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「今回は実に素直にエリック・ロメールからの影響です。7という数字はロメールの『木と市長と文化会館/または七つの偶然』(1993)も7だったということがあります(笑)。そして、何か『偶然』という運とかチャンスを扱っているので、7という数字がしっくりと来ました。(中略)
直接的に影響を受けたのは『パリのランデブー』(1995)です。あれも偶然がテーマになっていますが、構成も含めて参考にしています。シリーズを作るというアイディア自体も、ロメールから来ています」
濵口竜介インタビューより
3話オムニバス型式の本ドラマは、エリック・ロメールの短編から意匠を借りているようなのである。私はロメールお得意の手動フォーカスシーンを本オムニバス中に見たときにピンときたのだが、ホン・サンスとはまた違ったアプローチの仕方はとってもオサレ。『寝ても覚めても』や『ドライブ・マイ・カー』なんかの重めの会話劇もそれなりに魅力的だけれど、本作のような軽やかな雰囲気がこの若き巨匠にはフィットしているのではないないだろうか。個人的にはそんな気がしたのである。
普通短編を撮る場合前ふりをカットしてしまう場合が多いのだが、「魔法(よりもっと不確か)」「扉は開けたままで」「もう一度」の3話ともすべて、あえてカットしてもいいんじゃないかと思える、本題とはほとんど関係性のないシーンから始まるのである。おそらく、その“前ふり”をきちんと入れたおかげで後につづくストーリーに必然がうまれ、ラストのオチである“偶然”が効いてくる。そんな演出効果をねらってのことだろう。
ロメール作品に登場するキャラの共通点として、人間性の欠落をあげていた方のレビューを読んだことがある。ほぼ濵口組といってもよい役者陣の棒読み的な台詞回しは、たしかに濵口が敬愛する小津安二郎の演出を彷彿とさせる。が、あまり深く考えない女性特有の軽率な行動が巻き起こす悲喜劇は、ロメールの作風を意識的に真似たが故の展開といえるだろう。彼女たちにどこか憎めないピュアネスを感じるのも、ロメール作品に親しんでいる方ならばすっかりお馴染みだ。
オムニバス作品にありがちなぶつ切り感を解消するため、濵口竜介が気を遣っている様子も伺える。工事中の道路、真っ暗なトンネル、そして歩道橋。ラストシーンをあえて“道”つながりにすることで、バラバラな3話にある関連性をもたせようとした。あるいは、関連性かあると観客に“想像”させようとしたのではないだろうか。元カレのことを結局親友には黙っておいた芽衣子(古川琴音)、元セフレへの心理的復讐をはたした奈緒(森郁月)、赤の他人に大切な友人の名前を思い出させたなつこ(占部房子)。
故エリック・ロメールが語ったように、すべては偶然によって導かれた結果のようにも思えるし、心の奥底にかかえている彼女たちの孤独感が、必然的に彼女たちを思いもかけない人との出会いに引き寄せたのかもしれない。そんな想像をいろいろと巡らすことができる楽しい作品でもあるのだ。膨大な資料と緻密な脚本、撮影開始まで周到な準備をすることに定評のある濵口竜介ではあるが、本作は肩の力がすっかり抜けた若き巨匠の意外な一面に触れられる1本である。
偶然と想像
監督 濵口竜介(2021年)
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