ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

冗談

2023年06月02日 | 映画評じゃないけど篇

「わたしは4人の登場人物を、その個人的な共産主義世界がそれぞれ4つのヨーロッパの過去に接木されるようにつくりだした。ルドウィークはヴォルテール的な辛辣な精神のうえに育つ共産主義、ヤロスラフは民俗行事の中に保存されている家父長的な過去の時代を再構築したいという願望としての共産主義、コストカは福音書に接木された共産主義的ユートピア、ヘレナは感傷的人間の熱狂の源泉としての共産主義である。これら個人的な世界はその解体のときに捕えられる。それは共産主義崩壊の4つの形態ということである。ということはまた、4つの古いヨーロッパ的企ての瓦解ということだ」

ノーベル文学賞作家であるクンデラは本書『冗談』の意図をこう回想している。作家は、大国ソ連の赤い波に翻弄されつづけた中欧の小国チェコの現代史をまるで悪い〈冗談〉のようだと、思っていたのではないだろうか。ふられた腹いせに元恋人へ出した絵葉書。その末尾に(スターリンへの批判を込めて)書いた「楽観主義は人民の阿片だ。健全な精神など馬鹿臭い!トロッキー万歳!」という文言が党指導部の目にとまったがために、クンデラの分身でもあるルドウィークは反体制分子と見なされ、長らく炭鉱労働に従事させられるのである。

そこで知り合った花摘の乙女ルツィアに恋をするルドウィーク。イデオロギーや民俗的アイデンティティとも無縁であり、宗教や愛欲にも依存しないルツィアは、無我ゆえに何ものにも染まらない。生きる拠り所を何かに求めようとする他の登場人物たちとは非常に対照的な存在として描かれるのである。ルドウィークに〈愛〉を打ち明け収容所に毎日花を届けに来るルツィアであったが、密会しても身体を決して許そうとしない。この世俗を超越したイノセンスを体現するかのようなルツィアこそ、もしかしたらクンデラが理想とした国家のあるべき姿だったのではないだろうか。

戦後チェコ共産党に入党するも反体制とみなされ除名されたクンデラ。スターリン批判からプラハの春を経た後、ソ連介入による正常化の最中、クンデラの作品は度々発禁処分を受け、大きく内容を改竄された小説が世の中に出回ったという不遇の作家でもあるのだ。そんなクンデラは、今回のプーチンによるウクライナへの軍事侵攻をどう見たのだろう。本作に登場するヤロスラフのごとく、〈家父長的な過去の時代を再構築したい〉プーチンの野望が見え隠れするこの戦争を、やはり悪い冗談だと見放したのであろうか。

わたしは思うのである。現代は、グローバリズムと名前を変えたヨーロッパ左翼運動が、ふたたび瓦解し終焉を迎えようとしている時代なのではないのか、と。〈経済的な豊かさの夢〉を人々に見させることができれば我々リベラルの理想は実現するのではないか。しかし、本書の登場人物ヘレナの中に見られるような東欧諸国の“陶酔”も、憎悪にこりかたまり人を赦すことを知らないルドウィークのごときプーチンの放った“往復ビンタ”によって現実に引き戻され、すっかり夢からさめてしまったのではないか、と。

もはや西側の大親分は、経済制裁をたてに過去自国がしでかしてきた悪事を文字通り〈忘却〉しつつあるが、それで世界に平和が戻るとはとても思えないのである。神がこの地球にふたたび降臨するか、世界中の人々がすべてルツィアのような無我の境地に達するかしない限り、ありとあらゆる(EUのような)理想社会実現のための実験は失敗に終わるような気がするのである。少なくともミラン・クンデラはそう思っているはずだ。

冗談
著者 ミラン・クンデラ(岩波文庫)
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