての資質、(表現がとても難しいのだが)ある種の閃きを、このアロノフスキーが撮った一連の作品から感じとることができないのである。スクリーンに映っている外見はまぎれもない映画なのだが、見終わった後なぜか何も残らない。心にひっかかるはずの何かが抜け落ちているのである。
円周率πの魅力に取り憑かれたユダヤ人数学者のマックスはひどい偏頭痛もち。大量の精神安定剤を服用しながら、自作のコンピューターを駆使して、株価変動に何かパターンがないかを発見しようとしている。ループに陥ったコンピューターがフリーズ直前にはじき出した216桁の数字。そこに隠されたパターンを発見すれば、自分は“神”になれると確信したマックスだったが…
フィボナッチ数列から黄金比にいたる説明は、数学音痴をだまくらかすいつもの手口。株価予測のプログラムにバグが見つかり、CPUを調べてみるとなぜかそこには蟻がウヨウヨ。自己認識したコンピューターが故障寸前表示した216桁の数字が、ユダヤ神殿に奉られていたという神の名前に関係してるんだかどうだかもよくわからないまま映画は幕を閉じてしまう。
要するに、流行りのオカルトネタをかき集め大風呂敷を広げた割には、最後は収集がつかなくなってケツをまくっちゃった、そんな感じのする1本なのである。SFの巨匠グレッグ・イーガンが見たら激怒しそうな詰めの甘いシナリオなのである。難解という形容詞は、“解”が示されて初めて成立しうるのであって、“解”の示されない映画を難解だというのはちょっと違う気がするのだ。
しかし、ダーレン・アロノフスキーの本モノクロデビュー作を(本人にその意識はないのかもしれないが)自己投影作品として見直した場合は、ちと事情が異なってくる。考えてみれば『レクイエム・フォー・ドリーム』も『レスラー』も、あの『ブラック・スワン』も、夢半ばで自分の才能の限界に気づいた主人公が、廃人化または発狂し人生をあきらめてしまうお話しだ。
例えるなら、太陽に近づきたいと願ったイカロスが翼を焼かれ、まっ逆さまに地上に落下していくストーリーなのだ。数列に隠されたパターンの謎を解けば神になれると確信したマックスは、自らの映画センスについ溺れてしまったアロノフスキーの分身だったのではないだろうか。映画ラスト、マックスは自分がとうとうたどり着くことができなかった太陽をまぶしそうに見上げるのだった。
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監督 ダーレン・アロノフスキー(1997年)
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