TAZUKO多鶴子

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近鉄奈良駅の『行基菩薩』です…

2009-07-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言

< 行 基 >
668年 - 749年
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日))は日本の奈良時代の僧である。677年4月に生まれたという説もある。父は百済系渡来人氏族の末裔西文氏(かわちのあやし)一族の高志才智とされる。母は河内国(のち和泉国)大鳥郡の蜂田首(現在の華林寺)の出。
*生涯 *
河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市)の生まれ。681年に出家、官大寺で法相宗などの教学を学び、集団を形成して関西地方を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動した。704年に生家を家原寺としてそこに居住した。その師とされる道昭は、入唐して玄奘の教えをうけたことで有名である。

三世一身法が施行されると灌漑事業などをはじめ、前述の東大寺大仏造立にも関わっている。大仏造営中の749年(天平21年)、菅原寺で81歳で入滅し、生駒市の竹林寺に墓所がある。また、朝廷より菩薩の称号が下され、行基菩薩と言われる。なお、行基が迎えた菩提僊那は、752年、聖武天皇(749年に退位し当時は、太上天皇)の命により、東大寺大仏開眼供養の導師を勤めた。



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