今日は久々の休日で
今年秋頃に海外に出品する
絵の下地の制作に少しだけ取りかかることができました。
休憩時間に
ネットで『コンドルは飛んで行く』を久々に聞いて
感動の涙を流す時間になりました。
この曲を聞く度に
インカ帝国最後の皇帝『トォパク・アマル』の
死を目前にしたものとは思えない立派な態度が目の前に浮かびます。
死しても
決して自己の文化や言語を失う道を選ばなかった
最後の皇帝『トォパク・アマル』そして『ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ(トゥパク・アマルの末裔と自称)』。
『インカ帝国』の皇帝の魂がコンドルに乗って
アンデスの空を旋回しながら今も人々を見守り続けていると…。
そして、その『コンドル』は今「絶滅危惧種」に指定されてます。
しかし、たとえインカ帝国は滅びても
今も土や水や太陽の中に文化は生き続けているのだと思うのです。
日本もそれは同じだと。
文化は土や水や太陽の中にあり
日本人の人々の身体の中に決して失うことはないのではないでしょうか。
グローバルな時代になるからこそ
益々それが目覚めることになるのではないかと…。
いえ
そうあって欲しいとTAZUKO多鶴子は願っているのかもしれません。
… 以前のブログから …
<『インカ帝国』最後の皇帝 >
『インカ帝国』最後の皇帝『トォパク・アマル』は即位から1年あまりのちの1572年4月にはスペイン軍の来襲によってビルカバンバ山中の新インカ帝国は滅亡した。トゥパク・アマルは捕らえられて、激しい拷問ののち、同年9月24日にクスコで斬首された。
処刑の時、トゥパク・アマルが処刑台に登り、刑執行人が刀を取り出したとき、先住民の全群衆が悲しみの叫び声を挙げて涙を流した。この様子に、トゥパク・アマルは右手をさっと挙げて人びとを静まらせた。その毅然とした態度に、群衆は一瞬で静まりかえった。それを見ると、トゥパク・アマルは死を目前にしたものとは思えない立派な態度で群衆に対してケチュア語で話し始めたと伝えられている。
<コンドルは飛んで行く>
Oh majestuoso Cóndor de los Andes,
llévame, a mi hogar, en los Andes,
Oh Cóndor.
Quiero volver a mi tierra querida y vivir
con mis hermanos Incas, que es lo que más añoro
oh Cóndor.
En el Cusco, en la plaza principal,
espérame
para que a Machu Picchu y Huayna Picchu
vayamos a pasear.
ああ雄大なアンデスのコンドル、
連れて行っておくれ、私の家へ、アンデスの、
ああコンドルよ
私の最愛の土地へ戻りたい、
インカの兄弟と共に生きたい、この郷愁よ
ああコンドルよ
クスコの大広場に、
マチュピチュとウアイナピチュを待って、
さあ出掛けよ