TAZUKO多鶴子

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日本文化を築いた足利義政…

2012-07-05 | TAZUKO多鶴子からの伝言


   何ごとも

   夢まぼろしと思い知る

   身にはうれひもよろこびもなし


       …… 足利義政 ……



上記名言は
『わび・さび』の茶の文化を感じさせるように思う。
それもその筈
文明14年(1482年)には東山山荘(東山殿)の造営をはじめ、
祖父足利義満が建てた金閣をベースにした
銀閣などを建てた足利義政。
銀閣寺の東求道で、
その一角の
書院「同仁斎」は
後の茶の湯の出発の場となった。
他にも
足利義政は
文化面では功績を残している。
庭師の善阿弥や
狩野派の絵師狩野正信、
土佐派の土佐光信、宗湛、
能楽者の音阿弥、
横川景三らを召抱え、東山の地に東山殿を築いた
(後に慈照寺となり、銀閣、東求堂が現在に残る)。

この時代の文化は、
金閣に代表される3代義満時代の華やかな北山文化に対し、
銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」と呼ばれる。
初花、九十九髪茄子など現在に残る茶器も作られた。
世界に誇る今の日本文化に
無くてはならない人物
それが足利義政である。
今日はふと
その事を思い出した。


<足利 義政(あしかが よしまさ)>

永享8年(1436年)1月2日、第6代将軍足利義教の3男として生まれる。嘉吉元年(1441年)、父が嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺された後、同母兄の足利義勝が7代将軍として継いだが、嘉吉3年(1443年)に義勝も早世したため、義政は管領の畠山持国などの後見を得て、8歳で将軍職に選出され、元服を迎えた宝徳元年(1449年)に正式に第8代将軍として就任した。

室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。
幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。


参考資料:ウィキペディア

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1 コメント

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Unknown (週一)
2016-09-20 14:06:00
足利義政のかかわった東山文化について教えてほしいです
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