近年一般では絵画を語られる時
『芸術』『伝統』『文化』『大衆文化』『ハイカルチャー』『メインカルチャー』『サブカルチャー』等
様々な言語が飛び交う。
TAZUKO多鶴子が求めているものはいったい何だろうか…?
常に自問自答している昨今である。
TAZUKO多鶴子は多くの体験や苦悩や
様々なものを学ぶチャンスがある度に
その答えが鮮明に見え隠れし始めている。
私は日本の『伝統』は大好きである。しかし…単純な意味で考えると…それでは無い。
『ハイカルチャー』であるようで…無ければ、勿論現代に於ける『メインカルチャー』でも無い。
『文化』にはなるのであろうが…『芸術』にもなるのであろうが…『本質の哲学』…
『本質の芸術』というべきか…いや…
…それに留まらない…何かを求めているのではないか…と思う。
その為
一般的な会話のとき常に言葉に詰まることがある。
一般的にはその詳細を十分理解せず使っている事…
分かっているようで本当は分かってないそんな現実が私を困らせる。
そういった事が益々、近年の混乱と文化の低迷を招いているのでは無いかと私は確信する。
今日はその視点で、様々出回っている言語を整理する為その一部を簡単に抜粋してみた。
(それそれの詳細は更に深い所があるとは思うのだが…。)
下記を是非ご覧下さい。
<芸術(げいじゅつ、ギリシア語 η τεχνη techn?、ラテン語 ars、英語 art)>
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、演劇など。
とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情、など様々である。
日本語「藝術」という言葉は元来、明治時代に西周 (啓蒙家)によってリベラル・アートの訳語として造語されたものである。
原義は、「人を自由にする学問」のことであり、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくものである。
<リベラル・アーツ (liberal arts)あるいは 自由七科(Seven Liberal Arts)> 自由七科と哲学
今日では学士課程における人文学、社会科学、自然科学を包括する専門分野(disciplines)のことを意味する。欧米においては神学、法学や医学などの専門職大学院に進学するための予備教育としての性格も帯びている。
<伝統(でんとう tradition)>
人間の行動、発言、思考及び慣習に見出される歴史的存在感を総称していう。
歴史的存在感としての伝統の根拠とは
* 具体的慣習
* 法秩序
であり、それらの主体は
* 組織
* 地域
* 家族
* 国家
* 神
である。
それらいずれが主体であるかによって伝統の内実も違ったものとなる
<文化(ぶんか)>
* 人間が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系。本稿で以下に記す。
* いわゆるハイカルチャー(文学、美術など)を指すことも多い。例えば「日本文化史」と称する本の多くは、源氏物語や和歌、仏教美術など上位の階層が担った文化の記述が大半を占めているはずである。
* (上記の意味から派生)日本において主に大正時代に生まれた(あるいは輸入された)商品によく冠された言葉。文化包丁、文化住宅、文化鍋など
<ハイカルチャー(High culture)>
学問、文学、美術、音楽など人類が生んだ文化のうち、高い達成度を示していると考えられたもの。上位文化などと訳されることもある。または「文化」という言葉がもっぱらハイカルチャーを指すことがある。大衆文化、サブカルチャーなどに対比される言葉。
ハイカルチャーは(主に19世紀までの間にヨーロッパを中心に形成された)貴族やブルジョワ階級のものであり、知識・教養を持つ少数の者が享受する文化であった。しかし20世紀の大衆文化の時代になると、少数者がハイカルチャーを独占するものではなくなり、古典絵画やクラシック音楽も一般に鑑賞されるようになった。
<メインカルチャー (mainculture)>
サブカルチャーと対比して用いられる語で、ある社会で支配的な文化のこと。
文学、美術、演劇、音楽など社会の(主流をなす)構成員が健全な文化として受容するものである。伝統的には大学で学問対象として研究されたり、新聞、雑誌などで論評の対象になるものであった。20世紀になって大衆文化が発達し、次第に映画、テレビ番組、ポピュラー音楽、漫画なども文化として認められるようになった(メインカルチャー化)。』
<大衆文化(たいしゅうぶんか)>
ハイカルチャー(文学、美術など)に対して、一般大衆が広く愛好する文化のことである。英語のmass cultureに相当する。一方、マニアックな分野を指す言葉としてサブカルチャーという言葉があり、こちらは大衆文化とハイカルチャー双方に跨ってマイナーな領域を示している。 ただしこれらの概念も時代的な変遷があり、厳密な定義は困難である(サブカルチャーの項目を参照)。
かつて、ハイカルチャーを鑑賞するには一定の教養が必要であり、もっぱら貴族やブルジョワ、知識人層が享受するものであった。これに対して大衆の好む娯楽などは一段と低く、俗なものとされてきた。例えばクラシック音楽を鑑賞するにはソナタ形式など音楽についての知識・教養が必要であるが、大衆の好む音楽は鑑賞するための知識は必要なく、感覚的に楽しめるものである。
20世紀になって大衆が実力を持つ大衆社会を迎えると、大衆文化の位置づけも変化せざるを得なくなった。大衆社会においては、高等教育を受けた人々も増加し、ハイカルチャーも広く一般に楽しまれるようになった。マスメディアの発達や複製技術による大量生産がこうした傾向を一層推し進めた。例えば、絵画であれば、美術館に足を運ばなくとも美術書・ポスターなどで見られるし、音楽もコンサートに行かなくともレコード・CD・テレビ・ラジオなどで気軽に楽しむことができるようになった。いわばハイカルチャーの大衆文化化である。
一方、かつて大衆の娯楽であった映画やジャズなどの中にも芸術作品と評価されるものが生まれるようになった。そして、第二次世界大戦後は知識人が大衆文化そのものの意義を積極的に評価する動きも見られた(鶴見俊輔の論考が古典である)。ハイカルチャーと大衆文化の境界も時代により変化している。
<サブカルチャー(subculture)>
文脈によって次の3つの用法がある。
1 社会の支配的な文化から逸脱した文化事象を指す。ハイカルチャーと大衆文化の両方を横断し、言語、宗教、価値観、振る舞い、服装などを含む。社会学、特にカルチュラル・スタディーズで用いられる。⇔メインカルチャー
2 絵画や純文学、クラシック音楽などのハイカルチャーに対し、娯楽を主目的とするマイナーな趣味的文化を指す。サブカルと略されることもある。⇔ハイカルチャー
3 漫画、アニメ、コンピュータゲーム、特撮作品、フィギュアといったおたく文化を指す。
1.が本義で、後に日本において2.と3.の意味に用いられるようになった。いずれの場合も「既成文化に対する二次的な側面」という含みがある。「下位文化」と訳されることもある。
参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『芸術』『伝統』『文化』『大衆文化』『ハイカルチャー』『メインカルチャー』『サブカルチャー』等
様々な言語が飛び交う。
TAZUKO多鶴子が求めているものはいったい何だろうか…?
常に自問自答している昨今である。
TAZUKO多鶴子は多くの体験や苦悩や
様々なものを学ぶチャンスがある度に
その答えが鮮明に見え隠れし始めている。
私は日本の『伝統』は大好きである。しかし…単純な意味で考えると…それでは無い。
『ハイカルチャー』であるようで…無ければ、勿論現代に於ける『メインカルチャー』でも無い。
『文化』にはなるのであろうが…『芸術』にもなるのであろうが…『本質の哲学』…
『本質の芸術』というべきか…いや…
…それに留まらない…何かを求めているのではないか…と思う。
その為
一般的な会話のとき常に言葉に詰まることがある。
一般的にはその詳細を十分理解せず使っている事…
分かっているようで本当は分かってないそんな現実が私を困らせる。
そういった事が益々、近年の混乱と文化の低迷を招いているのでは無いかと私は確信する。
今日はその視点で、様々出回っている言語を整理する為その一部を簡単に抜粋してみた。
(それそれの詳細は更に深い所があるとは思うのだが…。)
下記を是非ご覧下さい。
<芸術(げいじゅつ、ギリシア語 η τεχνη techn?、ラテン語 ars、英語 art)>
表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、演劇など。
とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情、など様々である。
日本語「藝術」という言葉は元来、明治時代に西周 (啓蒙家)によってリベラル・アートの訳語として造語されたものである。
原義は、「人を自由にする学問」のことであり、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくものである。
<リベラル・アーツ (liberal arts)あるいは 自由七科(Seven Liberal Arts)> 自由七科と哲学
今日では学士課程における人文学、社会科学、自然科学を包括する専門分野(disciplines)のことを意味する。欧米においては神学、法学や医学などの専門職大学院に進学するための予備教育としての性格も帯びている。
<伝統(でんとう tradition)>
人間の行動、発言、思考及び慣習に見出される歴史的存在感を総称していう。
歴史的存在感としての伝統の根拠とは
* 具体的慣習
* 法秩序
であり、それらの主体は
* 組織
* 地域
* 家族
* 国家
* 神
である。
それらいずれが主体であるかによって伝統の内実も違ったものとなる
<文化(ぶんか)>
* 人間が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系。本稿で以下に記す。
* いわゆるハイカルチャー(文学、美術など)を指すことも多い。例えば「日本文化史」と称する本の多くは、源氏物語や和歌、仏教美術など上位の階層が担った文化の記述が大半を占めているはずである。
* (上記の意味から派生)日本において主に大正時代に生まれた(あるいは輸入された)商品によく冠された言葉。文化包丁、文化住宅、文化鍋など
<ハイカルチャー(High culture)>
学問、文学、美術、音楽など人類が生んだ文化のうち、高い達成度を示していると考えられたもの。上位文化などと訳されることもある。または「文化」という言葉がもっぱらハイカルチャーを指すことがある。大衆文化、サブカルチャーなどに対比される言葉。
ハイカルチャーは(主に19世紀までの間にヨーロッパを中心に形成された)貴族やブルジョワ階級のものであり、知識・教養を持つ少数の者が享受する文化であった。しかし20世紀の大衆文化の時代になると、少数者がハイカルチャーを独占するものではなくなり、古典絵画やクラシック音楽も一般に鑑賞されるようになった。
<メインカルチャー (mainculture)>
サブカルチャーと対比して用いられる語で、ある社会で支配的な文化のこと。
文学、美術、演劇、音楽など社会の(主流をなす)構成員が健全な文化として受容するものである。伝統的には大学で学問対象として研究されたり、新聞、雑誌などで論評の対象になるものであった。20世紀になって大衆文化が発達し、次第に映画、テレビ番組、ポピュラー音楽、漫画なども文化として認められるようになった(メインカルチャー化)。』
<大衆文化(たいしゅうぶんか)>
ハイカルチャー(文学、美術など)に対して、一般大衆が広く愛好する文化のことである。英語のmass cultureに相当する。一方、マニアックな分野を指す言葉としてサブカルチャーという言葉があり、こちらは大衆文化とハイカルチャー双方に跨ってマイナーな領域を示している。 ただしこれらの概念も時代的な変遷があり、厳密な定義は困難である(サブカルチャーの項目を参照)。
かつて、ハイカルチャーを鑑賞するには一定の教養が必要であり、もっぱら貴族やブルジョワ、知識人層が享受するものであった。これに対して大衆の好む娯楽などは一段と低く、俗なものとされてきた。例えばクラシック音楽を鑑賞するにはソナタ形式など音楽についての知識・教養が必要であるが、大衆の好む音楽は鑑賞するための知識は必要なく、感覚的に楽しめるものである。
20世紀になって大衆が実力を持つ大衆社会を迎えると、大衆文化の位置づけも変化せざるを得なくなった。大衆社会においては、高等教育を受けた人々も増加し、ハイカルチャーも広く一般に楽しまれるようになった。マスメディアの発達や複製技術による大量生産がこうした傾向を一層推し進めた。例えば、絵画であれば、美術館に足を運ばなくとも美術書・ポスターなどで見られるし、音楽もコンサートに行かなくともレコード・CD・テレビ・ラジオなどで気軽に楽しむことができるようになった。いわばハイカルチャーの大衆文化化である。
一方、かつて大衆の娯楽であった映画やジャズなどの中にも芸術作品と評価されるものが生まれるようになった。そして、第二次世界大戦後は知識人が大衆文化そのものの意義を積極的に評価する動きも見られた(鶴見俊輔の論考が古典である)。ハイカルチャーと大衆文化の境界も時代により変化している。
<サブカルチャー(subculture)>
文脈によって次の3つの用法がある。
1 社会の支配的な文化から逸脱した文化事象を指す。ハイカルチャーと大衆文化の両方を横断し、言語、宗教、価値観、振る舞い、服装などを含む。社会学、特にカルチュラル・スタディーズで用いられる。⇔メインカルチャー
2 絵画や純文学、クラシック音楽などのハイカルチャーに対し、娯楽を主目的とするマイナーな趣味的文化を指す。サブカルと略されることもある。⇔ハイカルチャー
3 漫画、アニメ、コンピュータゲーム、特撮作品、フィギュアといったおたく文化を指す。
1.が本義で、後に日本において2.と3.の意味に用いられるようになった。いずれの場合も「既成文化に対する二次的な側面」という含みがある。「下位文化」と訳されることもある。
参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』