ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ディア・ドクター

2009年06月29日 | ネタバレ批評篇
荻上直子タナダユキ、そして西川美和。最近の邦画界は女流監督が華盛りだ。長編3作目ともなればそろそろ作風の曲がり角にさしかかってくる時期だが、西川監督の場合はどうだったのだろう。前作『ゆれる』で高評価を受けたことで、逆に映画監督としての自分に違和感を覚えたという。「この人がニセモノであっては困ると思った職業を思い浮かべた時、医者が一番身近な職業だった」とインタビューに答えていた美和ちゃん。このやりとりの裏側に、西川美和の映画監督としての強烈な自覚が感じられたのは自分だけであろうか。

物語は、僻村から逃亡した医師(鶴瓶)の捜索と、その僻村に研修医(瑛太)がやってきた頃の回想シーンが交互に繰り返す構成になっている。「病を見て患者を見ず」医療改革で病院のあり方自体が問われている現代日本。利益追求が至上命題とされる大学病院などとは正反対の僻地医療現場から、現代医療の問題点をえぐり出そうとした着眼点は確かに良さげ。しかし、白衣を着た自転車男、「免許がないねん」発言、緊急手術等の伏線で徐々に明かされていく伊野医師(鶴瓶)の<ある秘密>を予め知ってから見てしまうと、この映画の面白さはおそらく半減してしまう。捜査過程で明らかにされるこの伊野医師の<ある秘密>が映画中盤までミステリーとなって物語が進行していくからだ。

(ネタバレ王の自分が言うのもなんであるが)映画紹介等の記事やレビューでこの秘密がすでにバレバレだったのは制作サイドのあきらかな遺漏ミス?。もし、この秘密を予めバラすのだったら、ラスト近くにちょこっと垣間見ることのできた警察(松重豊、若松了)と伊野のとぼけたチェイス劇のボリュームを増やすかして、観客の注意を127分引っ張るための何かしらの工夫がもっと必要だっただろう。社会的に結構重たいテーマをコミカルなタッチで描こうとした演出のバランスが若干悪かったような気がするのだ。医師とその家族の関係、警察の尋問に対する村民たちの煮え切らない態度等のサブイシュウが、(いつもの美和ちゃんらしく)ねっとりとメインストリームに絡んでこないのも気になるところ。

そんなネタの新鮮さは失われているものの、映画監督としての美和ちゃんと、この鶴瓶演じる伊野をオーバーラップさせてみるとまたちがった楽しみ方ができる作品だ。失踪した伊野を捜査する刑事(松重)が関係者への聞き込み最中一人言をもらす印象的なシーンがある。「誰も話をまともに聞いていない(作品をまともに見ていない)。伊野(私)を本物に仕立てあげようとしたのは、あんたたち(観客や批評家)の方じゃないのか?」大した実力もないのにマスコミにもちあげられ、「やれ新進気鋭だ、天才だ」とさわがれた挙句消えていった映画監督のメタファーかどうか定かではないが、(作品の良し悪しはともかく)「もうホメ殺しはいい加減にしてよ。結構プレッシャーなんだから」という西川美和のボヤキが映画の行間から確かに聞こえてくるのだ。

Dear doctor ≒ Director!? 深いねぇ。

ディア・ドクター
監督 西川 美和(2009年)
〔オススメ度 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 按摩と女 | トップ | 誰が電気自動車を殺したか »
最新の画像もっと見る