TAZUKO多鶴子

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『幸田露伴』の『愛と美』の名言

2012-10-11 | TAZUKO多鶴子からの伝言

 『 愛 』

  恵も、

  めぐむも、

  めぐしも、

  惨しも、
 
  憐も、

  いとおしも、

  かなしも、

  悲も、

  あわれも、

  慈も、

  いつくしむも、

  あわれむも、

  皆これ愛である。

  そして愛は「うつくしむ」であり、

  「うつくし」であり、

  「美」なのである。

  我邦の言葉は

  斯様に愛を語っている。

  人の此心の動きのさまざまの中で、

  愛が最も優美で

  霊妙で

  幽遠なものであることは言うまでもない。



  …… 幸田露伴 ……




<幸田 露伴(こうだ ろはん)>
1867年8月22日(慶応3年7月23日) ~ 1947年(昭和22年)7月30日
日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号には、蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。
『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。

参考資料:ウィキペディア