TAZUKO多鶴子

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尾身先生を心から応援してます!

2020-05-13 | TAZUKO多鶴子からの伝言
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E8%BA%AB%E8%8C%82

新型コロナウイルスの今、『尾身茂』先生がいるから日本は大丈夫!
尾身先生を心から応援してます。


尾身の最大の業績のひとつは、西太平洋地域において小児麻痺(ポリオ)の根絶を達成したことである。

ポリオ根絶の功績・手腕の為、日本政府は1998年、世界保健機関 (WHO) 西太平洋地域事務局事務局長選挙に候補者として尾身氏を擁立し、当選。その後再選され、事務局長として10年間活躍した。人類にとって21世紀最初の公衆衛生学的危機であった重症急性呼吸器症候群 (SARS) 対策に於いて陣頭指揮をとった[16]。また、尾身は、西太平洋地域事務局長在任中に、アジアにおける結核対策を前進させたこと、鳥インフルエンザの脅威を世界に発信したことなどでも知られている。

西太平洋地域事務局長在任中の2006年5月、イ・ジョンウク(リー・ジョンウォック)WHO事務局長の急逝に伴う後任の事務局長を選出する選挙の候補者に日本国政府から擁立されるも[4]、中国が推薦した(香港出身の)マーガレット・チャン世界保健機関事務局長補(感染症担当)に敗北して落選した[5][6][7]。 2009年2月、母校の自治医科大学教授に就任し、後進の指導にあたった。

2009年新型インフルエンザパンデミックの際、政府の新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会の委員長に任命された。既に政府によって始められていた水際作戦から、重点を地域感染対策に移すべきこと、パンデミック初期には広範に学校閉鎖を実施すべきこと、ワクチンの優先接種グループなどにつき提言した[17]。

2014年からは、日本初の新たな医薬品や診断キットの国際的普及を目指した官民学一体の「アジア・アフリカ感染症会議」議長を務めている。

2016年、国際的な公衆衛生危機対応タスクフォースメンバー(国連議長からの要請)。

Wikipediaより