ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

サンシャイン・クリーニング

2010年03月06日 | ネタバレなし批評篇
昨年アカデミー脚本賞と助演男優賞のW受賞をはたした『リトル・ミス・サンシャイン』のスタッフが再び集結、“負け組家族の再生”というテーマで2匹目のドジョウをねらった本作であるが、映画としての出来はいま一歩、可もなく不可もないごくごく普通のヒューマン・コメディで星はきっかり3つ、というのが正直な感想だ。

前作でオスカーを獲得したアラン・アーキンをおじいちゃん役として続投せざるをえなかったのは政治的になんとなく理解できるのだが、負け組家族の新メンバーとして、エイミー・アダムス(姉ローズ役)とエミリー・ブラント(妹ノラ役)というメジャーな美人女優をわざわざ起用したのはいかがなものか。若手女優として現在最も勢いのある二人は、どうしても“勝ち組シスターズ”にしか見えないのである。

そんな小奇麗な2人にあえてバイオハザード清掃(死体現場の特殊清掃)という汚れ仕事をさせてしまおうとする狙いはいいが、その他のエピソードがばらばらでラストに向かってうまく収束しきれていない。まるで、複数の人間が持ち寄った脚本のいいとこどりをしたような感じがするのは気のせいだろうか。負け組家族の内面を描いたようで、その実映画全体からきわめて表層的な印象を受ける原因は、『リトル・ミス・サンシャイン』で小銭を稼いでしまった制作側の“勝ち組意識”にあるのかもしれない。

血だらけの現場にはそこで死んだ人間の遺留品がそのままの状態で残されているのだが、唯一自殺した母親のトラウマに悩むノラのとって付けたようなエピソードが追加されているだけで、姉妹が特殊清掃をしながら死者の生前に想いをめぐらすようなシーンはほとんどない。問題息子オスカーの養育費を稼ぐことと、勝ち組同級生を見返すことしか頭にない姉ローズの自己中な行動は普遍性に欠け、(おくりびとに感動した東洋人ならば特に)違和感を覚えるにちがいない。

隻腕モデラーとローズの恋の結末や、オスカーのなめなめ病?、母親の自殺原因等の伏線はすべて尻切れトンボに終っている。詰めの甘さを指摘されてもいたし方ない脚本も、その完成度はけっして高くない。浮気刑事や同級生たちとの腐れ縁は断ち切ったものの、結局元の汚れ仕事に戻っていくローズや、自分探し(責任回避)の旅行にさっさと出かけてしまうノラが、心のわだかまりを洗浄(再生)できたのかどうかの描写も消化不良でまっこと不十分なのである。

サンシャイン・クリーニング
監督 クリスティン・ジェフズ(2009年)
〔オススメ度 

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