野口雨情による作とも伝えられる『通りゃんせ』は、
江戸時代に成立したと見られるわらべうただと云われています。
最近、何故だがこの歌を時々思い出します。
物悲し曲…寂しい音色と考え深い歌詞…言霊。
昔から伝わるわらべ歌には同じような
不思議な雰囲気のものが多いように思います。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 境越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
この見事な詩は
実は
誰もが知っている『いろは歌』なのですね。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
その『いろは歌』にも色々と云われがあるようです。
ちょっと調べてみましたので
ご興味のある方は下記をご覧下さいね。
しかし、
昔のわらべ歌は現代と違ってとても深いのには驚かされます。
これが、日本の文化や芸術にも通じるのでしょうね!
今、世界に誇る日本の文化や芸術。
それが培われたのは過去の日本…大切に温めたいとTAZUKO多鶴子は痛感します。
<いろは歌>
全ての仮名の音を使って作られている歌で、手習い歌の一つ。七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。手習い歌として最も著名なものであり、近代に至るまで長く使われた。そのため、全ての仮名を使って作る歌の総称として使われる場合もある。また、そのかなの配列順は「いろは順」として中世~近世の辞書類等に広く利用された。
表面的に読む限り、無常観を歌った歌と読むこともでき、多くの人々がそういう歌なのだと受け止めてきた。
主として仏教の知識を持つ者は仏教的な内容の歌だと解釈した。例えば、12世紀の高僧、新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)は『密厳諸秘釈(みつごんしょひしゃく)』の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は世に無常偈(むじょうげ)として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の意であると説明した。
ただし、暗号が埋め込まれている可能性が指摘されるにつれ、表面上の文意にも異なった意味が込められている可能性や、暗号とからめて二重三重の意味なども指摘されるようになってきている(ただし主に一般書でのものが多い)。
参考資料:ウィキペディア