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5歳のときインドで母親と生き別れになったサルー。回送電車に乗って眠りこけてしまったがために見知らぬ土地まで運ばれてしまったサルー少年は、怪しい男に売り飛ばされそうになる寸前で、放浪中優しい声をかけてきたお姉さんの家を脱走、孤児狩をする組織には捕獲されてしまうが、これまたあやうく売り飛ばされる前に善良なオーストラリア人夫婦に貰われることに…行方不明になってもほっぽらかしの子供たちは、インドにおいて年間8万人!!いるともいわれている。運よく(悪く)そのまま家に残れても、赤ん坊の時に(観光客の同情をひくために)四肢を切り落とされ物乞をやらされる子供も珍しくないとか。これがインド貧困層のリアルなのだ。
幼児ポルノ関係と思われる危ない組織の実態については映画の中でかなりボカされてはいたが、サルー少年が迷子になりオーストラリアにもらわれるまでの映画前半は、かわいらしい少年の笑顔も手伝ってなかなかの見応えだ。しかし、25年という歳月がたち大学生という恵まれた環境の中でグーグルアースをいじくりながら故郷の場所を探しあてる冗長な映画後半は、はっきりいっていただけない。せめて迷子になった息子の行方を心配し、住んでいる場所を変えずに子供の帰りをひたすら待ち続けた実母のシーンをカットバック的に入れるべきだったのだ。
サルーを育てたオーストラリア人の母親にニコール・キッドマンを起用したことからもわかるように、この映画のサブテーマは間違いなく“恵まれない異国の子供を救う白人夫婦の物語”、つまりホワイトセイバーとしてのキッドマンを際立たせるストーリーにしなければ製作資金を調達できない状況にあったのではないか。子供を産める身体にも関わらずわざわざインドから恵まれない子供を引き取った聖母としての姿を、子供の帰りをいつかいつかと待ちわびる実母よりもメインに据える必要があったはずなのである。
コロナ禍で緊急事態宣言発令間近の日本ではあるが、人間生死の縁に追い込まれると自分のことだけで精一杯、他人のことなんかかまってられないというのが本音だろう。まして人と接触することが感染の最大原因と考えられているウィルスが蔓延している現在、人と人の絆なんて戯れ言をのたまおうものなら、コロナによって肉親を喪った親族からバッシングを受けること必至である。こんなにも心がササくれだった状態では、25年ぶりに実母と再会をはたした実在するサルーの感動的なドキュメンタリーシーンを見ても涙一つ出てこない、人間なんて所詮そんなものなのである。
LION/ライオン~25年目のただいま~
監督 ガース・デイヴィス(2016年)
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