そもそもこのヘンテコりんな映画、タイトルをなぜ「No.10」としたのでしょうか。確か映画後半に登場する“キャプテン”の話によると、地球上に11人の子供たちを解き放ったと言っていましたが、(ユダをのぞく)キリストの弟子と同じ人数11人中の10番目が、本作の主人公ギュンターだったのではないでしょうか。ちなみに、デビューから数えて10番目の作品が本作だそうなのです。
無神論者ギュンターの「キリストは白人が作ったインチキだ」なんていう台詞があるのですが、なんだかんだいってキリスト教カソリックに言及した作品のような気がするのです。この映画に登場する人々が、不貞、密告、復讐、殺人、窃盗....と、聖書の教えに背いた行為を次々としでかすのも、やはりキリスト教をかなり意識した作品であることは間違いないようです。
最後はキャプテンの怒りをかって、偶像もろとも宇宙の藻屑になっつてしまうのですが、なぜかギュンター親子だけは無罪放免、どうも目的地の惑星へと連れていってもらえそうなのです。しかし、ギュンターを誘い出すために“カプリコン・ワン”を彷彿とさせるペテンが仕掛けられるのですが、あっさり娘にそのカラクリがバレ、母親など本当は存在しないんじゃないかと観客の妄想をかきたてるのです。
レントゲンを撮ると、右肺だけが真っ白白に写っていて、ギュンターとその娘が地球上の生命体でないことは明らかなようなのですが、なんのためにキャプテンはこの親子を宇宙船に乗せて連れ帰ろうとしたのでしょうか。単純に考えれは、『スターシップ・トゥルーパーズ』のような生物兵器に地球を襲わせるための実験データを、この親子から入手するためと考えるのが普通でしょう。布教目的のカソリック教団などはなっから用なしだったにちがいありません。
もしかしたら本作で、キリストなど救世主として認めていない旧約聖書創世記に登場する“アダムとイブの楽園追放”を描いたのではないでしょうか。監督アレックス・ファン・ヴァーメルダムのいかれっぷりについて述べられたレビューが多く見られるようですが、善悪の知識を身に付け次から次へと快楽や暴力に走るギュンターとその一人娘の楽園=地球追放の物語だったのではないでしょうか。見かけとはちがって案外信心深い監督さんだったのかもしれません。なんつって。
No.10
監督 アレックス・ファン・ヴァーメルダム(2021年)
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